笑福亭鶴二「粗忽長屋」(ラジ関寄席)

ラジオと配信は、私は上方落語中心である。
東京落語だけだと煮詰まるので、ありがたいことである。そして、思わぬ出逢いも待っている。
火曜日更新の神戸新開地喜楽館「元気寄席」の配信も非常によかった。
ただ、さらによかったのが土曜日の「ラジ関寄席」。まずこれを。

トークのコーナーが、まず面白かった。
内海英華師匠と対談するのは笑福亭遊喬師。
遊喬師が、師匠先代(6代目)松喬から教わった「へっつい幽霊」の話。
先代松喬は私も好きな噺家である。ちなみに当代(7代目)は上方落語で一番好きな人。
この先代松喬が、へっつい幽霊を教わった経緯。
直の師匠である6代目松鶴もへっつい幽霊は持っていた。
だが先代松喬はそれが気に入らず、松之助に稽古をつけてもらう。
松喬からは、松之助は叔父筋に当たる。
笑福亭松之助。明石家さんまの師匠として有名な人。

先代松喬、アゲの稽古で松之助師に叱られる。その道具屋のくだり、買いそうで買わないくだりはなんやねん。
松喬、まっすぐ反論する。いえ、これはいわゆる噺の嘘で、このくだりは必要やと思っとります。
松之助が怒るので、アゲの稽古は教わった通りにやる松喬。だが、実際に掛ける際は自分の考えた通りに。
松之助、もちろん頭にくる。お前にはもう教えんと。
だがその後、別の噺を教えてもらえる。松之助が言う。
わしはお前に教えたくない。だが、かみさんがあの子にはなにか見込みがあると言うから教えたる。
なんだかこう、ググっと来るエピソード。
もちろん、東西問わず、教わるほうの態度が悪いと言うだろう。
先日取り上げた柳家花緑師の「中村仲蔵」でも、劇中の脱線で花緑師、まずは教わった通りであるべきと語っている。
確かに、師匠のではなく松之助のものがいいと判断して教わりに行ったのに、勝手に変えるのは筋が通らぬ。

それはそうとして、いい話だなと。先代松喬の、偏屈でない、まっすぐさもまた。
だから弟子の遊喬師もこうやってラジオで語り継いでいるのである。
この手のエピソードは、だいたい実際にあったこととどんどんズレてくるもの。でも、それでもいいと思う。
酒を飲まぬ松之助のために、お礼にコーラの詰め合わせを持参する松喬。だが「お前はわしを殺す気か」。
ちょうど当時、青酸コーラ事件があったので。

ラジ関寄席の本編は、先代松喬の弟弟子、鶴二師。
一度も直接お見かけしたことはないが、好きな師匠。
上方ではあまり見ない、与太郎っぽいタイプの人。
そういえば一門の喬介師も与太郎っぽい。

鶴二師が掛けるのは、粗忽長屋。
もともと東京落語であるが、上方でもよくやるようになった噺。
桂雀太師は、これで「喜楽館アワード」を受賞した。

粗忽長屋は、浅草でないとできない噺ではないので、大阪には持っていきやすかろう。
どんどんやって欲しい。
とはいえ、東京でも極めて難易度の高い噺。上方でも当然に難しい。
特に大阪には「粗忽」の要素はあまりない。
粗忽の釘は東京でよく掛かるが、原典である「宿替え」はあまり聴かない気がする。

この極めて難しい噺に、画期的な工夫を加える鶴二師。
「本人が死体を引き取りに来たのだから間違いない」という結論を、世話役のひとり以外全員が納得するという。
世話役は俺が間違ってるんかいと立ち位置がブレてくる。なので、死体を引き取ることがなんとなく許されてしまう。
要は、粗忽コンビ(辰と熊だった)が、常識をひっくり返し、世間に常識を押し通してしまうのだ。
これはかなり新しい形である。もちろん、改めて東京に移植しても構わない。
談志が聴いたら、イリュージョンの実践だと喜びそう。

なんとかまともであろうとする世話役が、熊に向かって「顔が長いよ」とか語るが、熊のほうはもう信じているので動じない。
これまた斬新。
一般的には「熊がついに納得する」のが噺のヤマなのだけど。

先週連雀亭で柳家小はださんの粗忽長屋を聴き、町役人をまるで動かさないところにいたく感心した。
対して鶴二師、町役人をとっとと粗忽チームに加えてしまう。
やり方は、まったくもって千差万別である。面白ければ正解。

鶴二師、辰さんが「当人連れてきます」のあたりで、軽く脱線して客の様子を探るのが面白かった。
この噺は、ここからちょいちょいわからん人が出ますねんと。
確かに日ごろから落語を聴いている人でも、戸惑って不思議はない。普通の落語は、登場人物がオモロいボケで笑かせてくれるもの。
ところが粗忽長屋は、少々ちょけた程度だと思っていた主人公が、いきなり謎のドアを開けてしまう。
落語の日常と切り離された謎落語。
だから若手もこぞって、このぽっかり開いた闇空間とこちらを地続きにしようと頑張るのだ。
鶴二師は、変な空間が出現したことを軽く説明することで、この噺はこういうモードで進めますと宣言する。
宣言されたら仕方ない。なんとかついていこうとなるのでは。

難易度の高い噺も、なんとか肚に収めればできるのだった。
この型、流行ったらいいなと思う。その後また、疑問を持った人が新たな型を作り出せばいい。

作成者: でっち定吉

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