訃報・金原亭馬遊

私は落語界のニュース、ブログのアクセスで知ることが多い。
月曜日の夕方、やたら「金原亭馬遊」関係の記事にアクセスが多いではないか。
なんだと思ったらお亡くなりに。合掌。
驚きはしたが、意外には感じなかった。同業者もきっとそうだと思う。

デイリースポーツの見出しは「実力派落語家 脳室内出血で急死 58歳」。
一言発しても、故人に失礼には当たらないだろう。
実力派でなかったことだけは間違いない。その事実もちゃんと知っている。

脳室内出血だそうで。58歳。
馬遊師は、肝硬変で入院し、退院後今度は静脈瘤破裂で再入院していたという。
これはらくごカフェで聴いた。
その前には、ひどい腰痛で救急搬送されたこともあったという。
そしてまた、別の症状により、亡くなった。
一連の病気はだいたい酒が原因のようだが、高座でまだ生きる意欲を見せていらしたから、亡くなる前にこっそり飲んではいなかったと思う。

訃報には、「最後の寄席の出演は、今年2月17日の東京・黒門亭だった」とある。
実際の最後の高座は、恐らく8月のらくごカフェ「馬遊・喬太郎落語会」だ。そして、私はそこに居合わせていた。
なにもずっと馬遊師を追いかけてきたわけではないけれども、思うところがかなりある。
年齢は若いが、高座の様子は本当にヨボヨボだった。落語界、80代でも矍鑠とした人もいるのに。
釈台の前に腰掛け、お客を高座から見送っていらした。

あの会は1日だけだからなんとか出られると。
ただし寄席の10日間は無理だと語っていた。

今回の訃報の前に、すでに本当に危ういところだった師匠、高座で語るその体験談は実にすごいものだった。
ひとりの噺家の、命を賭けたドキュメンタリーという趣き。もちろん、外形的にはただの笑い話なのだが。

そろそろ、この会あるに違いないと思い、私はたびたびらくごカフェの予定をチェックしていた。
11月に「仮予約」が入っている席が、あるときいきなり馬遊・喬太郎落語会に代わっているのだろうと。
実際にその予定だったんじゃないかなと思う。
今後追悼落語会があるかもしれないが。

とにかく同業者に愛された噺家であったという。
らくごカフェで続けて2回喬太郎師との会を聴き、その様子はだんだんわかるようになってきた、気がする。
人気トップクラスを誇る喬太郎師も、馬遊師との会で心身のバランスを取っていたのであろうか。
元気な頃はよく寄席の、喬太郎師の芝居にも顔付けされていた。
喬太郎師がお席亭に頼んだものでもあろうか。

家庭もなく、ひとりで椎名町か要町か、あのあたりのアパートで独り住まい。
孤独死ということなのだろう。
しかし後輩含め仲間も多く、短いなりに充実した噺家人生だったのでしょう、きっと。

作成者: でっち定吉

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