喜楽館で毎週火曜に更新される配信「元気寄席」。
月が変わったので、今月から有料(1,100円)。
私の落語生活の中でも、極めて画期的なアイテムになった。
ラジオも当ブログで取り上げたばかりだが、どうしても吉本の噺家を聴く機会が少ない。
ラジ関寄席なんて松竹芸能の制作だし。
配信だと吉本の上手い噺家も数多く聴ける。バランスいい。
もっとも東京でやってる吉本落語、だいたい三度方正三四郎ばっかりなのはなぜか。
今日は火曜で、午後から最新の配信がある。
午前中、最後に先週のものを聴き返しながら書く。
挨拶 | 支配人・伊藤史隆 |
小噺 | 小文三 |
前説 | 支配人補佐・三ノ助 |
転失気 | 小文三 |
青菜 | 文五郎 |
抜け雀 | そうば |
貧乏神 | 染二 |
桂小文三さんはかなりの腕達者。名前の通り文三師の弟子。
この人も吉本。
数年内に、NHK新人落語大賞の本選に出ると思う。
発声を、細かい部分まで丁寧に作り上げている。呼吸がいいので、おはなしが、たとえダレ場であってもずっと楽しい。
若手だが、キャラもできあがっている。
もっとシンプルなスキルとして、ギャグも達者でツカミも見事だが、落語だからやり過ぎない。
転失気の小坊主さん、名前が珍念でなく珍玄だった。初めて聞く名前。
桂文五郎さんは文珍師の4番弟子。だから吉本。
小文三さんのツカミギャグをパクってウケる。卑怯だが面白い。
ファンキーな街、新開地の住人の面白さについて。
まあ、神戸だからって観光客が行くところでもないし。
この季節おなじみの青菜だが、柳陰の飲酒シーンがないので驚く。
お屋敷の旦さんが、「近所から青菜を分けてもらったので、持って帰っておくれでないか」。
しかしもう青菜はハケていたという、実に短い展開。
実際には奥方が帰ってくるまでにワキの展開を入れるのだが、でもなくたってできる。
これ、時間ないとき重宝するな。
やってみたい、は非常に自然。亭主勝手に、歌舞伎の見得を切って再現し、うちのかかもこんなん好きやと。
だからかみさんを説得する必要がない。
のんきな夫婦のオウム返し。
桂そうば師は先日亡くなったざこば師の弟子で、桂惣兵衛襲名が決まっている。
抜け雀で、草津宿というものは初めて聴いた。
小田原から移したのでしょう。
トリは先週の林家花丸師の兄弟子、染二師。
染丸一門だから吉本、かと思ったら独立している。
染二師、ちょっと驚いたが、貧乏神。
貧乏神は小佐田定雄先生の新作落語。
東京には入ってきていないようだ。
「かとうちべとうなる」というステキなフレーズ、東京ではつまらない。「かた〜くつめた〜く」か。
あ、意外と面白いかも。
いちばん合いそうなのが、一之輔師。あいにく苦手になってしまったが。
先日、NHKのアーカイブで本家・枝雀の貧乏神が流れていた。
一連のアーカイブ、志ん朝と談志はブログで取り上げたのだが、枝雀はスルー。
私は、枝雀全盛期を実に冷ややかに見ていた、嫌な落語好きの子供であった。
ただ「嫌い」ではなくて、本当によくわからなかった記憶がある。なぜ大人は笑うのだろうと。
今振り返ると、子供ながらに落語に感じていたある一線を、枝雀落語が軽々超えてしまっていた、そう感じていたようだ。
とはいえつい最近観た枝雀のアーカイブ、面白かった。
枝雀のものは、明治設定だが新作落語として聴こえてくる。これは、作家が前面に出てくるということでもある。
それが配信で再現されている。
そして染二師、ずいぶん枝雀節のままやっている。
働かない主人公の代わりに内職して稼いでいる貧乏神の情けなさは、まんま枝雀。
だが、枝雀要素のいまだ強い噺が、ずいぶんと古典落語の世界になじんできたように思ったのだ。
東京でもたまに聴く小佐田先生の「幽霊の辻」も擬古典落語だが、新作として聴こえる。
いい悪いではなくて、古典落語とはどうしても文法が違うのだ。
だが、染二師の貧乏神、非常に古典っぽい。
先日の枝雀アーカイブを聴かなければ、この噺の存在自体忘れていて、古典の珍品と思ったかもしれない。
きっと、演者にとっては古典なのだろう。
働かない大工が、道具箱を質に入れてるなんてのは、夏泥(上方の原典は打飼盗人)のモチーフでもあり、もともと古典要素に溢れているのだ。
もっとも、主人公と貧乏神との不思議な情愛は、どこまで行っても現代要素ではある。
真の古典化のためには、ここをカットして軽快にする必要があるかも。
でもこれは大事な山場。
5週目も楽しい配信でした。