浅草演芸ホール5 その5(三遊亭小遊三「鰻の幇間」)

昇太師の登場時のマクラを思い出した。
世田谷の豪邸(ご自分でそう言ってるわけじゃないが)には、夫人の連れてきた犬がいる。
犬好きの人に言わせると、子犬よりも長年飼ってる老犬のほうがたまらなく可愛いんだそうです。
目の焦点も合ってなくて、なんだかぼんやりして外を眺めていたりするんだと。そこがもうたまらないんだそうで。
つまり小遊三師匠ですね。小遊三師匠も、今とても可愛いですよ。

このあとにゅうおいらんずの舞台で、昇太師に振られた小遊三師が、「俺りゃ犬じゃねえよ」と返していたのが実に楽しいのだった。

ヒザは桂小すみ先生。今やすっかり芸術協会の戦力。
今席の色物。おせつときょうた、ナオユキ、京太ゆめ子、ねづっち、そして小すみ姐さん。芸協スゴイ。
都々逸をTake Fiveに乗せて歌い上げる。

信州信濃の新蕎麦よりもあたしゃあなたのそばがいい

彼氏にその都々逸の素晴らしさを語ると、なにを思ったか彼氏はいきなり蕎麦打ちを習いに行きだした。
手打ちのおそばを振る舞ってくれる彼氏。
そんなちょっとバカな男が可愛いなと思いました。今の亭主ですけど。
なんだか落語みたいないいエピソード。

落語のトリは三遊亭小遊三師。
現在の小遊三師、聴きたければどうしても笑点メンバーとの地方の会になるか。国立演芸場の主任も閉場でなくなっちゃったし。
東京近郊でも時たま開催されるそちらもいいが、できればもっと寄席で聴きたいものだ。
円楽党で呼んでほしい。

小遊三師は、たいこ持ちを振る。
たいこ腹か。楽しいけど、トリで聴いたしなと思った。
たいこ腹はトリネタではないが、にゅうおいらんずを控えたこんな席ではそんなもんか、そう思ったら、違った。
野だいこを振って夏の噺、鰻の幇間である。
小遊三師のうなたいなんて、テレビラジオでも聴いたことがない。
実際このあとにゅうおいらんずの舞台でもって、慣れない噺やったから息が上がっちゃってって語ってた。
慣れない噺には思えない、見事な一席だった。
にゅうおいらんずを待ってる客を、落語で満足させる。
余芸も重要だが、噺家の誇りを感じる。

ちなみにうなぎ屋の2階で乾杯シーン。
「かんのぱいといきましょう、かんのぱいったって、乾いたパイパイじゃないですよ」
笑点以外で、下ネタなんて実は極めてレアな小遊三師。
師の落語は通常、きれいごとに溢れている。
ご本人もつい言っちゃったみたいで、ちょっとテレ気味だった。

さて、すべてにおいてほどのいい一席でありました。
鰻の幇間という話、ここまで普通に楽しく描ける噺家はそうそういないだろう。
騙しの噺。主人公一八がご難に遭う噺。
するとどうしたって、その様子を脇から眺めていればヘンな感情が湧いてくるものではないか。
ペーソス漂う一席だったら、別に可哀想という感情が湧いてもいい。でも、そんな器用な高座はなかなかないと思うのだ。
小遊三師はある夏の一日、芸人のちょっとしたご難をしっかり描き、これがストレートに楽しい。
そういえば、師の「付き馬」にも似たところがある。

小遊三師、縫い付けた10円札を取り出しながら故郷に残した弟のエピソードなど語らない。
汚い下駄まで懐に入れて持ってったりもしない。
とにかくウェットにしない方法論。
序盤から、うなぎ屋のひどさも強調しないし、客が逃げる周到ぶりもまた。
主人公の感情も強く描かない。とにかく軽い。
登場人物を記号として描くことで、楽しさが溢れ出す。
というか、大部分の演者は方向性が真逆を向いている。
そもそもこんなに軽く楽しく描くことはできないだろう。
噺の編集をするうち、ご難がエスカレートしていく方法論は実に多い。
それが間違ってるというのではないが、余計な感情の引き出しも一緒に開くことはお忘れなく。

芸協の若手からは、小遊三型の噺をしばしば聴く。
そして小遊三古典は仕上がっているため。これをさらにいじるということはなかなかしづらい。
あまり出さない大ネタである鰻の幇間も、やはりスキなく強い。
これを教わったら、同じ悩みがついてきそう。なにもそこまで心配することはないが。

名人小遊三、見事な一席。
前座の際に私を立たせて割り込んだ隣のスマホ覗き女も、ここで帰っていった。

トリのにゅうおいらんずに続きます

 
 

作成者: でっち定吉

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