いやあ、参ったまいった。
落語聴いて落ち込むことも、ごくまれにはありますよ。期待していない人の高座に出くわし、ああやっぱりねという。
そういうものではない。
アンテナがピタリ合っていたはずの噺家の、それも独演会に出向き、ずっこけてしまった悲しい土曜日。東日本大震災の日に。
今日書くのは、噺家個人への直接的批判もあるが、それよりも私自身に生じた嘆きが主である。
新作落語の未来を背負って立つ噺家に、蹴られた感じ。
蹴るのは普通は客だが、演者とコア層のファンに蹴られた気がする。
ここで演者に対して「もともとあんなの大した噺家じゃなかったんだ!」と書いて、自分を納得させる方法も一応はある。
それはさすがに無理だな。今までの私の落語史の否定にもなってしまう。
今後果たして取り返せるだろうか? いずれにせよ、この人の独演会には二度と行けない。「行かない」じゃなく、もう無理だ。
二人会すらどうか。
高田馬場、ばばん場の瀧川鯉八の会に出向いたのだ。
鯉八師は披露目以来3年ぶりだが、避けていたわけでもなんでもなく、ずっと聴きたいと思っていた人。
その鯉八師に蹴られたということは、一度行きたかったソーゾーシーにももう行きづらい。
それどころか、新作落語全体から拒絶されたような気すらするのだった。
私がいかにショックを受けてるか、その一端でもお感じいただければ幸いです。
ファンだけが集まる小さな会というのはつくづく危険だな。
寄席ではわからない、変な濃密さが漂うのだった。これに異物として排撃されるときがある。
さて、どこで蹴られたか。
前日はWBC日韓戦で侍ジャパン大勝。私も観てました。
しかし鯉八師、登場して早々になぜか大谷翔平の悪口を、何の脈絡もなく語り出す。
大谷に骨折して欲しいんだそうだ。
いや、さすがにそれはひどいと自己否定した後、捻挫して欲しい、そして治ったらまた繰り返し捻挫して欲しいと。
大谷は、どこにTVカメラがあるか熟知していて、そこに向かってドヤ顔をしているイヤなヤツなんだそうだ。
大谷は、ぼくの大好きなハッシュポテト引退まで食べられないんです。
めちゃくちゃ引く。
国民的英雄であり、昨日も活躍した選手に不謹慎なギャグではあるが、不謹慎ゆえに取り締まろうなんて言うんじゃない。
私のブログを勝手に引用し、よく知りもしない噺家を吊るしあげようと試みる人も中にはいそうだが。
そんなこと言い出したら、当ブログで常に人間国宝(故人)を批判している私だって真っ先に取り締まられかねない。
とにかく、英雄をdisってギャグにしたいなら、その根拠ぐらいいるでしょ? 不謹慎でも、客にブリッジが掛かればギャグとしてはかろうじて成り立つ。
私だって、小三治批判を明確な根拠付きでやってるから許されていると思っている。
鯉八師がどうして大谷が嫌いで、ギャグにしていじりたいのだか、こちらにはまるでわからない。
ギャグとして成立していなければ、もう逃げ場がない。
世間から支持されるアスリートだから、というのがいじる理由なんだろうが、それだけじゃ弱すぎる。
イチローぐらいならまだ、いじったとしても性格面からしてとっかかりはある。極めて人格円満な大谷翔平のどこにdisるとっかかりがある?
いじるなら、国民的英雄である事実をしっかり確立しておいて、でも・・・とやればいい。それをいきなりだもの。
世情のネタを知るため鯉ハ師もWBCを観ていたという。
だが、野球をdisる。昨日盛り上がっていたのは、東京ドームにいた5万人だけですよと。
WBCで盛り上がっているのは、世界に300ぐらいある国の中で、米国と日本、2か国だけですよと。
私は野球好きだが、この野球いじりはわかる。サッカーと比べて野球はプレーがもたついていると。
自分が好きでいる対象であっても、まだわかる。まあ、それでもギャグの作法としてはいささか乱暴すぎるけど。
野球disぐらいなら多少虫が好かないにしてもまだいいが、一体どこから大谷disが出てくる?
