正義の皮を被ったパワハラ発見(吉本ばなな)

当ブログは基本、落語だけでやってる。
それ以外、社会全般について思うことは多々あるけども、落語とまるで無関係なことを書き殴りたい意欲はそんなにない。
珍しく今回、書きたくなったことがある。
ただし、書く前からわかっているのだが、完全に少数派の意見。
単なるひねくれもんじゃねえかと思われるところまで覚悟したうえで、どうしても発言したくなった。

吉本ばなな氏、取材依頼めぐりカンテレから謝罪も当該ポストは削除せず「私は反対やな」(日刊スポーツ)

これもまた、ドラマ原作改変事件に端を発している。まだまだ続くんでしょう。
作家・吉本ばななが作品を作る側として事件にコメントした。この内容(なにがあっても、原作は強いし、残る)については、共感した。ただしそうでないのもある。
ともかくポスト(ツイート)を、関西テレビが見つけて、吉本ばななに取材を申し込んだ。
ちなみに、森川ジョージや百田尚樹にも同一内容のポストをしていることがX民により発見された。公開なんだから発見しておかしくはない。

§

突然のご連絡、失礼いたします。 関西テレビ「LIVEコネクト!」スタッフでございます。吉本様の投稿を番組でご紹介させていただきたく、ご連絡いたしました。よろしければ、アカウントをフォローしていただき、メッセージからやりとりさせていただけますと幸いです。

§

これが関テレの定型フォーム。
この存在はX民にとってはなぜか、「関テレは吉本ばなながどれだけ偉い作家か知らない」という感想となるらしい。
なんでそういう思考回路になるのか、少数派らしい私にはさっぱりわからない。どう考えても、作家であることを認識して頼んでいるに決まってるじゃないか。
X民の、知識マウンティングの一種に過ぎないと思う。

ともかく、吉本ばななはこれをX上で断った。

ポストをタップして開いていただければ、時系列までわかる。
これでやりとりとしては終わりなのだが、フォロワーが暴走したため、関テレ側が炎上したということらしい。
私もくれぐれも気を付けないといけないなと思った。私自身が炎上するかどうかという話ではない。
ここまで時系列を追って、ようやくなにがあったかわかったのだ。後追いのレベルでは、「吉本ばななが関テレの依頼に不快感を表明した」と思い込んでいた。
フォロワーが騒いだので、初めてその後の二次発信につながったのである。
この記事を起こす私のテンションとしては、作家・吉本ばななに対する批判も含まれていたわけだ。途中で気づかなかったら、ここで書いてること自体ただの因縁になるところだった。

とにかくも、自覚のない、正義の皮を被ったパワハラをここに見た次第。

関西テレビのツイートが、どことなく失礼(に映る)ところまでは私も同意するものである。
なんで、てめえに返信するためにフォローしなきゃいけないの? ここまでは同じく思う。
しかしなあ、テレビ局としてはいろいろやってみて、これが効率的だと思ったわけだ。
フォローしろというのが傲慢だといっても、フォローしなきゃDM送れないんでしょう?(ひとりもフォローしてないのでよく知らないのだが)

人間、それまでの常識にそぐわない通信を見ると、未知のものへの拒否感が発生する。そこまでは無理ない。
だが、冷静に考えれば、感情的なフォロワーにののしられるほどの内容と仕事の仕方には思えない。実際、こんなのよく見るし。
気に入らなければ無視すればいいだけである。
勝手にテレビ局は傲慢だという、肥大してきた認識をぶつけ、怒りをたぎらせる相手としてふさわしいほど失礼には思えない。

「まともな社会のわれわれ」vs.「非常識で傲慢なテレビ局」という認識のもと批判を始めているフォロワーやヤフコメ民、そんな単純でいいのか?
私が思ったのは、世代対立のほうだ。
最近の若者はビジネスのやり方も知らない、と上の世代は勝手に思っている。
しかし、新たな文化が登場しているのだから、それに対する評価はとりあえずニュートラルであったほうがいい。
未知のものを怖がり、その恐怖心をテレビ局の傲慢というトレンドにぶっつけ、憂さを晴らすというのは知的ではない。

吉本ばななも、もともと罪のないことは理解したうえで、やはりちょっとだけ批判させてもらおうか。
ポストを投げかけてくる側は、そこで完結しなければもう終わりにしたいわけだ。
それが、新たな仕事のやりかた。確立しているとまでは言わないが。
だが、X上で断りを入れた際に、作家はこうも思ったはず。

<ちゃんと依頼したいのだったら、公開してるんだし事務所に電話してくるでしょ>

ところが、「承知しました。ご対応いただきありがとうございます。」という、(一応)丁寧な返信があって、ここで終了。
作家としては、ここにカチンと来た。そのカチンが、後の対応に現れていると思うのだ。
なに、電話してくる気すらないの?

しかし、相手にも相手の時間がある。
「私のために時間を掛けるべき」という意思が働いたとき、相手の時間を奪うことについての配慮はあったか?
絶対ないと思う。古い時代であれば、そういう丁寧な仕事が求められたからだ。

<私のような作家に対して、Xで問い合わせしてきて、断ったらおしまいって、それはあんまりにも失礼じゃない?>

こういう怒りは、潜在的には間違いなくあると思う。
だが、ポストしてくる側はそこまでもの責任を負ったうえでやらなきゃいけないことか? 「断られたら引き下がる」そう実行しただけなのに。
そもそも、相手が大作家だろうがなんだろうが、やらなきゃいけないことをやるだけだ。
いろいろ番組のネタを拾わなければならない以上、断られたら(無視されたら)それまでだ、先を急がないとならない。
すでに意識から吉本ばななは消えた。
だが、消されたほうが不満をつのらせている。そういう状況。

ポスト担当者が若者だとして(30~40代でも驚きはしないが、ここは若者と考えましょう)、この件関テレ内で局の偉い人に叱られたとする。
これも相当理不尽な気がする。
関西テレビを代表して、こういうポストをあちこちに投げかけていた。礼を逸しないように気を付けてもいた。
なのに叱られる。

ここがパワハラだというのです。
加害者は、世間。ちょっとだけ吉本ばなな。
なまじ、「テレビ局は悪」だという正義の皮を被っているだけにタチが悪い。

ここまでお付き合いいただいてもなお、「でっち定吉はテレビ局の味方なのか?」という見方しかしない人もいると思う。
テレビ局の味方ではない。
関西テレビの過去の不祥事だって認識している。「あるある大事典」は本当にひどかった。
だが、今はそんなことを言っているのではない。
フォーマットにのっとって仕事をして、そしてそしられるとしたら、こんな気の毒な話はないと思うのである。
作家の側の不快感(吉本ばなな本人は、行動としてはむしろフォロワーをたしなめてはいるものの)とは、まるで釣り合わない理不尽さではないか。

こういう一見不快な仕事の仕方、どんどん主流になっていくだろう。
発信する側の気持ちもわからなければ、やがては老害として自分が糾弾されるだけになる。
常にアジャストしていかないと。
「テレビ局だから」という偏見は妨げになる。

こうして誰でも、パワハラ加害者には簡単になれるのである。
そのことは常に頭の隅に置いておいたほうがいい。私はそう思うのです。

作成者: でっち定吉

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