基本毎日更新の当ブログであるが、4月は実に8日も休んでしまった。昨日もまた。
だからといって、アクセス数や広告収入が減ることもなく、結局日ごろいかにムダ撃ちしているかということがよくわかる。
効率的な運営に変わったのだ。そういうことにしておく。
上方落語協会選の後日談などネタがまるでないこともないが、今日の時点で書きたいことはない。
やはり買ったマンガの続きになってしまう。
あかね噺の4巻で書き忘れたことがひとつ。
楽屋働きを懸命にこなすあかね、絵で描写されるのが、兄弟子の作ってくれたマニュアルの存在。
マニュアルねえ。
芸協の楽屋において、師匠方のお茶の好みなど、すべてをマニュアル化したのが、春風亭昇吉師。
三遊亭遊馬師が高座で、「東大出の奴がこんなものをマニュアル化しやがって」と罵っていたのを思い出す。基本、穏やかな高座を務める人なのに。
マニュアルというものも、上手に、効率的に楽屋仕事をこなすためには必要なのかもしれない。現代的な働き方からもそう映るだろう。
ただ、あかねちゃんは旧弊な落語界をぶち破ろうと修業に励んでいるわけではないのだった。そうすると、マニュアル的なものはちょっと違うかなと。
さて前巻でもって、嫌味な二ツ目に復讐を決意したあかね、見事果たす。
はめ込み式のメクリには、「阿良川あかね」とフルネームが出ている。実際の末広亭には、亭号は出ません。
ネタはなんと、山号寺号。あかねはなんと、師匠から噺を5つだけ教わっていて、山号寺号はそのうちの一つだったのだという。
山号寺号ね。
私も、実際の高座で一度しか聴いたことがない。珍品好きの桂鷹治さんから。
山号寺号、たまにテレビで市馬師が出している噺というイメージ。そんなの、前座噺ではあり得ないのだが。
でも言葉遊びの噺だし、前座が実際にやったとして違和感がないのも確かだ。こんな噺、よく出してきたなと。
私も、前座噺が増えないかなといつも考えているもので。
ちなみに増やして欲しい前座噺は、「茶代」「六尺棒」「ろくろ首」「にゅう」「高砂や」「松竹梅」「だくだく」等。
劇中では、前座が二ツ目を潰したシーンは、魁生以来だなと述べている。急に出てくる名前が誰だか思い出せないが、たぶん談志を模した阿良川一生の弟子だろう。
前座が二ツ目を潰した現実のシーンは、一度観た。
前座は、桂宮治。演目はたらちねだった。
二ツ目は、まあ、いいや。今は真打で、私は非常に好きな人です。
あかねは嫌味な二ツ目より噺を語る能力で優っている。ただし山号寺号に楽屋の因縁に対する逆襲を入れてしまう。
二ツ目はタジタジ。しかしやはり嫌味なので、負けたあとも嫌味を放っていく。
さらにあかねの高座での嫌味を言いふらす。
ストーリー的には、これであかねが一気に楽屋で微妙な立場に立たされてしまうのだが、それは違和感ある。
前回も書いたように、あまりにも嫌味な二ツ目、落語界という実社会において、潰れるのはこちらのほうだろう。
さて二ツ目をやっつけたあかね、10日間の興行のうちもう一度高座に上がる機会が巡ってくるのだが、この先にいたく感心した次第。
あかねが入っているのは夜席(初めて知ったが)。
だが、昼席の最後(ネタ帳の扇子一本分)が、あかねが持っている5本の噺とすべてツくのだった。
すなわち、こう。
- 転失気(持ちネタ)
- 一目上がり(持ちネタ、子ほめとツく)
- まんじゅうこわい(持ちネタ)
- 金明竹(持ちネタ、寿限無とツく)
- 富久(持ちネタ、山号寺号とツく)
ツッコませてくれ。
ネタ帳の最後、全部落語ってどういうことだ。色物はどうした。
それから、昼席にはすでに「寿限無」が出ている。そもそも金明竹が出るのも変だ。
ただ、ツッコむのが本意ではない。
結局高座に上がれなかったあかねが、これを機に持ちネタを増やすことを決意したということ。
そして、たとえ夜席の前座でも、昼席とツかない噺をするため、あらゆる分野の前座噺を覚えることにする。
わかりやすいし、そして独自にちゃんと前座噺を分類している。
このあたり、単に監修のけい木さんに教わったというのではなく、作者がいろいろじっくり観察して見抜いたひとつの真実ということなのだろう。
他人がこうやって、現実の落語から法則を見出していると、感心するのだ。
さっそく、人格者の八正師匠が高座で「平林」を掛けているのに遭遇する。
無筆ものはまさに狙うべき噺だと考えたあかね、八正師匠に稽古を頼むが、断られる。
八正はあくまでも優しいし、その後の展開でもそう。だが、稽古に関しては、あかねの二ツ目への復讐を理由に拒絶する。
断るにはもうひとつ重要な理由付けがあった。自分の師匠に対して、「八正に平林を教わりたい」と相談したかどうか。
あかねは、自分の師匠には、よそから噺を教わる許可はもらっている。だが、包括的な許可(よそから仕入れてもいい)しかない。
こうした場合、現実の前座は自分の師匠に対して「八正師匠から平林のお稽古をつけていただきたいと思います」と相談する必要がある。
マンガではそこまで語られていないが。
噺を教わるのは、いろいろ面倒なのだ。
マンガでは説明不足になるが、本件の場合、手順を踏んで稽古の依頼をお願いに上がったとして、やはり最後に高座でのふるまいを理由に断られるということになるだろう。
さて、5巻は後半、圧倒的な華を魅せる女流大看板、「蘭彩歌うらら」が登場する。
これに触れずに今日の記事を終えてしまうのは、ちゃんと理由がある。
5巻にして初めて、マンガは現実の落語界を超えた。現状、桂二葉さんだって大看板の女流なんて地位には到達していないわけで。
現実を凌駕したストーリーについて、もはや現実と比べてどうこう言う気にはならない。
つまり圧倒されたがゆえに今日は触れません。
面白くなってきたところだが、またいずれ。