神田連雀亭ワンコイン寄席53(下・田辺いちか「出世茶碗」)

続いて柳家小はぜさん。
先月45分の長講を梶原いろは亭で聴いた。
それはそれでいいのだけど、やはり私にとっては神田連雀亭で出す20分の高座こそ、この人の真骨頂という気がする。
自分のマクラは振らず、粗忽の小噺。
うち帰ってなにをするつもりだったか、どうしても思い出せない男。

粗忽の噺はおおむね4つあるが、粗忽の使者だった。
この噺は市馬師から来てるんだろう。

固い噺なので小はぜさんにはぴったり。
「いかがでごさるじぶたうじ」固くするほど面白い。
地武太治部右衛門の尻と一緒。

地味に編集する小はぜさん。
馬上でもって、「拙者の居敷を浮かせておる間に馬を回せ」。
ここで、わかりにくい「居敷」をわかりやすく仕込む。
それから馬の首を切ってすげ替えろの場面で「かように天気がよくてもか」を入れるのは普通だが、このフレーズを再度、口上を思い出すシーンに入れる。
天気がいいのにという唐突なフレーズは、本来は「ニカワが乾きやすい」を意味してるのだと思うが、現代ではむしろナンセンスさの象徴みたい。

治部右衛門、口上忘れて「切腹いたす」と言いたいが、粗忽なので「っぷくいたす」。
普通は「一服」だけど、陳腐に感じるのでしょう。重度粗忽だから、言葉のはじめが出ないという。

口上を忘れたシーンは、再度留っこの口で再現される。
ただの再現では退屈してしまう。客にとっては今見たばかりだし。
小はぜさんは、なかなかジミハデな工夫を凝らしていた。
治部右衛門という間抜けな野郎の様子がいかに楽しかったかを同僚に語るのである。
重度粗忽の繰り出すとっておきの見世物を目にした、その心持ちを語るのだ。実にムダがない。
この際同僚から、「留っこ」と呼びかけられているのもまた、地味な工夫。

中田留太夫に化けた留っこ。
三太夫に呼ばれても気づかず、小声の「留っこ」で「アウ!」と反応。
なんでもポ〜っとしてたんだって。
別にこんな説明入れなくていいのだが、「ちゃんと中田留太夫で打ち合わせもしてるのに、わからないはずないよね」と演者が思ってしまうんでしょう。

やっぱり小はぜさんはいい。先人の引き継いできた古典落語を語るには最適な人。
自己のマクラもトークもいらない連雀亭では、まさに名人です。

小はぜさんが釈台を持ってくる。
トリは田辺いちかさん。
たくさん入ったお客はこの人目当てなのだろうか?
笑顔が魅力的である。噺家でもそうであるぐらいなので、講談師で表情筋豊かな人は極めて少ない気がする。
神田京子先生ぐらいかな。

ただいまは粗忽の使者でして。
講談のほうにも、お武家の噺がたくさんありますと振る。
正直清兵衛さんが登場。
また井戸の茶碗かと思わなくもない。今年なにしろ落語で5席聴いてるから。

落語の原典である講談の「細川茶碗屋敷の由来」は、日向ひまわり先生で聴いたことがある。
だがいちかさんの解説によると、落語の井戸の茶碗を再度講談に移植した一席とのこと。
落語のほうが面白いということだろうか?
屑屋が集まり、架空の仇討について語るあたりは確かに落語っぽい。面体改めは嫌いなのか、多くない。
大きな設定が違っている。細川家の家臣は高木作左衛門でなくて田中卯之助だったし。
そして浪人のほうは、なんともう父が亡くなっている。病気の母と娘の二人暮らし。
より困窮している。

展開も変えている。田中は、清兵衛さんを見つけると、直ちに50両を持参して浪人宅を訪れる。
そして病床の未亡人は、なぎなたを振り回して拒否をする。
そこで慌てて清兵衛さんが大家を呼んでくる。

再度、この設定落語に持ってきたらどうでしょう。面白いと思いますよ。

いちかさん、笑顔と同様、極めてユーモアに溢れた芸人さんだということがよくわかった。
講談をもう少し数聴いていこうと最近思うようになったのは、ストーリーの面白さによるところが大きい。
江戸時代における庶民の教養の出どころであったその歴史もよく理解できるようになった。
とはいうものの、不満も感じる。
なにもあんなにはっきり、わかりやすい笑いどころを設けなくたっていいのにと思うのだ。
講談とちょっと似ている落語の地噺だって、ギャグを入れ過ぎると白ける。講談も、「ここはサービスで笑いを入れてみましたよ」とされると、ちょっと引くのです。
そもそも講談を志望する人、お笑い要素と無縁だった人が多いのではないだろうか。
落語も、クラスの人気者でもなんでもなかった地味な人がなんとかなることがあって、この点は似たようなもの。
だが少なくとも落語の場合、「面白さ」というのは常に芸人の意識の中にある。
ところが講談界は、面白さと無縁の人生を歩んできた人まで、紛れているはずなのだ。
それがいかんというのではないが、そんな人が義務感に駆られて入れる笑いが楽しいわけがない。
だがいちかさんは、講談師である前に芸人らしい。噺家や色物芸人と同じ要素が濃厚に漂っている。

ユーモア力の強い人は、なにもギャグを入れなくても終始楽しい。
落語だってそうであるように。
ギャグは、鑑定士の中島誠之助が茶碗をためつすがめつしているシーンぐらい。
また聴かせていただきます。

見事な古典落語2席とユーモラスな講談、楽しい連雀亭でした。

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作成者: でっち定吉

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