あかね噺はすでに10巻まで出ているそうで。
ようやく4巻を読みました。
eBookJapanで電子書籍半額だったので先々週、ネタのなかったときに買っておいた。
4巻5巻をまとめて買ったつもりが、間違えて5巻だけ買っていた。
ようやく、また半額になる先週に4巻を買い直しました。
買ってある5巻は近日中に読むとして、今日は4巻の範囲でのみ。
あかね噺はきっとアニメになるだろう。
落語周辺の基礎教養として避けては通れない。
そんなわけで半ば義務感に駆られ読みつつも、2巻3巻と、だんだん面白くなってはきたのだった。
当ブログのあかね噺記事は、酷評した1巻にアクセスが集中している。
「あかね噺 つまらない」でヒットするから。
その記事にも、褒めた2巻へのリンクは張ってある。だがリンクを踏んでいく人は少ない。
人間みな、自分の同調したい内容しか読まないんだなということがよくわかる。
さて徐々に作者が落語を内面化していくにつれ、世界が膨らみ、面白くなってきたのは事実。
そこで期待した4巻だが、ややガッカリ。
内容、ストーリー展開の問題ではなく、世界の設定。
せっかくここまで、落語界なんて地味な業界をなんとか膨らませてきたのになあと。
ここに来て、劇中の落語界の設定が、現実を踏み外してしまったという嘆きだ。
林家けい木さんが監修についてるはずなのに。
もちろんフィクションなのだから、現実の設定に即していないと絶対にダメなんてことはない。
昭和元禄落語心中など、現実の落語界と大きく違うパラレルワールドを描いていた。
だが、「これが落語界だ!」を濃厚に描いてきたあかね噺でもって現実を踏み外すと、白けてしまう。
これは最初の設定に大きな責任がある。
「真打になるのが目標」という、およそ現実離れした目標を連載の冒頭に掲げてしまったからである。
現実から違和感のある設定を回収しようとすれば無理が生じる。
ここまで自分で書いた内容自体に、かなりイヤな感じを味わっていることもまた確かなのだが。
自分の好きな業界が貶められたと、フィクションに大騒ぎするヤツほどイタいものはない。それはじゅうじゅうわかっている。
そもそも、現実を正しく映すのがフィクションの役目ではあるまい。
フィクションの中で整合性が取れてればいいのでは?
いや、それは確かにそうなんだけど。
結局、現実の落語界はフィクションの世界から見て緩すぎて、物語になりにくいみたいだ。
あかねちゃんは無事、大会で優勝し、談志を模した家元・阿良川一生と対面する。
どうしてうちの親父を破門したんだと問い詰めるあかね。
家元は答える。フィクションとしては完全に成り立つ答えを。
だが、落語好きで、落語界好きの私は転げ落ちる。
そもそも落語界において、「質の悪いヤツを落っことして全体のレベルを嵩上げする」なんて文化自体存在したことがないのだ。
そんなことを考えた噺家もいなかったと思う。
ヘタな噺家も、自分が好きでやってるのなら誰も何も言わない。そして、そんな芸人も落語界の裾野を広げるのに貢献すると、芸人の最大公約数は考えてきた、そう思う。
現実の談志だって、晩年に大量破門なんてやらかすが、それまで弟子を見捨てることはなかった。
たが、フィクションとしてはいかにも談志が言いそうなセリフになっている。そして、ある程度あかねも本音を聞けて納得する。
ただここに来て作者も落語界を知るにつけ、予防線を張る必要性に目覚めたらしい。
今までなかった設定が新たに付け加わっている。
まずあかねの親父は、直接の師匠から、他の一門への移籍も打診されたのだが、断ったことになっている。
変なリアル。
でも、実の師匠に破門されたのでなく、一門の総帥に切られたのである。破門してない師匠に義理立てする義務もない。
やはり、最初の間違った設定があとあとまでリアリティを損なってるのは否めない。
さて、あかねはついに前座となって、末広亭をモデルにした歴史と伝統の寄席で働き出す。
できれば、あかねでない前座名を付けて欲しかった。錦笑亭満堂で真打になった三遊亭とむさんだって、前座時代はこうもりだったのだ。
前座の楽屋働きが、かなり忠実に描かれていたのは悪くない。
私も、最初にこの部分を褒めたかった。
現実の寄席修業なんてもちろん知らないが、いろいろ見聞きして立体化してきた中身とのブレはない。
とにかく気働き。そして捨て耳。
「なんだこんな旧態依然のシステム!」と反発するほうがドラマとしては簡単だが、その道は進まない。
あくまでもあかね噺には、この道の掟を突き進み、一歩ずつステップアップしていくテーマがちゃんとあって、そことは矛盾しない。
けい木さんもきっとこの部分にOK出してるのだろう。
あと、一門で楽しくかっぽれ踊って宴会繰り広げているあたり。
これはけい木さんだけでなく、プロの噺家はみんな喜んだに違いない。
さて、談志もどきの考え方など、嘆いたところで仕方ない。フィクションとしては成り立ってるのだし。
最大の穴がある。
嫌味な二ツ目が出てきて、あかねと立前座に嫌味を言う。
立前座はなんでもこの二ツ目に暴力をふるったことにより、香盤が抜かれて前座に足止めされたらしい。
うーん。理由はどうあれ、前座が暴力振るったら現実では即廃業だろうなあ。
落語界は冷たい世界ではないのだが、前座に関しては理由があればやめさせても全然構わない、そんな業界だと思う。
立川幸弥さんも、楽屋で後輩をいじめて芸術協会を追放されたのだ。
ちなみにマンガだから悪役が必要なのは仕方ないが、これだけ嫌味な二ツ目は寄席に呼んでもらえないだろうなあ。
評判がすぐ席亭に伝わること必至。
さて、穴である。
二ツ目は毎日寄席に来るわけではない。出番もそんなにないし。
劇中でも、この嫌味な二ツ目「今昔庵りゑん」が、3人交互出演だということがちゃんと絵で描かれている。
なのになんで、嫌味を受けた翌日、開口一番のあかねが早速復讐することになるのか(次巻)。
実際の寄席では、復讐できる機会は10日間の興行でもう1回あるかないかだと思う。なにせ交互だから。
もうひとつ設定でびっくりしたのが、なんと立川流を模した阿良川一門は、落語連盟の内部の組織だったのだ。
内部にしては、好き放題しすぎじゃないか。勝手に真打昇進試験なんて。
なんで立川流を模した組織を落語協会のけい木さんが監修してるのかと思っていた。
後付けで合わせたのでしょうか。
まあ今日は、最初に嘆きとして湧き上がった部分を主に広げてしまった。
だが、ある種落語の修業が的確に描かれているのも確か。
そして、主人公の魅力がようやく湧き上がってきたのもいい。
これは難しいところがあって、強い女として描くのも、かわいい女子高生として描くのも違う。
だんだん、ひとりの噺家としてのバランスが出てきたようだ。
次に期待しましょう。
相も変わらず、ゆっくり追いかけていくのです。
続編:あかね噺5巻…いきなり感心しました(劇中世界が自立してきた)