梶原日曜寄席 その2(桂佐ん吉「妻の酒」寄席の赤ん坊についても)

桂佐ん吉師は、先輩の桂わかば師の話。
関西の落語ファンにも、名前と顔が一致しない人ですとのこと。
この人はしょっちゅう飲みに誘ってくれる。
あるとき待ち合わせ場所に行ってみると、べろべろのわかば師はビショビショのジーンズを履いている。
佐ん吉師を待っているうちに漏らしてしまったらしい。大丈夫、じきに乾くから。

わかば師は、いつもおごってくれるのだが、どうしてお金持っているのか不明。
わかば師は90歳のお母さんと一緒に住んでいる。結婚していたが、奥さんに追い出されたのだ。
あるとき、酔いつぶれてパトカーで自宅に護送されてきたのだという。
夜中に起こされた奥さんは当然不機嫌。わかば師が「あ、荷物をパトカーに忘れてきた」
「あんたが私のお荷物や」。

こんな話、配信があるのに話していいんでしょうかと佐ん吉師。
いいんでしょう、きっと。

最適のマクラから、酒の噺へ。
いつもべろべろで自宅に帰るので、奥さんが機嫌が悪い。
友人が言う。うちで飲め。そして、奥さんにも飲ませなさい。そして灘の生一本をくれる。
酒の嫌いな奥さんに飲ませ、翌日二日酔いになった奥さんに優しくしてやりなさいという計略。
期待通り、奥さんは酒を飲み、どんどん陽気になってくる。だが、やがて悪い酒グセを見せる。
想定と異なり、近所迷惑なレベルまで奥さんはエスカレートしていく。

こんな噺あったっけ?
上方落語だからって、知らない噺はそうそうないもんだ。
知らない噺は新作の可能性がある。でも、そうは思えなかった。
新作落語というのは、たとえ擬古典落語として作ったとしても、古典落語と文法がどこか異なるもの。これは、私の尊敬してやまない小佐田定雄先生の作品ですら、やはりそうなのだ。

仲入りを挟んだ後半で夢丸師が述べていたが、これは芸協新作の「妻の酒」であった(柳家金語楼作)。しかも、佐ん吉師が知ったきっかけは、一緒の会で掛けていた夢丸師なのである。
妻の酒というタイトルは知っている。寿輔師で確か聴いたことがあるのだが、まったく思い出さなかった。
思い出せないのもある種当然で、佐ん吉師は完全に古典落語として語っていたからである。
すごいな。夢丸師の語る通り、芸協新作には大変な数があるのだが、現代でウケるものは少ない。
というか私に言わせればだが、なまじ膨大なストックに頼りすぎたがゆえに、新作落語でもって落語協会に抜かれることになったのだと思う。
この妻の酒に関しては、芸協で普通に掛けてウケない理由はわかる。いかにもいにしえの夫婦のスケッチのムードだからだ。古典落語のような普遍性を獲得できていないのである。
上方に持っていったのが功を奏したのだろう。セリフをいじって自分にフィットさせていく過程で、古典落語の魂が宿ったのだ。
もちろん、これは佐ん吉師の偉大な功績である。

上方落語でも最近よくやる「替り目」に似た夫婦の情が終始漂っている。
そして佐ん吉師、まだ39歳と若いけども、語りがいい意味でベテランっぽい。わかりやすく言うと「大人」である。
サゲも、芸協新作と考えると「なあんだ」なのだが、古典落語と捉えれば実にスムーズ、いいかたちである。
立派な古典落語に成長したから、今後大阪で流行る気がする。東京の芸協新作の系譜にも、上方のエッセンスが逆流入してきそう。
「古典落語を増やす」シーンを目撃できて、私も興奮している。
こんなふうに古典落語の魂を注入できる素材、たくさんありそうだ。

夢丸師によれば、佐ん吉師、東京に出てきた際に稽古を付けたとのこと。
そして今日も、夢丸師に聴いてくれと頼んで上がったのだそうだ。

続いてお目当ての夢丸師。待ってましたの声も飛ぶ。
佐ん吉師と同じ年の生まれだが、1年後輩になるようだ。
なにを考えてるかわからない夢丸です。あんなこと言われてるんですね。
でもこの後飲みに行くんですよ。今日中に大阪にお帰りだそうですが。

夢丸師は今日もせわしないがクセになる語り。マクラも本編も。
この語り、没入してももちろん楽しいし、ときに一歩引いて眺めてもまた楽しい。
ひとつの高座で二通りの楽しみ方ができるのである。贅沢だ。

夢丸師、たまに地方の会のあと、自費でもう一泊することがある。
こんな話をしていたら、後ろの席から赤ちゃんの声。うーという喃語。
ええ、赤ん坊?
夢丸師、すかさず拾って、ああ赤ちゃん、可愛いですねと。
しかし赤ちゃん、もちろん生き物。泣いてるわけではないが終始声を立てる。
おーい、冗談じゃないぞと思う。
結局、赤ちゃんの声は止まらないので、いったん赤ちゃんをおぶったお母さんは退席。
本編に入っていた夢丸師が大きな声を出したため(展開上、当然必要)、赤ちゃんは驚いたようだ。

勘弁してくれ。関係者か、その筋に近い客なんだと思うが。
世の中子育てについてはもちろん優しくあるべきだ。電車の中で赤ちゃんが泣いていて、お母さんがうろたえているときに、舌打ちするような愚かな大人を増やしてはならない。
でもここは、寄席だ。落語を聴きに、オカネを払ってくる場所だ。
落語なんて、酔っ払いの不規則発言などちょっとしたことですぐぶっ壊れるものである。
寄席に赤ちゃんを連れてきていい権利なんて、ない。あり得ない。
客が高座をぶっ壊していい自由がないからだ。
子育て中のお母さんだって、落語を聴きたいって? わかるよ。でも、預けてきてくれ。
預けられないのなら、数年我慢してくれ。小学生になってから、一緒に来ればいいじゃないか。
私だって、高校生の息子が小学生の頃から連れてきている。だが迷惑を掛ける状態で連れてきたことなんてない。

楽しい夢丸師のマクラがちょっとグズグズになった。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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