柳家小ゑん「鉄寝床」

先日、久々に黒門亭に出向いて、柳家小ゑん師ネタ出しの「鉄寝床」を聴いてまいりました。
小ゑん師ファンのおじ様方が集結して大盛況でした。
私も大満足で帰ってきました。

今回の「鉄寝床」は初めて聴く作品である。鉄オタ落語だと思っていたのだが、少々違っていた。
「鉄寝床」は、もちろん鉄道オタクも喜ぶだろうが、これはむしろ、落語オタクのための作品。古典落語「寝床」の大変忠実なパロディであった。
鉄道知識がなくてもまったく構わないだろうが、「寝床」をまったく知らずに聴いたら、楽しみが半減してしまうかもしれない。
そういう意味では、寄席より黒門亭向きの噺だろう。
聴き手の脳内にある「寝床」が、「鉄道模型運転会」を主宰する鉄オタの旦那によって、二重映しに再現される。この、微妙なブレが楽しく、ときに一致する。一致すると立体視ができて、より面白い。
「大変忠実なパロディ」であるからこそ楽しい。非常に愉快な体験だった。

ただ一般的にいって、忠実なパロディは、原典の面白さにはかなわない。
「寝床」は「道楽の行き過ぎで他人に迷惑を掛ける」という、万人にわかりやすい素材を扱っている。原典が普遍的な題材を扱っているがゆえに、原典の面白さに匹敵するのは大変難しい。
例として挙げるのは非常に申しわけないのだが、「野球寝床」という、本業よりもタレント活動のほうが有名な師匠の新作落語がある。
「野球寝床」も決してつまらない作品ではない。人気のなかったころの千葉ロッテマリーンズの試合観戦に、ロッテグループの関係者が声を掛けられるものの、すべて理由を付けてやってこないという。
「野球寝床」が本家「寝床」にかなわないのはあたりまえだ。しかし、小ゑん師の「鉄寝床」は、このレベルを軽く凌駕していた。
私の脳内で「野球寝床」は完全に粉砕されてしまったが、これもパロディの宿命だ。

「鉄寝床」と「野球寝床」の違いはなにか。結局は、「落語のレベル」に尽きるのだろう。
小ゑん師匠の落語は、世界観が突出していたとしても、常にそこに、練られた古典落語と同じ種類の心地よさが漂っている。この点、古典落語とまったく違うフィールドに出ていって闘おうとする三遊亭円丈師とは、同志であってもまとう空気感が大きく違う。
古典・新作を問わない、「落語」全体が有しているバカバカしい空気を、小ゑん師は常にまとっている。
本家「寝床」が有する本質的なバカバカしさを、師は増幅して立体的に見せてくれるのだ。楽しくないわけがない。

落語オタクの支持を得た小ゑん師、少々遅めですが今からブレイクしていくはずです。いやほんと。

作成者: でっち定吉

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