渋谷らくご3(下・橘家圓太郎「甲府い」)

2分のインターバル後は国本はる乃さん。
敬称は師匠でもよかろうが、いずれにせよ二ツ目相当でしょう。
最近の活躍は知っているが、私は2017年以来なのであった。
もっとも、その7年前は熟睡してしまった。昔から寝てばかりだ。

国本武春のやっていた話とのこと。
明治の政治家、大浦兼武の若き日、警視庁の巡査であったころの物語。
上京して、とりあえず食わねばならないので巡査になる。
酔った岩倉具視卿が、料亭の金屏風に落書きしているので出動。
のらりくらりと岩倉にかわされ、なぜか責任感で屏風を弁償する羽目になる兼武。
巡査の給料が2円70銭なのに、屏風は40円。3年掛かって返し終わる。
しかしこれをきっかけに、出世街道に乗るという、むちゃくちゃな話。
そもそも岩倉さん、ひとさまのもんに落書きするなよ。

ストーリーはめちゃくちゃだが、浪曲は楽しい。
主人公兼武の間が抜けたシーンでは、曲師玉川鈴さんの三味線も絶妙に間抜けな音を出す。
兼武の面接、最後唄に入るが、面接官の「なにをうなっておる」というメタなツッコミが好き。

トリは圓太郎師。
CDの圓太郎節に合わせて曲の終わりでピタっと着座し、自画自賛。
直前の浪曲に触れ、同じ一門の一花さんの猫忠にも触れる。
この先の高座に触れるやり方、自分の高座をスムーズに始めるテクなのだと思う。
客がスムーズに頭を切り替えられるのです。

好二郎さんは笛を入れて見事でした。
一花さんは落語協会ですね。はる乃さんは浪曲の人ですが、落語芸術協会で。
で、好二郎さんの団体、私いつもわからなくなるんです。「大日本すみれ会」って言っちゃうんです。
通称円楽党って言われてますが、正式名称はなんなのかなと。
訊いてみたら、「五代目圓楽一門会」なんですね。
なので、「五代目圓楽一門会の方、勉強させていただきます」と言って出てきました。やめてくださいって言われましたけど。

私コロナから太りだしまして。
昔はトライアスロンとかやってましたが。
お客様から送っていただく反物が幅が足りなくて仕上げられなくなるといけないので、ダイエットに励んでいます。
犬の散歩もしまして、1日2万歩歩いたりしていますが。
このところ、お蕎麦とキュウリしか食べてません。
楽屋の仲間もキュウリを差し入れてくれたりします。
ようやく80キロを切りそうです。来年は70キロ、再来年は死んでます。
栄養も取らないといけません。

お会式を振って、本編は「甲府い」。
一応、きゅうりだけ食べてる生活から腹ペコで薄くつながってるらしい。
半端なくガッカリした。なにしろ、先月トリでこの噺、二度聴いたのだから。いくらお会式の季節とはいえ。
だが圓太郎師の甲府い、どうやら㐂三郎師のものの出どころみたい。
原型が聴け、噺が立体化され、大きく膨らんだのでした。
㐂三郎師オリジナルと思った要素が、かなり圓太郎師のものに入っていた。
なお、先月その前に聴いた左龍師のものは、出どころまるで違うはず。

甲府いは地噺でもなんでもない。でも脱線2か所もやたら面白い。
ほんの一瞬、地の語りの入る場面を逃さないのだった。

まず、豆腐屋は実力があるだけじゃダメなんだと。
先の浪曲を引いて、運も必要です。
今日も、こんなに上手いのに客席はこの程度だって。
明日は喬太郎で、ヘタなのにいっぱい来るでしょう。まあ。なにか上手いのかもしれません。

日曜、喬太郎師のシブラクは満員だったそうで。

それから師匠とはありがたいものですと。
あんな尊敬できない師匠もいませんが、でもやっぱり恩義があるんですよ。
私は住み込みの弟子でした。麻布の三ノ橋にいました。
無理難題も散々言われましたけども。でもありがたいものです。
具体性はないが、師弟関係を一瞬で語りきってなんだかいい話。

㐂三郎師は、最初に出てくる奉公人の金公を「大店から引き合いが来ている」としていたが、これも圓太郎師のものにあった。
圓太郎師のほうが、もっとずっと金公が活躍する。マンツーマンで徹底的に善吉に教え込んでるのだ。
あと、善吉まで畳にのの字、そしておかみさんまで「善吉にとっておじさんならあたしにもおじさんだ」とわけわからないこと言うという点も。
細かいところは違いもあって、㐂三郎師の工夫も見えてきた。

圓太郎師は、「豆腐、ごま入り、がんもどき」の売り声が、親方と金公で違うのがミソ。
金公、親方の調子もやってみたうえで、俺はこうだとこぶしを回しあげた売り声。
一言で師弟関係の本質を語りきっている。なんて、大げさな見方でしょうか。

脱線2か所のおかげで、地味な人情噺甲府いは、爆笑巨編に変貌を遂げているのであった。
いったいなんでこうしようと思ったんだろう?
ともかく、この面白さが㐂三郎師のフィルターにもかかったらしい。

そして、圓太郎師はこのイイ噺に、「いかにして田舎出の男は出世するに至ったか」のなんらかのリアリティをまぶしたいようだ。
最初声も出ない男が、適切なコーチングとお得意先引き継ぎで立派になっていく。

サゲのセリフは、たっぷり歌い上げたりしない。一つの美学なのか。
ささっと語って頭を下げる。

圓太郎師はやっぱり面白い。たびたび聴いてもなお。
キョウタロウももちろんいいが、エンタロウもぜひ。

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作成者: でっち定吉

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