そろそろ上方落語協会の会長選。
選挙で会長が決まる落語の団体は、ここだけである。
選挙と言っても、立候補制ではない。協会員が勝手に誰かに投票するのである。
現在の会長は笑福亭仁智師。3期6年にわたって協会を取り仕切っている。
人徳もあるのだろうし、この人の場合「笑福亭で吉本興業」という、珍しめの属性もものを言っているのではないかと思っている。
笑福亭はおおむね、所属会社は松竹芸能。ただ、仁鶴一門をはじめ、一部が吉本興業所属。
協会全体を見るにはバランスのいい位置づけである。と勝手に私は思っている。
会社が違う関係で、故・仁鶴は松鶴を継がなかったものと思われる。6代目の惣領弟子なのに。
まあ、そんな話はよろしい。いずれ仁智師に仁鶴襲名の話が持ち上がるだろうが、それも今日はいい。
ともかく、仁智体制は安定しているようなのだが、身内である笑福亭から物言いがついた。
笑福亭銀瓶師が、会長選に打って出たのである。
繰り返しになるが、立候補制ではない。ただ、名乗りを挙げておかないと投票してもらえない。
銀瓶師は、鶴瓶一門では極めて珍しい本格古典派である。
芸風はむしろ、桂米團治師に近いと思う。
上方落語協会は、長いこと文枝(三枝)会長だったのであり、古典派が巻き返すという構造があるかないかはわからない。
でも、そういうのもあるかもしれない。
東京の落語協会だって、先代圓歌、馬風と新作・漫談派が続いたあとで小三治会長になったのだ。
芸術協会を見ると、長年の米丸会長のあと、先代文治・歌丸と古典派が続いたが、今はまた新作派の昇太会長。
まあ、昇太師もやってるのは古典のほうが多いようだけど。
まあ、芸風なんてこの際焦点ではない。
このたびABCラジオなみはや亭に、銀瓶師がゲストで出て、上方落語協会選への思いを披露していったので。
メディアが特定候補に寄ることが、いいか悪いかは知らない。
ラジオで銀瓶師が語っていたのは、寄席(天満天神繁昌亭)の改革である。
面白いなと。
東京では、寄席の改革は各寄席のお席亭の仕事である。
席亭がいいと思えば、末広亭の芸術協会の席で顕著だが、若手が次々出てくるということにもなる。
若手のホープ小痴楽師が、たびたび番組を作ったりもする。
上方の寄席は復刻した存在のため、席亭にあたる存在がない。これを改革するとなると協会主導になるのだ。
銀瓶師はすでに、支持者をとりまとめているのだろうか。ある程度の勝算もあるのかもしれない。
寄席の改革とは、「若手にもっとトリを取らせたい」ということである。
この点偉い。ご自身は56歳で、すでに若手のトシではないのである。
ベテランのトリを減らすのが目的だから、銀瓶師のトリだって一緒に減るかもしれないが。
若手にチャンスがないような組織だと、未来がないとそう考えているのであろう。
すでに自身も役員としてこの働きかけをしているのであるが、今ひとつ仁智師の端切れが悪いようで。
というわけで、上方落語協会選は、「既得権益の一掃」がテーマである。実に面白い。
最近話題になっている、東京の真打制度にならった「成人式」も、若手の不満から目をそらすための執行部の妥協案だったのかもしれない。
上方落語協会は、若手が随分増えた。伸び盛りの組織だから当たり前。
若手のトリを増やそうという公約は、増えた若手たちの支持を受けるだろう。
そうすると当選するかもしれない。
しかし、銀瓶師の抱える本当のテーマは、違うところにあるのではないかな。
「若手だからトリが多い」なんてルールは、実のところ、なんにも解決しないのである。
味のあるベテランのトリを奪い、ヘタな若手に替えては、寄席の悪化である。
ここには、実力あるいは人気の物差しが必要だ。
ただ、「上手いやつなら若手でもトリを取らせる」だと、支持されない。
なので年齢に絞った選挙戦略なのでは?
上方落語協会はすでにコロナ前から、寄席の出番に実力人気を反映させよという不満がたぎっていたのである。
いつも同じマクラしか振らんヘタクソの出番と、上手いやつの出番が同じではいけないと。
桂文鹿師など、これで協会を抜けたはずだ。
しかし、寄席を発展させていくにあたり、段階的には平等にというのも手段のひとつ。
私などはそう理解している。そりゃ、落語好きとしたら上手い人が出てくるほうがいいけど。
そろそろ実力重視の顔付けに移りたいと、心ある協会員の共通認識ができつつあった。
そこでもって「若手抜擢」に的を絞った銀瓶師の戦略となる。
銀瓶師も、ヘタクソ若手の抜擢が主眼ではないはずなのだ。
会長になったら、実力は評価しづらいからさておき、人気を反映させた番組作りを勧めると思うのだがな。
それにしても、席亭がいないとまったくまどろっこしいものだ。
東京では、ベテランのヘタクソも、若手のヘタクソもどちらも寄席の出番ないですからね。
それを埋め合わせるため、協会の寄席『黒門亭」では、公平に出すということをしているわけである。