隅田川馬石「臆病源兵衛」@江戸東京博物館(下)

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マクラで自己紹介をする馬石師。
メクリを指して「隅田川馬石」が落語のタイトルだと思った人もいるでしょ? と。
私珍しい名前ですが、師匠も珍しくて五街道雲助というんです。
師匠の名前で笑いが起きる。客は必ずしも落語ファンではないらしい。
といっても、博物館を楽しむだけあって、知的な客のようではある。

両国のすぐ北、旧安田庭園には、隅田川馬石の名前の由来である駒留の石がある。興味ないですかみなさん、ないですねみたいな話を。
師匠は本所に住んでいるので、前座時代は私も両国に通いました。懐かしいですねと。

客を温めて、暗闇を怖がる人間心理にサラッと触れ、本編へ。

臆病源兵衛はとても変な構成の噺。
まだ薄暗がりのうちから戸を閉め切って闇を怖がる源兵衛の臆病振りを徹底的にカリカチュアして見せた後、ちょっとしたいたずらをきっかけに傷害致死事件が起こる。まあ、正当防衛ともいえるが。
そうだとして、その後立派な犯罪である死体遺棄をおこなう。
その被害者、八五郎が息を吹き返してからはこちらが主役になって、源兵衛は消えてしまう。
結末を用意してから遡っては作れない噺。
めったにかからないし、そもそも季節も選ぶ噺。
にも関わらず、馬石師の臆病源兵衛、練りに練られていて爆笑である。

昨日も書いたとおり、小学生の子供たちがとても喜んでいた。
学校寄席で寿限無や初天神を聴くのもいいが、大人のための噺である臆病源兵衛で爆笑するというのは、一生の思い出になると思う。
子供たちは、ダメな大人が大好きである。極端に闇を怖がる源兵衛、子供から見てこんなに楽しい人物はいない。
つまらないことにいちいち本気で驚く源兵衛。だが、過剰な、いやらしい演技ではない。
そしてまた、馬石師の描写が見事で楽しさをより加えてくれる。
カミシモの瞬時の切り替えで、八五郎の帯をつかむ源兵衛、つかまれる八五郎。
落語という芸のすべてが高座の上にある。
そして源兵衛は大変なスケベだが、具体的にスケベ描写があるわけではない。女好きの大人というのも、子供たちにとって楽しく響く存在。

一之輔師のラジオを聴いていたら、リスナーの小学生の娘が、TVでコロッケのモノマネ芸を視て爆笑していたという。
モノマネされている芸能人のことなんて子供だから知らないのに。そのことを連想した。

源兵衛にいたずらを仕掛けてやろう、死んじゃったって構やしないというその発想、極めて軽い。
そして、死んでしまったと思った八五郎を寺まで捨てにいこうとするのも、実に軽い。
ここにまったく逡巡がないのが面白い。俺らが罪に問われたらかなわないから、とか理由を付けるわけではなく、ただ捨てにいく。
ひどい噺を、軽く、楽しく語って万人を楽しませる馬石師。
死んじゃったと思い込み、ここは地獄か極楽かと、さまよう八五郎もまた、ふわふわしている。
人の生き死にを、これだけ軽く描いてみせるのはすばらしい。
サゲは新たに自分で作ったものか。

45分の枠だが、35分強で終わってしまった。だが、内容的に大満足です。

というわけで、また落語と常設展のため、出かけるつもりの江戸東京博物館でした。

次の週に聴いた柳家小せん「夢八」

 

作成者: でっち定吉

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