今回の黒門亭、ツイッタラーが8人! 多すぎやしませんか。まあ、定吉がいたぐらいですから。
上の広告本の著者の方もいらしていたようで。
しかしながら、佑輔さんに触れてた人はほぼいなかった。
1部のほうはツイートひとつもなし。埼京線に轢かれて右腕切断の大空遊平先生が出てたのに。
黒門亭は前回、3月に出向いたのが実に3年振りだった。
二度目の今回になってようやく、黒門亭の皮膚感を思い出した。
仲入りに出ていた林家源平師を聴いて。ああ、ベテランを聴くのが黒門亭だよという。
落語協会員はとても数が多い。たとえ寄席の定席に通ったとしても、鈴本とか池袋は顔付けが結構偏っている。
たまに修正しないと、偏ったままになってしまう。
そのなかなか巡り合わない人たちの長講を、じっくり聴けるのがここだということを。
源平師を聴くのは、2017年以来だと思う。
国立演芸場の正蔵師の芝居のヒザ前を務めていたのを覚えているのだが、当ブログにはなにも書いていない。
特に感想がなかったみたい。
だが今回、見事な試し酒を聴かせていただいた。
源平師、日常使う言葉のリズムを取っ払い、棒読みでダダダダダっと攻め立ててくる。
マクラは、「この日のために稽古してきたんですが、もう出てました。72歳の高座をご覧ください」と手短か。
出てるもんか。
商家の旦那、二人の会話。
源平師の棒読みを聞き流していたため、一瞬頭に入ってこなかった。
だが、じきに棒読みの落語に輪郭が生まれ、登場人物のやり取りも生き生きしてくる。棒読みの世界にだって、棒読みの喜怒哀楽がある。
ああ、こういう語りの効能を考えたのはいつ以来のことか。
棒読み落語は、様々な枝葉末節を全部カットし、最速で違う世界に運んでくれるのである。
超ベテランの棒読み、すばらしい。
一生懸命メリハリある演技をしながら(あるいは、それゆえに)行き詰まった若手も、棒読みに切り替えたら蘇るかもしれないよ。
そんなに簡単な方法論ではないだろうけど。
落語の棒読みについては、名文筆家の林家はな平師がnoteで面白いことを書いている。
『左の腕』(無名塾)を観て
文中の、小三治の語る棒読みの勧めだけは納得できないけど。言行不一致の人なので。
そして、今回の源平師(はな平師と同門である)の棒読みも、方法論はまた違う気はする。
それはそうと、棒読みは悪いものでないという点ではな平師のnote、大いに参考になります。
はな平師の落語も、棒読みかどうかはともかく、上げ下げの少ないものだ。それでちゃんと芸術祭優秀賞獲ったのだから。
そしてはな平師の文章自体も、フラットで高座に似ている。
定吉さんも見習ったらどうでしょうか。
棒読みワールドに突入したので、この前の佑輔さんの高座がリセットされ、気付かなかったけども試し酒の主人公も清造だよね? 権助キャラの。
なのでだろう、源平師、酒飲み奉公人の名前は出してなかった記憶。さりげなく丁寧な仕事。
そうすると、ツいた感じは全くないのだった。名前はともかく「また権助か」と思った人もいると思うけど。
試し酒にも、人間関係が濃厚なものがある。
二人の主人のややこしい人間関係が、酒飲みの清造を通してより複雑に描かれるというものもある。
それがいけないというのではないのだけど、源平師の棒読みワールドには似つかわしくない。
私はこの、人間関係のシンプルな世界が好きですね。
二人の主人は、互いに対し肚にはなにもない。
清造を迎える主人は、拍子抜けするほど勝ち負けにこだわりがない。5升飲み干す男を見て、負けても実に嬉しそうだ。
複雑な世界を好む師匠は、実はシンプルな世界を描く自信がないだけなんじゃなかろうか!
シンプルな世界だと、客が勝手にその裏を想像できていいんじゃないか。
私は、本当にシンプルな世界として楽しみたいけど。
試し酒は、中手(拍手)を入れやすい噺。
ただ、最初の一杯で手を入れてしまうと、その後4回(4杯目は描写されない)叩かないといけなくなる気がする。
だから手の入らないほうがいい。入らなくてホッとしたりなんかして。
コロナの前から、黒門亭は中手が実に少ない席である。
中盤になると、当初の棒読みはなくなっている。
実際には、語りはずっと同じなのだけど、新たな喋りの体系が確立したのである。
そして、なんの入れ事もない酒飲みの世界、実に楽しい。
二ツ目さんも、源平師に教わったらどうでしょうか。基本がしっかりしているから、アレンジしやすいのでは。
というか、アレンジなしで掛けてみるのがいいんじゃないかな。
そんなにもったいを付けず、しかしながらちゃんと懸命に5杯目を飲み干す。
実にいい心持ちであります。