神田連雀亭ワンコイン寄席54(下・吉原馬雀「サイン」)

吉原馬雀さんは、来秋に昇進を控えているが、聴ける場所がなかなかない。
腫れ物にさわるようなところもあるものか。
なにも派手な活動をしているわけじゃなくて、組織の中で啓蒙活動しているだけだと思うのだが。
これからは、世間には新作落語家吉原馬雀のウデを買ってほしいものだ。
故郷の宮崎では活動してるみたい。

落語協会新会長のことも、自身の真打昇進のことも語らない。
まあ、なかなか語れないだろうけど。
天気の話などしていたが、皆さんお気づきのようにと話題を変える。
ここの持ち時間はひとり20分ですけど。
いま、12時です。気を遣ってもらったのか、残り30分も残ってます。
今日やりたい噺、もともと20分のネタなんです。
ただ、寄席で掛けられるように15分に縮めたところなんですよ。それで準備してきたんですね。
なので、先にお詫びしておきますけども、早く終わっちゃいます。
楽屋向いて、「今日追い出し太鼓はCDでお願いします。生だと上のオーナーにバレちゃうんで」。

以前小はださんからは、春風亭かけ橋さんの二ツ目披露に出かけた話も聴いている。馬雀さんには同情的に違いない。

先に書いておくと、時間を8分も残して終わったが、ガッカリ感はまるでなかった。
小はださんと併せ大満足だった。
まあ、確かに作法としてはマクラ膨らませるべきではあろうけど。

人間、自分をつい大きく見せてしまうことってありますよねというのが前振り。
そして、約束の時間が迫っているのにレストランを探してうろうろする男。ざるやみたい。

急いでいるのに、芸能人を見つけ声を掛けてしまう。
俳優の大河内まもるさんじゃないですか!
写真一緒に取っていただけないですか?
ごめんなさい、事務所に止められてるもんで。
出た、事務所。ならすみません、父が大ファンなもので、父と電話で話していただけませんか?
ごめんなさい、今から打ち合わせなもので。
出た、打ち合わせ。じゃせめて、サインだけでもいただけたら。
サイン? ああ、いいですよ。
こちらにお願いします。
え、スマホにサイン書けっていうの? ペンもなしに?
いえ、画面を指でなぞっていただきたいんです。スクショで残しますから。クレジットカードのサインを書いたりしますでしょ、あれです。

盛りを過ぎたカッコ付け気味のスターと、現代アイテムを駆使する若者の攻防を描く見事な一席。
サインの転売問題なども織り込む。

馬雀さんの新作落語は、共通項として「価値観の逆転」を狙っているみたい。
本作「サイン」は、そんな指で書くサインなんてと当たり前の拒否反応を示す役者が、ついに納得して応じるというのが最大の価値観の逆転。
しかし、慣れてないからうまく行かない。
もういいですからと言う若者を尻目に、納得いくサインを残せるまで何度もやりたがる役者。
ファンに無茶な要求される芸能人は気の毒だねという客の視線が、いつの間にかひっくり返っている。

普通の新作落語においては、「なぜか嫌な方法のサインに応じてしまう」が笑いになる。「なぜか」がありさえすれば笑いになり、それで十分面白い。
だが、作りが上手いなと思う。
この役者が、スマホ画面にちゃんとしたサインを残したくなった気持ちがよくわかるのだ。俺はこんなに字がヘタじゃない、慣れてないだけだという。
それに、スクショでもって先輩役者が字の震えたサインを残しているのも見ている。

対照的に、頼んでおいてはいるが引き気味の若者。
打ち合わせでお急ぎなんでしょう? ぼくも急いでまして。
そして、序盤の伏線を全部回収する見事な展開。

私の観察では、新作落語は日常からスタートして構わないが、どこかで「飛躍」を入れるもの。
ストーリー的に必要ない飛躍を入れてくることもある。その理由も理解しているつもり。
だが、馬雀さんは作りが違う。シチュエーションの背景に潜っていくのだ。
こういう作り方をする人は、本当に少ないと思う。

私は決して、馬雀さんを実力込みで応援していたというわけではなかった。「あの才能を守らなきゃ」ではなかった。
しかし、復帰後の高座2連勝で、3勝3敗の5分に戻した。今後はもう、連戦連勝モードと思われる。
後付けではあるが、この貴重な才能が潰されなくて本当によかったという気持ちで今いっぱい。
そして前回も書いたのだが、つらい経験が噺に深みを与えたのだろう。
本当は、こんなこと自体肯定したくない。パワハラをどこかで認めることになりかねないから。

必ずや昇進後、トリの取れる新作派になるでしょう。

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作成者: でっち定吉

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