私が熱狂的大谷ファンだから、なんてのじゃないのだ。みんなが好きな対象をdisるその作法が乱暴すぎる。
立川流かよ。客の全員が反政府であるかのように煽り、そして一部のアホ客が率先して手を叩くような、そんな状況。
こうしてみると三遊亭兼好師なんて、毒吐くのが本当に上手いもんだと思う。ちゃんとあらゆる客を見てるものな。
さらにイヤなことに、最前列になんでもうなずく女の客がいる。
女性は演者の話をうんうんとうなずいて聴く人が多いが、この客はもう、演者に自分の存在を認識して欲しがっている、歪んだ欲望の塊。
私の非常に嫌いな種類の客。
この赤べこ女が、大谷disに対してもずっとうんうんとうなずいている。
鯉八師も、あくまでギャグで喋っている自覚はもちろんある。
途中で「あれ、皆さん野球好きですか?」
ぶんぶんと横に首を振って自己主張する赤べこ女。
赤べこ女を基準にするな。
なんか嫌なこと言ってるなと思った客も結構いると思うんだけど。私ほど大きく取り残されたかどうかはともかく。
なんにしても、客席で自然じゃない客は、批判されても仕方ないと思うよ。
自意識過剰の赤べこ女、大嫌い。演者に過剰アピールする電波は、他の客にも伝わるんですぜ。
まあ、よそで遭遇することはないだろうけど。
大谷disから10分間、私は魂が抜け、完全に固まってしまった。ペナルティボックス入りだ。
演者のほうも、なんだか楽しんでない客がいたなと思っていそうだ。
その後も、なかなか取り返せなかった。
しかし自分でもつくづくびっくりしたな。
今の今まで鯉八ワールドの二本のレールの上にしっかり載っていたと思っていた。大谷いじり一発で、あっさり脱線。
実にはかなく、脆い関係性しかなかった。
演者と客は、共同幻想を描けるから楽しいのだ。幻想を味わう資格を打ち切られてしまった。
それはあんたのこだわりが強すぎるんだよって?
いや、私は脱線を復旧しようと懸命だったのだ。
感性も大事だが、損得だって考えないではない。この新作落語の鬼才を嫌い、落語界で何の得がある?
だが、感性のほうが勝った。勝ちたかったわけではなくて。
前半の最初の3作は、いずれも「ばーちゃん」と「孫のマー坊」の作品。
この型は「にきび」という作品で楽しんだものだ。
ばーちゃんは話が上手い。孫は話を聴きたい。
ばーちゃんが孫に楽しいフィクションを語る作品シリーズだ。演者がばーちゃんになって、ばーちゃんの作る話をする。
マトリョーシカのような、メタ的作品だ。
全然いいじゃないか。
まるで楽しくなかったわけじゃない。
だが大きく脱線してしまったがゆえ、斜めから見てこの噺家の、創作と演技の秘訣を見抜いてしまった。
実はこれだけだ。
- かなり食い気味にカミシモとセリフを変える
- 登場人物は、すべて素を出さず、1枚皮を被っている。
- すべてがメタフィクションのため、つまらないネタも効果的に使える
- 擬人化。2本目の噺は、下着ドロから押収したパンティーを並べる「並べ師」の悲哀を描くが、担当刑事はパンティーの声を聴く
鬼才の面白さの正体は、本当にこれだけ。
いや、見抜いてしまいたくはなかったが、別に客との関係性が維持されてさえいればこれだけでいいんですよ。
でも、脱線したがゆえ、実はこれしかないんだなあと嘆息してしまったのだった。
食い気味のカミシモ入れ替えと、登場人物に1枚皮を被せる手法は、師匠の古典譲りである。
意外とオリジナリティないんだな。それ自体は決して批判ではないが。
大谷disが後を引きすぎ、仲入りで帰ろうかとかなり早い段階で思った。
実際は前半3作品、そこそこ楽しみはしたので、踏みとどまった。
でも全部終わって振り返ると、やっぱり帰ればよかったかなと。
仲入り後の1本は、マー坊ものではない。映画・演劇のネタ。
冷静に考えれば、ロバート・デ・ニーロの役作りに関して語ったマクラなんて、楽しさに溢れているはずなのだが。
なんだか、演者と客の醸し出す楽しいワールドからはぐれてしまったので、自分でも驚くほど楽しめなかった。
小劇団のあるあるネタを拡大したもの。
サゲが読めてしまった。これも、読めたから価値が低いなんていうのではない。
