仲入り休憩を挟んで、柳家喬太郎師。
文珍師の使った見台と膝隠しがそのまま。さらにあいびき持参。
寄席で使う釈台ではないので、演者の下半身を完全に覆ってはいない。師があぐらをかいている様子が2階席からは見える。
でもいい。台があれば格好は付く。
昨秋「昭和大学名人会」で、正座できない超ベテラン2人があぐらをかいて高座を務めていたのだが、決していいビジュアルではなかった。
なぜ喬太郎師がこのスタイルなのか、説明はもう、しない。
喬太郎師、コロナ陽性でもって連休前半は休養。でも5日からもう復帰して、浅草夜席のトリを取っていた。
その話もしなかった。
確かに、コロナで休業した噺家はたくさんいるが、自分の療養について語ったのは一之輔師ぐらいだったか。
いずれネタになると思うが、目の前の客を不安にするのは避ける。
喬太郎師が陽性となり、心配するツイートに違和感を覚えたことはもう書いた。
私の中ではすっかりコロナが軽くなり、基礎疾患のある喬太郎師についても、心配なんて一切しなかったので。
3年前からコロナは軽かったなんて言いませんよ。そう言うのは心底ヤバい人たちだ。
数あるツイートで、心底呆れたのがひとつ。
「喬太郎師のようにまだまだコロナはあるのだから、電車内ではまだマスクをすべき」だって。
もう罹ったところでさ、という話でしょ? その例が目の前にいますよ。
「待ってました!」の声に喬太郎師、「そんなに待ってないよ」。
さらにこのタイミングでの「たっぷり」に苦笑して、「今から3時間やってやろうか?」
我々は、北海道から九州沖縄まで旅に行きますが、多くが日帰りです。
お客様には大変ですねと言っていただきますが、それでも飛行機や新幹線で行く遠いところだと、かえって開き直って気合いも入るんです。
むしろ、中途半端に遠いところがね・・・
まあ、平井までかな。
そんなわけでね、何が言いたいかというと、今やる気出ないんだわ(見台に頬杖)。
自分のコロナではなく、コロナで寄席が閉まった混乱を語る。
知らない言葉ができましたね。ディスタンスといえば「星空」でしょ?
そしていきなり「農耕接触」小噺。
これはかなりウケるし、小噺としての完成度が出色で、実に楽しい。
声の変え方、キャラの描き方などなど、この小噺一つに師の落語のすべてが詰まっていると思う。
それから北海道で経験した学校寄席、帯広で経験したJアラート、それと薄くつながるジェラートと月の家鏡太。
今席でのマクラは、すべて昨秋鶴川で聴いた内容でした。そして短い。
不満かというと、そんなことは全然ないのだけど。
帰る際に、若い女性の二人組が、「短かったよね」と語り合っていたが、喬太郎師のことに違いない。
せっかくキョンキョンに期待して来たのに、物足りなかったんでしょうな。
わかる、よくわかります。一度喬太郎師の破壊的な新作や、人情噺を聴いたならば。
でも、その短めで軽い一席、私にとってはやたら楽しかった。これもまた、師の持つ味のひとつだ。
なにしろ一晩寝るたび、この軽い「普段の袴」の価値が高まっていく。
トリの好楽師に配慮し、軽い一席。
そして、文珍師が新作だったので古典落語。
トップバッターが地噺だったので、スタンダードなスタイル。
すべて当然の仕事。だが、主役を張らない出番でも、しっかり楽しい一席。
もちろん、仲入り後の客をあっため直すことも必要だが、そのためのマクラはすでに振った。
これから鈴本に行きますとマクラの最後に振り、江戸時代、上野広小路に道具屋さんがありまして、と普段の袴。
喬太郎師のこの噺を聴くのは初めて。
そもそもあんまり出る噺じゃない。
イメージとしてはほぼ春風亭一之輔師。演芸図鑑にちょうど柳亭市馬師のものが出たばかりだが。
喬太郎師は市馬師に教わったものか。
調べても情報ほとんど出てこないので、最近覚えたのではないかと思われる。
喬太郎師、鷹揚な侍が上手い。ギャグなしで、客を実にリラックスさせつつ道具屋の主人との会話を進める。
この部分が実に楽しい。面白いことを言わずしてユーモアを漂わせているからであろうか。ユーモアとは、人生の余裕。
そして時そばパターンで、侍の真似がしたい八っつぁん登場。
一之輔師は八っつぁんをエキセントリックな男にして、爆笑ものにしていたが、そういうものとはまるで違う。
でも、「本寸法」と言われるものとも違う。
なにしろ袴を貸してくれる大家のみならず、道具屋の主人まで、このへんちくりん野郎を受け入れてしまうのである。
ないよ、そんな古典落語。
実は激しく変えてるのに、効果はひっそり。なんとも贅沢なことをする。その贅沢さが響く。