春風亭柳昇

笑点の司会に就任した春風亭昇太師匠。
その師匠は、故人である五代目春風亭柳昇。


「私は春風亭柳昇と申しまして~ 大きなことを言うようですが今や春風亭柳昇といえば~ わが国では~ わたしひとりでございます」

私の幼少時代、特に演芸番組だけ熱心に見ていたというわけでもないのだけど、どういうわけかTVで見た柳昇師匠は記憶に残っている。
他の噺家さんで覚えているのは、人間国宝、五代目柳家小さんだけである。
柳昇の新作と、小さんの古典。
当時から落語において古典と新作の区別は別にしていなかった気がする。今でもそうだが。

芸人のたたずまいを表現するのに「フラ」という言葉があるが、柳昇師匠ほど「フラ」が感覚的にしっくりくる人はいなかった。
というか「フラとはなんぞや」を考えたときに、落語界から思い浮かぶのはこの師匠だけだ。
桃太郎、鯉昇、昇太といった柳昇一門の噺家さんたちからも、師匠由来の「フラ」のようなものを感じる。
もっとも、柳昇に感じたなんとも表現できないオーラとイコールではない。弟子たちからは、もう少し作り込まれた個性を感じる。
昇太師匠の語る柳昇師のエピソード。食卓を囲みながら柳昇師が「昇太、ナスはおいしいね」と言っただけで昇太師は面白すぎて爆笑してしまったそうである。
もちろん柳昇師だって、高座に上がるため作り込んでいたんだろう。作り込むのが悪いというのではない。

今でも聴ける動画が多数あるのはありがたいことである。
そして、今聴いても噺がまったく古びていないのも素晴らしい。
新作落語は宿命的に古びるのが早い。特に、柳昇師も所属していた落語芸術協会で掛けられていた多くの新作落語は。
古典落語に対抗して「同時代」を語ろうとしても、語った現代が直ちに古くなっていく。
だが柳昇師匠の新作落語は強い。古典、新作という識別以前に「落語」としての普遍性をいち早く獲得しているためだろう。
普遍性とはなにかというと、「落語らしい」ということ。答えにはなっていませんが。

ちなみに、一番弟子の昔昔亭桃太郎師は、「春風亭柳昇」の名跡を継がせるならば、昇太師しかいないとお考えのようである。出典は桃太郎師のブログです。

作成者: でっち定吉

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