没入していないから、サゲが読めてしまったことが過剰に気になるということである。
せっかくだからお知らせ。
5月16日~21日は鯉八アート展。
21日は芸協らくご祭りと被る。
そして21日から30日は、末広亭夜席でトリだそうです。正式発表ではないそうだが。
ああ、この日来なければトリの席にも行きたいと、きっと思っていたろうな。
この日は千円払うと、終演後鯉八師を囲んでお話できるんだそうだ。
もちろん帰る。
居残る客は傲慢で、狭いハコなのに椅子にふんぞり返ったまま。上手の客が出られないのに。
私は最近、芸協びいきだったんだけど。
そして私の中の、新作落語の積み上げも崩れてしまった。
とりあえず3月下席、落語協会の新作まつり(池袋)に出向いて、新作落語とのつきあいを取り戻そうか。
古今亭駒治師の野球落語が聴きたいなあ。
とにかく残念。とにかく無念。
いつもの倍書いちゃったよ。
不快な経験を上下に分けたくなかったのだ。
続編のようなもの:野球と落語と英雄いじり(大谷翔平とイチローとなぜか小三治)
こんばんは。
今回も詳細なレポートと正直なお気持ちの吐露ありがとうございます。
先日放送されたスカパーの落語会で花緑師が引き寄せの法則を含むスピリチャルなことに傾倒していることをマクラで話しているのを聞いて、気持ちは分かるけど、それって人前で言うこと?と違和感を覚えましたが大谷翔平disはそれ以上の違和感があったことだと思います。
陰と陽の説明やら古典落語でのオカマをdisるギャグ(僕は笑えません)が今でも普通に寄席で語られていることを考えると、意味のないマイノリティ差別は落語の一部なのかもしれません。いいか悪いかは別として。大谷翔平は完璧すぎますから、かなりマイノリティな存在とも言えます。
師匠方が妖艶な美女を演じて恥ずかしいからつい口にしてしまうのが「オカマ」なのかもしれませんが「オカマ」というワードだけで笑う客がいる以上なくならないでしょうし、鯉八師のファンがそれでいいなら脈絡のない悪口も成立してしまっているのでしょうね。残念ですが。そんなのを繰り返して、あの「オカマ」師匠が出る芝居は行かないようにしよう、トリならヒザまで見て帰ろうになります。
いらっしゃいませ。
「オカマ」で笑いを取る師匠のことをなぜ嫌に感じるかというと、そういう師匠はたぶん生理的にその存在が嫌いなんでしょう。
嫌いなら、現代社会ではその感性はまず隠しておいたほうが無難です。
なのに、自分の共通認識(LGBTは異世界のフィクションであり、現実世界であるこの仕事場では誰も興味がない)を確認しようとして喋っちゃうんじゃないかと。
森喜朗や河村たかしと同じマインドなのだと思います。
森喜朗みたいな噺家を、好きになる方が難しいですよ。
存在を、生理的に嫌に思っていない演者が喋ると、そういうギャグも楽しいものです。まあ、それもやっぱりダメと思う人もいるでしょう。
鯉八師の高座を振り返ると、きっと毎回、大谷翔平の悪口で笑いを取っていたのかなと。
いつものギャグで笑いにする前提なくウケを取れると思っていた演者もダメだし、常連客はもっとダメだなあと。
「自分がスーパースターに比べていかにダメか」というギャグができる人なら、もっと違ったんでしょう。
鯉八師は、そのようなギャグの入れられないスタイルでやっていたので、実は非常に不器用なのです。
その新作も、どんどん袋小路に入っていくのではないかと。
当分聴きにいかないので、どうなっても知りようがないですが。
自称赤べこ女さんからコメントもらってましたが、NGワードに引っ掛かったようで勝手に削除されていました。これ幸いです。
本当に本人なら、でっち定吉の怒りが伝わったようで喜ばしく思っています。
自称ですかぁw
メールをいただければ、どこに座っていたか、髪型などお教えしますよ。
常々「同調圧力」は日本の失われた30年の元凶、と思っていますので行動を変える気はありません。
世の中、いろいろな考え方があることを再認識できたのは幸いです。ありがとうございました。
同調圧力などというワードを使って、痛い客であることを正当化しないでください。
ただ、人に対する気遣いがないだけです。