あかね噺6巻を読む 面白いがだんだん感想書きづらくなってきた

あかね噺はもう12巻まで出ているらしい。
半分のペースでゆっくり追いかけていくのろまな私。

eBooksJapnで3割引きだったので6巻を買いました。
実に面白かった。
だが、もはやこのマンガについて今後書きづらくなってきてしまったのも事実。

昭和元禄落語心中のときは、劇中落語について書いていた。これで、マンガで知った演目をもっと知りたいという層に響いたわけだ。
だがあかね噺は、劇中の落語の種類自体は決して多くない。そして、「山号寺号」とか、ちょっと変わった噺が多い。
そしてマンガの世界について、「その設定ヘンだろ」も、作者が業界に詳しくなるにつれどんどん減ってきた。
ヘンな設定をわかって入れる場合は、知っていればちゃんと説明がつけられるものだ。
そして前回、5巻。
とっておきの女流落語家、蘭彩歌うららが登場。
現実を軽く凌駕した人物に対し、現実からどうこうはもはや言えない。

6巻まで読んで、マンガがヒットしている理由はよくわかった。
わかってしまった以上、この先はもはやマンガ自体の強いファンでないと進めないかもしれない。
というわけで、アニメになる前にこのマンガを今後取り上げることがあるかどうか。
つまり、取り上げたとしてただのマンガのレビューになりそうで。
ともかく6巻。
かろうじて、設定にツッコミつつ。といいつつ、作品の側がツッコまれる箇所にちゃんと予防線を張っているので、強くもツッコめなく。

楽屋で弾かれ気味になるあかねちゃんが、女流の大家うららの懐に飛び込み、「お茶汲み」を教わり、アゲてもらった結果うららの会の開口一番も務めさせてもらう。
そして念願の平林を、八正師匠から教わることもできた。
ひとつの山場を乗り越えたのだ。

あかねの目標は、前座噺を増やすことにあった。
だが前座噺を増やすための手段として次々襲い掛かる障害を打ち砕いているうちに、大きなテーマを果たしてしまうという。
ジャンプらしい。かな。

最大のツッコミは、「入ったばかりの前座がなぜ廓噺を教わる?」である。
しかし前述の通り、ムチャな設定にはちゃんと説明がついている。
うらら師匠は、大きな使命を果たしたいと思う一方、ごく卑俗なレベルでは、若手に難題を与えて楽しんでいる。
なぜ廓噺、それもめったに掛からないお茶汲みを教えようとするかは一応説明されているのだが、まるで頭に残らない。
いいのだ、巨大障害物なんだから。

私は、女流には積極的に廓噺をやって欲しいなといつも思っている。
なにしろ廓噺は、花魁を描かなければ成り立たない。付き馬や突落しでは描かれないが、これは例外。
廓噺を女流が手掛けることで、さまざまな課題を解決できると思う。
花魁・女郎は必ずしも、男にとって都合のいい女ではない。古典落語自体が、男に都合のいい女を描くものだという常識を打ち破ってくれる。
もっとも、実際にやってる女流はあまり見ない。たとえ「紙入れ」は掛けても。
春風亭一花さんから、「辰巳の辻占」と「明烏」を聴いたぐらいか。
「徳ちゃん」なんて化け物女郎の出てくる噺、誰かやらないかな。

しかしお茶汲みとは。
ヘンな噺だよなあと思っている。そして、実際の高座で聴いたことはない。
爆笑ネタでもない。
珍しめの廓噺でも、お直しや文違いみたいなペーソスもなく。
まあ、オウム返しの変形ということになるだろう。
そもそも、作り話の花魁をからかいに、わざわざ出向いてネタを披露する男の遊びに共感できないと、別に面白くもないという。
そして、そんなに共感するほどのネタでもないという。

結局、花魁と、ついこの間まで女子高生だったあかねのギャップが面白いと成功を収める。
マンガはこのあたりで、もはや現実の前座の等身大から離れていってしまった。いい悪いではない。
「お茶汲みを教わって合格する女流前座」なんていない。マンガのほうには、現実とのギャップもなにも最初からないのだった。
こうなると、マンガの自立した世界の中では好き放題できるわけである。

とはいえ、そんなリアリティを放棄したエピソードにも、現実へのフックは掛かっている。
あかねは落語を聴きまくっているので、だいたいの噺はすでに知っている。お茶汲みだって、脳内にある噺と、目の前で稽古をつけてくれるうららの噺との違いを理解するので、すぐ覚えてしまう。
だが、知っているだけの噺はやれない。その掟もちゃんと書かれている。学生落語とはこれが違うのだ。

花魁の手練手管を学ぼうと、高校時代の同級生とデートしてみるエピソードはとても面白い。
問題は、年中休みのない前座がいつデートするんだということ。
まあ、夜席の前座を務める前だったと解釈させてもらおう。

「噺はともだち」であり、演者の成長に合わせて伸び縮みしていくことに気づいたあかね。
これまた、現実の落語界で聞いたことのない見事な比喩。

6巻の後半は、若手の天才阿良川魁生のエピソード。
珍しく寄席にやってきて、二ツ目枠で登場の魁生。
当然、前座が下りた後である。
そんな場面で「豊志賀の死」。んなアホな。
これまた、マンガの世界の中でもその珍奇さについて触れられている以上、なにも語れない。
その後出た真打は、転失気を掛けて大スベリ。

豊志賀の死も、マイナーではないけどもなにしろ大ネタ、そうそう聴ける噺ではない。
私も現場では一度しか聴いていない。
真景累ヶ淵のネタ出しでないとそうそう遭遇しないだろうなあ。
三遊亭白鳥師に、「豊志賀ちゃん」という愉快な噺がありますが。

ブログのネタが尽きて、7巻を読む気になったらまた続きを。

作成者: でっち定吉

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