黒門亭23 その3(春風亭柳枝「野ざらし」)

仲入り後は春風亭柳枝師。
あまり聴いていない人なのに、出囃子の「都囃子」に妙に聴き覚えが。芸協で春風亭かけ橋さんが使ってるからですな。
柳枝師、真打になり大名跡を襲名してからは、初めてお見掛けする。
別に避けているわけでもなんでもないが、妙にすれ違う師匠というのはいるものです。

「連休の中、お出かけ場所も多数あるでしょうにわざわざ黒門亭に足をお運びいただきましてまことにありがとうございます。我々も、うるさいよ!」
流れるセリフ回しで、賑やかな袖に向かって苦情を発する。大爆笑。
いや実際、柳枝師が上がってから、袖から大きな声のお喋りが聴こえてきて、うるさいな、困った人たちだなと思ってたのです。ちょっとうるさいんじゃないと客が思った矢先のドンピシャのタイミング。
袖から声が聴こえてきて(三遊亭ふう丈さんらしい)「源平師匠ですよ」だって。
林家源平師匠がお帰りになる際、袖に挨拶していったのが盛り上がりすぎたのでしょう。

いやあ、黒門亭は緩いですねと柳枝師。今日の楽屋は源平師匠がずっと喋ってて賑やかでしたよ。
ベテランの師匠とお話できるのは楽しいことです。
柳枝師は昨夜、池袋演芸場で大喜利大会に参加したそうで。文蔵師主催のもの。
別に私、大喜利得意というわけじゃないです。ただスケッチブックで回答する際、絵をちょこちょこ書くのがわりと評判で、一度優勝したんです。
昨日はチャンピオン大会ということで呼ばれました。
大喜利は落語よりずっと頭を使います。ちょっとフラフラで、今日はあまり大した落語はできませんと断ってから、釣りのマクラ。
「私急ぐんですから」と「人の釣りを半日眺めていた男」。

釣りのマクラ自体は極めてメジャーなのに、ここから入る本編は決して多くない。「野ざらし」が長期衰退気味だからだろう。
釣りの噺というと他には、「馬のす」と「唖の釣り」か。どちらもマイナー。
野ざらしは「ひとりキチガイ噺」なので流行らなくなったと言われて久しい。でも同系統とされる湯屋番はそれほど衰退していない。
野ざらしも、今に盛り返すと思っているのだが、「昭和元禄落語心中」があってもなお盛り返していない。上方では流行ってきたみたい。
そんな噺だが、ここ黒門亭では私もずいぶん野ざらしを聴いている気がする。なにか客との妙な相性があるんでしょうね。
「この人針取っちゃった」まで。

柳枝師の八っつぁんは本格派のガラッパチ野郎。
声もまあ張り上げる。それも客の度肝を抜くために。
飛沫飛んでますぜ。

柳枝師、場面ひとつひとつはわりとくっきりはっきり、演技も強めに描写する。
なのに、全体の印象はわりとあっさりに映る。不思議な芸だ。
クスグリも濃厚に見えて、全体に注目するとそうでもない。
すべてのシーンに、展開上での必要性があるからみたいだ。
若々しさと老成という、真逆の要素が見事に両立しているではないですか。

壁に穴開けたり、「つかつかつかつか」の後で紙入れしまったり、客には全部しっかり伝わるのに、でも軽い。
もう一押し、の寸前でやめる主義みたい。

釣りの現場に着いてからの、八っつぁんのひとりキチガイ振りは圧巻。サイサイ節も炸裂。
やってる柳枝師も、とても楽しそう。
やっぱり、この場面もすべてくっきり、しかし軽い。
針の刺さった八っつぁん、とっととじぶんで抜いている。

いやあ、本当に楽しかった。
落語とは、つまり春風亭柳枝の野ざらしである。
本当にそんな感じ。
久々に野ざらし聴いて思ったのだが、新作派に、この噺やってみて欲しいなと。
噺がウケる、というのはどんなことなのか、野ざらしにすべて詰まってる気がする。
昇太師匠にやって欲しい。

トリの林家きく麿師も、マクラから爆笑でした。
私が大谷翔平disり一発で離れてしまった芸協の瀧川鯉八師と顔がよく似てるとされるきく麿師だが、今回師の高座を正面から見て気づいた。
あれ、白鳥師にそっくりだ。
顔の造作が似てるというのではないのだけど、師がマクラで「フフッ」と笑いながら語る顔が、白鳥師と瓜二つ。
兄弟弟子でもないのだが、なんだか似るみたい。新作への向き合い方が近いからだろうか。
この感想はピンと来ない人のほうが多そう。実際、寄席の隅の席から観ていても似てるとは思わないだろう。
白鳥師の顔も、黒門亭で向かい合って拝見しているから初めてわかるのだ。

師匠が元気でいてくれるのはありがたいことです。
なにしろ恥ずかしいことできないですからねときく麿師。

続きます。

 
 

先代柳枝

作成者: でっち定吉

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