元お天気キャスターの「半井小絵」さんが好きだという扇遊師に、かつて落語研究会の高座での「私は山尾志桜里という人が好きです」という嬉しそうな語りを思い出した。
山尾志桜里議員が渦中にあったころの高座である。半井小絵さんだって、いろいろあって降板した人だし。
いいねえ、この古希を超えてのすけべっぷり。なんだか師匠のセンサーに独特のフェロモンが引っかかるのでしょう。
紫綬褒章受章の重鎮にすけべは失礼か?
では言い換えると「色気」である。
昔KYという言葉が流行りました。私意味がわからなくて。KYと言ったら柳家小三治しか知らなくて。
なんて言ってちりとてちん。まだまだ9月は出る噺。豆腐だって腐る。
なにしろここシブラクは持ち時間30分。たっぷりあるから大ネタだっていいのだが、あえて軽めの噺を選ぶその細やかさ。
ちりとてちんは、あるスケッチを最後まで気楽に観ていられる点において、非常に緩やかな噺。
大ネタ連発のこの日、それがいけないというのではないけども、やや小さな噺の価値が飛躍的に高まる。
ところでちりとてちん、いかにもこの師匠が得意にしてそうな演目ではあるが、私はテレビラジオを含め聴いた記憶がない。
そのちりとてちんは、柳家本流のムードが強く漂うものだった。入船亭というのは、柳家の一門でありつつ独自性が強いが、本流の要素もちゃんと併せ持っている。
登場人物も金さん、六さんと柳家のスタンダード。まあ、別に八っつぁん寅さんだっていいけども。
スタンダードそのもの、どこも踏み外さないちりとてちんに、ゾクゾクきた。
決してどこも踏み外さない絶妙のバランスがポイントらしい。
踏み外さないが、びんびんこちらに響いてくる。
こんなの若手にはできません。若手がやると、ただ気の抜けた噺になるかも。
金さんはヨイショが上手いがやり過ぎず、六さんは悪態ばかりついているがその実これも一種のヨイショ。
隠居は、人間観察力に優れていて、胆力もかなり強い。いっぽうで、くどくど説明しない人である。
女中のお清がいてくれるから、かろうじて隠居の思考の片鱗が見えてくるのである。
つまり見えない水面下で、それぞれの人間性が渦を巻いているのだった。
別にそこまで考えないと楽しめないわけではない。でも水面下から、たえずなにかが立ち上ってくる。
その魅力に引き付けられてやまない。
へそ曲がりの六さんは、しっかりイヤなヤツとして描かれつつ、しかし冷静に見たら「こんな人よくいるよね」程度で、別にそれほどイヤでもない。
わざわざ、コミュニケーションの手段として選んで悪態をつく人だからだ。
隠居との特殊な人間関係の中で、悪態が最もいい関係性を作る、そう考えて行動しているのではないだろうか。それもいささか勘違いではあろうけど。
ちりとてちんにおける人間関係としては、今回描かれたものがベストの気がしてならない。
三遊亭遊かりさんがやってる改作ちりとてちん(姑・次男の嫁vs.長男の嫁)も、しっかりこの構造を引いているからいいのだ。
六さんが灘の生一本以外、料理を食べる描写はない。六さん、本当にお腹一杯みたい。
隠居が呼ぶから急いで駆け付けたのだし、料理捨てちまうのももったいない、そうも思っているらしい。
基本的に隠居と六さんの人間関係は、鷹揚な隠居に六さんが義務的に逆らう、というもの。これがある種の安定をもたらしている。
そこからすれば、六さんはちりとてちんの瓶詰を持って帰ってOKだったのだ。きっと今までは。
だが隠居は、この安定した人間関係が望ましいものとまでは思っていない。六さんもう少し人間が丸くなれば、とおそらく考えている。
なので、本当に珍しくも挑発してみたのだろう。
「お前さん、さっきからいろいろ言ってるが、本当は食べたことないんじゃないのかい?」
この隠居のセリフには、そこまでの背景が隠されているのだ。
それまでの鷹揚な隠居とはちょっとだけ強さが違っていた。ちょっとだけ。
六さんびっくり。
六さんがこのセリフを受け守ろうとしたのは、自分の体面なんかではない。そんなもの、バレてたって全然構わない。
非常に珍しい隠居からのサインに、ここを乗り切らないとしくじると思ったのだろう。
しくじらないためには一択。隠居の望みに応じるしかないのだ。
いや、方法は他にもなくはない。「隠居すみません。あっしが悪かった。この食いもんは食ったこたねえですし、あっしには食えません」と謝ってもいい。
でもこの道は選べない。なぜなら、隠居はその結末を望んでいないからだ。
仕方ない。男、六さん。後ろは見せられない。
どんな食いもんだかさっぱりわからねえが、ここは乗っかってやる! 俺も男だ!
もう、あとは一気食いだ!
KYを振っていたが、KYどころか3手先まで読んで、詰みを自覚した六さん。
以上、ここまでの人間関係が見えた。
錯覚かもしれないが、このとおり解釈してもまったく差支えはないだろう。
もともと好きなちりとてちんという噺が、扇遊師のスキのない、しかし同時に優しい語りによってここまで解釈が広がった。
トリの吉笑さんに続きます。