神田連雀亭ワンコイン寄席21(下・林家つる子「七段目」)

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小太郎さん、「おそしさま」、ってハッキリ言ってた。「おそっさま」のほうが江戸っ子ぽいと思うが、まあよい。
前日も円楽党の前座さんから聴いた堀の内だが、小太郎さんはとにかくテンポがいい。
展開もスピーディだ。
金坊と湯に行って、まず床屋に入るなどのくだりはカット。
楽しい一席。
退場の際、メクリをそーっと返してじらす小太郎さん。どこからでもウケを狙うな。

神田連雀亭ワンコイン寄席は、各人の持ち時間が20分である。
この日は、竹千代さんが18分くらい、小太郎さんが16分くらいだった? トリのつる子さんのために時間を余していたようである。
主役に対するさりげない心遣い。

林家つる子「七段目」

年金生活のお父さんを動員するジジ殺し噺家つる子さん、満を持して登場。こういうムードを味わうのは、神田蘭先生の披露目のとき以来だ。
「やりませんよ芝浜なんて」。
小太郎さんの触れていた、落語のメモ書きについて。
自分もオチケンだったので、客席にいた頃はやっていた。
「悋気は女の慎むところ」と聴いて、あ、悋気の独楽だ。そう思ってメモに書いたら権助提灯だったなんて。
だから客の気持ちはわかるが、いざこちら側に来てみると、これは気にする師匠が多いんだと。

落語はハマリやすい。マニアになると、日常生活から落語口調になってしまう。
いっぽう、歌舞伎もまたマニアが多い。「芝居心のねえ犬だ」のマクラ。ほう、芝居噺だ。

芝居噺を掛けようというのは立派だ。二ツ目さんでも、持っている人は一部だろう。
相当熱心に勉強しないとできないものね。芝居もたびたび観にいかないと。
なのだが、芝居噺が見事な師匠のものから、つる子さんのものは大きくはみ出る。
はみ出たらダメなのか? 決して、そう思っているわけではないけれど。
でも、市馬師や正雀師を思い浮かべれば。若手の勧之助師でもいい。
そういった、抑制の利いた芸からはみ出た個性で一席やりきって、つる子落語を完成させれば理想なのだろうが、あまりにも高すぎるハードルのように映る。

地がしつこいのがつる子さんの類まれなる個性であり、ウリ。これは大事。
でもしつこい地に、しつこい演技が乗っかるとなあ・・・生理的な嫌悪感とまではいかないのだけども、なんだかちょっとなという。
楽しい個性はともかく、やはりある程度抑制の利いた芸になっていないと、芝居噺は完成形にはなり得ないのではないのでしょうか。

小僧の定吉が演じるお軽の芝居は、結構いいなと思った。
役柄として演じているのは小僧だけど、女性のつる子さんにお軽が直接出てきたからのようだ。
でも、若旦那が演じる平右衛門、つまり男の役の芝居が過剰すぎる。落語のクスグリになる過剰ならいいのだけど、完全に芝居を楽しむシーンになってからもなお過剰。
女性のつる子さんだが、普通に落ち着いたトーンで芝居噺、できると思うのだけどな。
「くどくやらなければつる子落語でない」という自ら課した縛りがあるのだろうか?

現状は、新作のほうが向いているのかなと思った。くどい新作が。
でも、「あなたは新作をやっておくべきだ!」なんて言いはしない。
新作落語だって、古典をやることでパワーアップすることが間違いなくある。
今後どんな方向に向かうかわからない若手に対して、方向を定めろなんて言ってはいけません。まあそもそも、ただの無責任な素人の感想を聞き入れるような噺家もいないけど。

楽しいワンコイン寄席だったことは確かです。
私に関しては、今後つる子さんを追いかけて独演会に行くということは、たぶんないと思う。
池袋の二ツ目枠あたりでまたお目にかかりたい。

作成者: でっち定吉

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