大谷翔平有責論を後付けで非難する文化の危うさ

※無実の反対は「有実」だと認識していたのですが、そんな言葉見かけなかったので、一般的な「有責」に修正しました。

冒頭に志らくのポストを張ったけども、今日は直接この人を「噺家批判」「立川流の困った人たち」シリーズの一環として糾弾したいわけではない。
こんな感じの、フラフラした意見に疑問をぶつけていきたいと思い例に挙げた。
一応落語ブログなんで噺家を。
とはいえ、今日はあまり落語と関係ないです。

私は、瀧川鯉八の「大谷骨折して欲しい」発言にいたく腹を立てた人間である。
ギャグだとわかっているものに、そこまで腹を立てたその正体は、その後も掘り下げ続けている。
気持ち的には、一連の事件において完全に大谷派(東本願寺みたいだ)。
世間と同程度には知っている大谷像から見て、野球賭博に関与しているとは思わなかった。
そして、意外とドライな人間関係から、水原一平を必要以上にかばったりもしないだろうと。
大谷は、暴れん坊だった頃の中田翔と、適切な距離の取れた人間である。

だが、感情と理屈は切り分けたい。
私の推測は、理屈で導いたものとは言えない。むしろ世の中、自分ではこう思っていたが真相は…なんてことばかりではないのか。
「ほら見たことか、大谷は無実だったじゃないか。よく清廉潔白で、野球少年が大きくなったままの大谷翔平を疑えたもんだ。疑ったやつは全員詫びろ」みたいな意見には、まったく与しない。
理屈が薄すぎるからだ。

心情的には全面的に大谷援護派である私が、援護派のおかしさを語るのは、わりと理にかなっていると思う。
私自信が「大谷怪しい」と思っていて、しかもブログにも載せ、しかしながら今になって「いや、疑うのももっともだったのだ」と声を上げても、誰も聞いてくれないだろう。
本当は、聞いてくれないのもおかしい話だが、読み手の多数がカチンとくればもう最後。

志らくという人、たまに世間にヨイショして、勘違いした層の支持を得ることに成功している。
それをとやかく言う気はない。
しかし、疑った自分が謝ったんだからみな謝れってのは大きなお世話。自分の内省を語っているようで、結局すべて自分基準、自分本位。
ダウンタウン松本に罪がないという根拠も、自分はそう思っているというだけのことでしかない。
なのに、それでしかないものの正当性を世間にアピールする。その場その場で矛盾したことを言い放って、最終的には談志を引き合いに正当化するだけの薄い男。

本心から大谷翔平の関与を疑っていた人は、謝罪する必要などない。
世間におもねって、あるいは真に詫びたくてそうするのは自由だが。

今回、大谷無実の中身はすべてFBIから出ているものだ。
もちろん、私も喜んだ。
ああ、みんなが思っているあの、野球がうまくなること以外一切の関心のない、あの純粋な青年像と完全に一致するねと。
だが、大谷無実に関して公式に認定されたソースは、これだけ。ひとつの事実に過ぎない。
別に、これと異なる結論があるかもなんて、陰謀論をたくましくする気はない。別の結論なんてないだろう。

ひとつの結論が明らかになったとき、それを知る前にいろいろ推理をした内容について、まるごとひっくり返して間違っていると糾弾する。
そんなのは理屈じゃない。
大谷は聖人だ。聖人を疑った貴様は悪魔だなんてレベル。
私の鯉八非難も、この隘路に陥らないようにするにはひたすら考え続けるしかない。
世間が、たまたま誤っていた推理を、結論一発ですべて糾弾しているようなのは、ちっともいい気分ではない。
そんな人たちと、同じ立場にいると考えるのもイヤだ。

スマイリーキクチなど、大谷有責派の人たちに向け、「憎しみ依存」だと非難したという。
この人が世間の誹謗中傷について語る際、いつもなら全面的に賛同している。
だが今回、ネットで無責任に拡散した人を非難しているようで、併せてその根拠を提供した文化人も斬っている様子である。
しかし非難できる根拠は、天から降ってきた結論にしかない。
さすがにあとから出た結論でもって、過去をひっくり返し過ぎなのではないか。

「大谷の関与なく送金できたわけがない」と信じていた文化人も、その根拠をしっかり持っていたのなら、後付けでもって非難する気には、私はとうていならない。
今後コメンテーターとして、仕事の事実上の信頼を失ったとして、その結果までは同情する気にはなれない。
もし逆張りが成功すればそれ相応のリターンはあったろうから。
今回失敗したことで世間の信用を失う、そういうことが仮にあったとして、それは仕方ないと思う。
だからといってコメントの根拠と、そう思った事実までをも全部否定されるいわれはない。

ひろゆきなんて没落してしまえばいいが、だからといってひろゆきが逆張りに失敗した事実を、米山隆一議員に退治された件と一緒くたにして叩くのも薄気味悪い。

今田耕司は、大谷有責派に対して「どんな気持ちなんやろ?」と煽ったという。
これが代表的だが、なんでFBIの発表の尻馬に平気で乗れるのだろうか。

あたしゃなにも、言論の自由に基づいて誹謗中傷が自由だなんて言わない。
Xで被害に遭うことだってあるし。
宴児家喧坊みたいに、ゴーマンな性格に基づいて、気軽に誹謗してくやつだって現にいる。
だが、一応の根拠があった上で大谷有責を主張したコメンテーターに関し、そもそも誹謗中傷だなんて思わないがな。

大谷無実に喜びあうのは結構であるが、喜べる根拠は上から降ってきたものだということは忘れないようにしたいものであります。

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 同意します。
    ある時点での情報に基づいて立てた推論が、その後の追加情報によって覆ったとて、最初の推論を訂正すればいいだけで謝罪の必要はありません。
    しかしその推論を発表したのがマスメディア上だとそうもいかないこともあることも理解します。炎上を恐れたり実際炎上したりで謝ってしまった方が楽だったりそこに圧力があったり。
    それでも、どれも日本国憲法で自由を認められた言論なのだとしたら、間違っていたら素直に訂正し、それ以上の謝罪は不要だと考えます。

    1. いらっしゃいませ。

      その後、皆さん謝っているようですね。
      「疑って悪かった」と自発的にお詫びするのはまあ、別にいいと思うのです。でも、推測の論拠がまるで筋違いだったというケースとイコールにはならないはずですが。
      非難する側も、コメンテーターの悪意を濃厚に感じたのなら、怒っていいと思います。
      でも、考え方自体がおかしいなんて言う非難はおかしいですね。

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