小ゑんハンダ付け「三遊亭円丈作品集」(その2・円丈を偲ぶトーク)

毎年キングオブコントについて、採点付きでいろいろ書いている。
今年は、いろいろくたびれるので採点はしなかったが、ちゃんと全部観ていた。
旬を逃してしまうのだが、落語のブログだから仕方ない。いずれなにか書こうとは思う。

ところで私、落語を「お笑い」の土俵で勝負させても意味がないなんてことを常日頃書いている。
落語の笑いの量は、コントや漫才にかなわない。それで全然いいのだ。価値は笑いにだけあるわけではない。
と思いつつ、昨日の喬太郎師の「稲葉さんの大冒険」、笑いの質・量においても、キングオブコントを凌駕していたなと。
別に、あちらの大会に出ていた芸人を下げる意図は毛頭ありません。
さてコントを観るときは、「飛躍」「会話の妙」「設定の変質」「狂気」などに着目する。
だがこういう要素、喬太郎師のぶっ飛んだ落語にはすべて詰まっているなと、あらためて認識。
トドメが、松の木を無理やり背負わされて、引きずりながら商店街を抜けてトボトボ帰っていく稲葉さんの造形。
こういうすごい落語を目にした際は、「笑い」がいかに優れているかもちゃんと考察すべきであるなと。
円丈師が作った笑い要素に、さらに喬太郎師が上乗せをしているのだからもう。

ちなみに私が喬太郎師にやって欲しかった円丈作品は、「わからない」だ。
この出番じゃどのみちできないけど。
これだけすごい笑いに圧倒されつつ、なお求めるものが笑いではないところが我ながら面白い。
今月聴いていたく感銘を受けた「普段の袴」だって、極めて面白いけどあれだって「お笑い」のステージとは違う場所にある。

さてトーク。
下手から、天どん、喬太郎(釈台つき)、彦いち、小ゑんの各師匠。
披露目の口上も覚えておけるようになった私だが、披露目にはまだ、流れというものがある。
話があっちゃこっちゃ飛ぶフリートークだと、流れはない。それでも、覚えていることをとりとめもなく書いてみます。

終わったばかりの「稲葉さんの大冒険」について。
長谷川さんの部分は自由に作るところらしい。
小ゑん師もこの噺をさせてもらうが、長谷川さんを植木屋にして、ユンボを持ってくるのだと。
彦いち師は、ぼくはさん喬師匠のを聴いたことがありますよとのこと。なんだか、やる気なさそうな感じで演じてましたとのこと(もちろん反語だと思う)。
やっぱり円丈師がいないと、今の新作落語もないねと。

天どん師がお土産持参。
おかみさんがもう捨てようとしていた師匠のメガネ4つ。出演者に配り、掛けさせる。
それは東京かわら版の撮影の際必ず付けてたものですよ。
そういえば、こんなメガネしてたねとか。

昨年11月30日が円丈師匠の命日でしたと小ゑん師。
天どんさんに、師匠の命日いつだったっけと訊いたら、11月31日って言ってました。
ちなみにぼく、11月30日が誕生日ですと喬太郎師。だから、円丈の生まれ変わりなんです。
どういうシステム? 被ってますけどと彦いち師。
個人的に、一昨年の11月30日は鈴本で喬太郎師の文七元結聴いたなと思い出す。

天どん師によると、この会は白鳥師が呼ばれたのに、断ったのだそうだ。もういいよとか大丈夫だよとか言って。
それで私が呼ばれたのだと。
あの人、そこらへんにきっといますよ、呼んだら来るんじゃないですか。
円丈の弟子たちが、師匠に対しいかに複雑な思いを抱いているかは繰り返し東京かわら版誌面等でも語られているところだ。
昇太喬太郎彦いちは、あの師匠のいい面しか見てきていないのだと言う。

兄弟子白鳥はクズだ。
師匠が亡くなった翌日、家に集合したが、白鳥師はニヤニヤしながらやってきた。そして、後ろにカメラ(彩大師)を引き連れている。
俺が手を合わすシーンをしっかり撮影しろよと。
師匠の存命中から、そして死後もずっと高座で師匠の悪口をつぶやいている天どん師だが、どうやらこのファンキーな一門ではいちばんの常識人らしい。
それを思い知った。

小ゑん師も珍しく愚痴をこぼす。
無限落語会を発展させ、新しい会をやろうと円丈に言われる小ゑん師。
じゃあ、若手を入れて、面倒な会計とか全部やってもらいましょうと提案すると、ダメだと円丈。
丈二さんなんかいいじゃないですか。ダメだ、丈二になにができる。
天どんさんでも。もっとダメだ。小ゑんさん、あんた全部やってくれ。
ここ演芸場の上にある「カフェ・ド・巴里」で、会の名称について3時間議論する。
2文字にしたいんだと円丈。「にう」で行こう。
言われた通り、チラシを手配し、東京かわら版にも掲載を依頼した翌日円丈から電話があった。
「昨日の件だけど、『にう』じゃなくて『にゅ』にして欲しい」

円丈は新作仲間を増やそうとしていた。
古典しかやっていなかった小ゑん師が声を掛けられたのは、マクラが面白かったから。
無精床の前に、美容室のマクラなど振っていた。
円丈は語る。古典派を10人連れてきても、新作ができるのは1人いるかどうかだ。君には素質がある。
小里ん、さん遊といった師匠にも新作をやらせていたが、どうしても口調が古典落語になってしまう。それで若手に声を掛けたのだ。

彦いち師は、実験落語の次に開かれた応用落語の第1回の前座だった。そこからもぐりこんだ。
最初に作った噺は、「ひき逃げ」に喜びを覚える男の噺。
第2回の前座は喬太郎師だった。
その頃、札幌でだけ「さん喬・円丈二人会」というものが毎年開かれていた。
そこらへんで、新作やりたがっているという話を伝えてもらえたのだろうと。

円丈師はほとんど寄席に出なかった時期がある。ゲームを作っていた頃。
その頃は寄席で会わないので、円丈とのパイプもなかなか作りづらかったようだ。
天どん師も入門した頃、そういう時代だったので、師匠の高座を聴く機会は少なかったそうで。
ちなみに天どん師がプロになりたいと、最初にツテを頼って相談した相手が喬太郎師だったという。

ネタおろしはなかなかできないが、タイトルだけ先出ししなければならない。
円丈は言う。いいんだよ、なんだって。
そのため、変な演題を先出ししていた。
喬之助師は昔から新作落語の会に通い詰めていたので、その頃のチラシをたくさん持っている。
彦いち師の、そんなタイトルだけ先に付けた落語を喬之助は知ってるのだと。

円丈師匠は昔の話をしなかったねと一同。したがらなかったのだ。
ろんだいえんにはわりと書いてあるねと小ゑん師。
昔、ボクシングのリングを模した高座を作り、その高座でもってヨネクラボクシングジムの米倉会長をヤクザ呼ばわりしたことがある。
ちゃんとジムにも行って、取材を兼ねたトレーニングも積んだのだから、恩人を誹謗してしまった格好になる。米倉会長に呼び出されて激しく詰められた円丈師。
そういう過去は、言いたがらなかったそうだ。
小ゑん師が、「オレンジに下剤入れた人だからね」。
あったねー、そんなのと一同。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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