落語界のパワハラ事件は、いまだ世間を揺るがせ続けている。
その世界に身を置いている人も、言及している。
桂南光、はなし家師弟のハラスメントに言及「理不尽な世界」も「頼んで入る」「会社と違う」(日刊スポーツ)
噺家は、70、80代でもものの考え方の柔軟な人も多いのだが、72歳の南光師はダメだな。
まあ、鬼丸だって世代は全然違うが、まったく一緒だけど。
「今、はなし家の師匠と弟子の間でもハラスメントありますから。師匠が黒いものを白いと言ったら、そう言わなしゃあない、というそんな世界やのに、東京の方のはなし家で師匠を訴えた人がおりましたからね」
「普通の会社の上司と部下と違いますからね。その人を頼んで弟子に行ったわけでしょ。嫌やったら辞めたら済むことやのに。それを裁判にしたことについて、みんなはこの事に触れないけど、私は納得いきませんね」
南光師の噺は嫌いじゃないが、性格は昔から相当に難のある人。
この程度は実のところマシなほうではある。従来の師弟関係に固執しているというだけで。
多くの人が、この見解を生理的に拒否するにあたり、言うだろう。「令和だぞ」。
だが、私に言わせればそもそもだ。南光師が思い浮かべている師弟関係なんていうもの(噺家を続けたいのなら我慢しろ)が確立した時代がいったいいつあった?
露骨に暴力を振るわれても我慢しなきゃならないという時代なんて。
米朝一門は、誰も辞めていないことで有名。辞めさせもしなかった。
これ自体は時代や東西を問わず、むしろレアケース。
その(実質)惣領弟子である枝雀も同様。廃業者はひとりいるようだが。
だが枝雀の弟子、南光師は3人廃業させている。実質的には破門であって、残っているのは南天師のみ。
こういう人が、師弟関係の「あたりまえ」を語ってそもそもいいのか?
パワハラ被害者の立場に立ち得ない人にあたりまえを語られてもね。
上方落語界は、米朝が入門した頃滅びかけていた。だから弟子は大切にしたと思う。
松鶴一門は(少なくとも表面的には)そうでなかったようだが。でも両門とも、弟子をどんどん増やしていった。
四天王の弟子、孫弟子あって、今の上方落語界の盛況がある。
時代に合わせて、師弟関係も当たり前に違ってきている。昭和の終わりと令和だけ比較し、昔はよかったと嘆くのは、そもそも成り立っていない。
私は何度か書いている。文楽、志ん生なんて何度師匠を変えているか。
その頃は、弟子の関係は緩やかだったと推測される。協会の縛りなんてのもなく。
ただ文楽も志ん生も、これと思った師匠にはとことんついていった。
いつでも師匠を見限ってよそに行くことが可能であった時代があったのに、弟子の師匠に対する強い思いだけがのちの時代に再現される。アホらしい。
まあ、みんなフィクションが大好きだから、伝説を好きな部分だけ強化してしまう。
私の最も唾棄するフィクションが、「一般人が特殊な世界に入門し、厳しい修業の結果新たな生を受け、超人になる」である。
なりません。
最近の落語界、特に落語協会においては、実質的に移籍の自由が制限されていたのだ。幹部連中の極めて自己中心的な事情によって。
今回の圓歌パワハラ事件は、これを背景にして起こったものでもある。
弟子はひどい師匠を見限り、よそに行きたかったのだ。それを阻止したのは当の師匠のほう。
移籍が実現していたら、師匠を訴える必要まであったかどうか。
少なくとも弟子も今後を考えていたのに、「辞めればいい」というのは無神経すぎるだろう。
ちなみに上方落語界だったら、年季を明けていれば師匠の下を辞しても、そのまま活動できる。活躍はできないと思うが。
南光師の「辞めれば」には、「廃業」だけでなく「フリー」という意味も含まれているかもしれない。だが、どのみち東京ではこんな方法は極めて限られており。
弟子がないがしろにされたのは、もうひとつ理由がある。弟子がまだ二ツ目だったこと。今でもだけど。
まだどう化けるかどうかも不明な噺家が、ひとり抜けても誰も困らない。残念ながらこれは事実で、私もこの認識を十分理解している。
もっとも二ツ目だとしても、すでに突出した才能が認められていたなら、もっとあっさりと芸術協会への移籍(送り出し)が、関係者の尽力を持って実現していたように思うけど。
昨日取り上げた遊雀師がそう。師は真打になっていたけども、実力者でなかったら廃業しておしまいだった。
本当は、弟子の実力とは関係なく、「個人の尊厳」「意思の尊重」などの材料も併せて持ってくるべきだろう。
フリーで活動中の二ツ目、立川幸弥さんなど、楽屋のいじめで芸術協会を追放された人である。それはひとつの正義。
だが、前科があっても噺家を続けたい若者にチャンスを与えるのも正義。そんなに単純に割り切れる問題ではない。
元・三遊亭天歌、現・吉原馬雀さんについては、実力込みでその戦いを応援していたわけではなかった。
だが先月末に聴きにいった高座はすばらしかった。振り返って、廃業しなくて本当によかったという結論になる。
鬼丸なんて目じゃないので。これは本当です。
明日はタイトルを変え、続けます。