立川談吉「ピッケル」

BSトゥエルビで、「ミッドナイト寄席」という番組をやっている。二ツ目、それも年数の短い若手を多く集めている企画ものである。
二ツ目の落語を聴く機会は、それほどはないのでありがたい。私の通っている「寄席」では、二ツ目さんは最初にひとり出るだけだから。

落語の完成度自体は、正直あと一歩というところ。
一般的に落語初心者は、「笑点メンバー」、それから「真打」という肩書をやたらありがたがる。ひと様の、その価値観に基づいて書いたものを読み、苦笑を禁じ得ないことがある。
でも、二ツ目の落語を続けて聴くと、そういう感覚がふいにわかることがある。
初心者の感覚というものは、意外とツボを突いているのだ。その感覚を忘れることが聴き上手になるということではない。
うまい下手とは別次元で、ベテランの噺家、売れっ子噺家の高座を観ると、「お笑い」とは違うなにかをそこに感じるわけである。
逆に若手の未熟さが、面白さとは別に、必要以上に気になることもあるのだ。

でも、二ツ目を集めたこの番組、つまらないかというとそんなことはない。実に面白い。
これから先、出世していくのが楽しみ、という青田買い的な見方も確かにある。だがそれ以上に、今現在の未完成の噺の中に、発想のすばらしさであるとか、新たな切り口であるとか、そういった光るものを見ると大変嬉しくなるのだ。
こういうものは、古典でも新作でも、感じる人には感じる。

その中で今日は、たぶん一番ウケなかったであろう噺に着目してみる。実際、客が静まり返っている。
立川談吉「ピッケル」。
断っておくが、談志の最後の弟子であるというこの人について、私はほぼ知らない。立川流の二ツ目さん、二重の意味で出逢うチャンスがない。ほぼ知らない、その人の噺に大変インパクトを受けたのだ。
マクラで語っているが、普段は古典落語しかやらないのに、たまに新作落語をやりたくなる「性癖」があるそうだ。そしてこの新作がわかりにくく、需要がないのだと。
まあ、こんな挨拶なら、実際のところ非常にわかりやすい噺を手掛ける三遊亭白鳥師だって言っている。
だが、談吉さんの噺、本当に需要のなさそうな内容だった。
再度の断りだが、この人の古典落語も私は知らない。たまたま聴いた新作落語の中に感じたことが、この人のすべてである。

デート後の男女が、今日の振り返りをしている。男ばかり喋っている。
見た映画の内容を語る男。
<女の子の落とし物を男が拾って手渡す。「落としましたよ、ブーメラン。ブーメランはちゃんとブーメランホルダーに入れておかなきゃ」と言ってその場は別れる。しかし運命が二人を出逢わせる。男がスクランブル交差点で大玉転がしをしていると、それが女に当たって恋になる。>
男が言う。定番だけどさ~。

はっきり言ってつまらん。こんな感じの、ちょっとズレたギャグが延々と続く。
しかし、つまらんギャグを堂々と喋り切る肚の座りようは見事だ。柳家喬志郎師みたいだ。
だが、わざわざ論評しようと思ったのはこの点ではない。最終的には褒めます。

***

立川談吉、You Tube に動画がいくつか載っているが、あえて観ない。
TVで流れたこの新作落語「ピッケル」だけを見てコメントする。

順番は前後するが、マクラからこの噺、変だ。
オリンピックのボルトの話題を出してきて、「ボルトより速いものがある。F1だ」。そしてオチなく放りっぱなし。
なにか違う。
不快感が溜まっていく一方で、あまりにも堂々としたその態度にすがすがしさを感じ、目を離せなくなっていく。

「シュールな笑い」を求める人もいるでしょう。あまり落語のほうには来ないような気もするが、でも「シュールな落語」を好む人もいる、はず。
でも、実際のところ「シュールな落語」はそうそう成り立たないだろう。どこかに客との接点が必要だ。そうでないと、ただの独り言になってしまう。
ただ、噺家の中に、笑いのツボがちょっと違う人というのは確かにいる。三遊亭丈二師とか。
丈二師、凄い発想力の持ち主で、ときどきびっくりさせられる。しかし、兄弟子の白鳥師に言わせると、「自分の中の面白さを他人に伝える能力が足りない」のだそうだ。だから、もうひとつ売れない。
丈二師のような落語が滑ったとき、その状態を「シュール」というのではないだろうか。
でも、たとえコケたとしても、その発想力自体には敬意を払う。

「ピッケル」にも、似たものを感じる。結果的に陥っている「シュール」とでもいうべき状態をいとおしみはしないけど、攻めてる姿勢には共感する。
ただ、姿勢だけでは、わざわざここで取り上げない。

「ピッケル」に出てくる彼女、彼氏のボケなのかなんだかわからない発言に、終始気のないそぶり。なぜか。
話したら、なにかをぶち壊してしまいそうだったので我慢していたが、意を決して話す彼女。
「あなたの鼻を、小さな登山家が登っている」
朝から登山家が鼻を登っていたため、デートにも気が乗らなかったのだ。
しかし、言ってすっきりした彼女を尻目に、彼の方は別に動じない。
それでも妥協して、登山家を取り除くことに同意するが、彼女に取ってもらおうとしてもなかなか取れない。彼氏の鼻の穴に吸い込まれてしまう。
結局、くしゃみとともに登山家は飛んでいくのだが、その後、彼が鼻をかむと、中から小さなピッケルが出てきた。

ストーリーを書いてみても、改めてまったく楽しさの感じられない噺だ。
客席は静まり返っているというより、凍りついているのでは。むべなるかな。
これだけウケず、しかしこれだけ堂々としているのは偉い。
放送事故レベルで、普通はオンエアしないだろう。
そのシュールさについてではないとすれば、私はなにに惹かれたのか。「情景」にである。

  • 彼氏の鼻を登る小さな登山家
  • 喫茶店で休んでいるときに、鼻の登山家も一緒にポットからコーヒーを出しておいしそうに飲んでいた
  • 鼻をかんだティッシュから、小さなピッケルがでてきた

この情景だけで、私はこの噺と噺家「立川談吉」に大きな敬意を払うものである。
こういう「情景」こそ、古今東西の落語、さらにファンタジーともつながっているのだ。
たとえば、思いつくままに。

  • 「鷺とり」で鷺に連れられて宙に舞い、五重塔に引っかかるシーン
  • 「天狗裁き」で奉行所から天空に連れ去られるシーン
  • 「小倉船」でフラスコに乗り海中を漂うシーン
  • 「レイダース 失われたアーク」のラストシーン
  • 「となりのトトロ」の、サツキたちが木と一緒に宙に舞うシーン、およびネコバスの疾走

情景描写により、人が共通して持っている深層心理を揺すぶることだってできるのだ。
「ズレ」があるからこそギャグが生まれるが、客の笑いたいツボとギャグがズレているのはちょっとした悲劇だ。これはなにとぞ修正してきていただきたい。
この修正はなかなか大変だとは思う。しかし、上に書いた「情景」を思い浮かべる能力、これはもう、能力を持っていない人が頑張っても一生得られないものだ。この大きなアドバンテージに比べれば、修正の努力など、まだ小さいのではないか。

作成者: でっち定吉

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