春風亭鯉枝

三遊亭円丈師について、しばらく集中して聴き、いろいろと本も読んで、当ブログでレビューしたところである。
円丈師について考えるということは、すなわち新作落語全体について考えるということである。
さらに先日、「M-1グランプリ」を視たことや、ちょっと前に「NHK新人落語大賞」についてレビューしたことなどが頭の中で組み合わさって、以前観た落語の大会のことを思い起こした。

もう5年前になるのだが、円丈師が「ZABUTON CUP」という落語の大会を主催したことがある。今でもそうだが円丈師、弟子も含めた若手に本当に負けたくなくて、それもお客さんの厳しい目で審査してもらって勝ちたいという気持ちだったようである。
お江戸日本橋亭で、昼夜二部構成の開催だった。昼の部だけ観させていただいた。
その後フジテレビで自殺した塚越アナが、高信太郎氏などと一緒に椅子席でオブザーバーとして控えていたのを思い出す。

昼の部はこんなメンバーであった。この中から投票で2人決勝に勝ち抜け。

  • 三遊亭白鳥
  • 林家彦いち
  • 柳家小ゑん
  • 春風亭鯉枝
  • 夢月亭清麿
  • 三遊亭天どん
  • 川柳つくし

ここで「実践自動車教習所」というネタで見事トップ通過し、決勝でも優勝したのが、瀧川鯉昇師の(生え抜き)惣領弟子、春風亭鯉枝師。念のため、読み方は「しゅんぷうてい・こいし」です。
私も鯉枝師に投票した。よく覚えていないのだが、2人書く方式だったか? 2位で抜けた白鳥師の名前も書いたはず。
鯉枝師の優勝は、狭い世界の中では話題になったはずだ。すでにバリバリ活躍している白鳥師や、夜の部に出ていた円丈師、百栄師などを押しのけて、彗星のように新作落語界に躍り出たのである。

鯉枝師のことは、たまたま国立演芸場の真打昇進披露で見て、ユニークな人だと多少は知っていた。
弟子が師匠に合わせてみな「瀧川」になったのに、ひとりだけ「春風亭」のままでいた、妙なこだわりのことも。
「ZABUTON CUP」優勝後のその後の活躍を楽しみにしていたのに、活動休止してしまった。
8月に、瀧川鯉昇師が池袋の主任のときに買ってきた本「鯉のぼりの御利益」によると、現在「故郷の北海道で活躍中」とあるのだが、本当に活躍しているのだろうか?
必死で検索すると、活躍ぶりがちょっとだけ出てくる。
なんとか第一線に復帰して、その雄姿をまた見せていただきたいのだが。

新作落語についても日々考える中で、この世界を盛り上げるメンバーとして、大事な人が抜けていることを考えると残念でならない。
完全に独自の路線であっただけに。弟弟子の瀧川鯉八さんが、かなり面白い新作で売り出し中であることも併せて考えると、これもまた残念。
それとも、どんな理由があったにせよ、作り続けられなくなった時点で新作落語家のキャリアはおしまいなのだろうか?

***

春風亭鯉枝師の高座の映像は、「ZABUTON CUP」の予選一位通過時と同じ演目「実践自動車教習所」だけ持っている。千葉テレビでやっていた、「浅草演芸ホール」の中継、11分の高座である。
2010年のこのVTRを懐かしく視る。
もう一作あったのだが見当たらない。

誰にも似ていない、独特のスタイルである。一般的なプロ口調とまったく異なり、ほとんどアクセントをつけずに語る。
かといって、素人口調なのかというと、こんな素人は絶対にいない。
そして客の前で一切笑顔を見せない。笑顔を見せぬままギャグは言う。
「ZABUTON CUP」一位通過のインタビューで、鯉枝師、特に気の利いたことは言わず、またそれで結果的に笑いを取るということもなかった。
ひたすらタバコを吸い続けている素顔が紹介されていた。

鯉枝師、マクラから、口調にも仕草にも抑揚をつけずに、背を反らせて宙の一点を凝視して喋る。
しかしまだマクラの中だが、人のセリフを引用するときには、過剰に演技をする。
最初はちょっとだけ戸惑うのだが、とにかくそのスタイル全体が面白いので、思わず聴き込んでしまう。
誰かがこのスタイルを真似しようとしたとする。ぶっきらぼうな顔で高座に出たとして、恐らくすぐ客に拒否されておしまいなのでは。

誰にも似ていないのは確かだが、高座における演者の立ち位置が師匠・瀧川鯉昇に似ていなくはない。客席と高座との間に一線を引いて、高座の全体をフィクションとしてお客に観せる手法。
さらにいうと、大師匠の春風亭柳昇や、伯父弟子の昔昔亭桃太郎師とも共通する雰囲気がある。この人たちも、高座で素に返らない。
そういえば、「自分」を前面に押し出している弟弟子の瀧川鯉八さんも、実際には素の自分自身は高座にさらけ出していない。すべてがフィクションの語りであって、この点師匠に似ている。
しかし叔父弟子の春風亭昇太師とはまったく違う。昇太師のように、客とフレンドリーな関係を構築してから楽しい喋りを聴かせるのが、今風の新作落語の主流スタイルだと思う。

瀧川鯉昇師は、異世界において、異世界の中での常識にのっとって噺を語る人だ。こう私は認識している。
この点、まず古典と新作の違いもあるし、それ以上に喋りのスタイルが全然違うのだけど、鯉枝師もかなり師匠から影響を受けている。
不思議な鯉枝師の喋りだが、変わった世界の中できちんとした体系を持っているのである。
お客は、一線を引いて変な世界を外から眺めて楽しんでもいいし、変な世界に自ら入り込んで、その強烈な世界観を存分に味わってもいいのだ。
この自由さが、客への優しさにもつながる。強烈な高座なのに、押しつけがましいところは一切なく、聴いて爽やかだ。

ちなみに、「実践自動車教習所」の主人公「大西洋士」は、一緒に真打昇進した弟弟子、瀧川鯉太師の本名。
鯉太は、「師匠よかったですね、来年の干支がイノシシに決まりましたよ」という天然丸出しの会話で鯉昇師を驚愕させた人物。
これが上方にまで伝わって、現在「落語家にこんな奴がいる」というマクラで使われているらしい。
「お前、十二支ぜんぶ言えるんか」
「言えますよ。ね、うし、とら、う・・・」
「『ね』はなんや」
「ねこです」
「ねずみやろ!」
「あれ? ね、うし、とら、う、たつ、みい・・・ あ、『みい』がねこです」

***

春風亭鯉枝師の「実践自動車教習所」」に戻る。マクラの冒頭。
「個人的なことですが、この間、車にはねられそうになりました。運ちゃんが言うんですよ『テメエどこみてやがんだ馬鹿野郎!』。そこまで言われて黙っている私じゃないんで言い返しました。『どうもすみませんでした』」

文字に起こしてみると、面白くもなんともないが、あえてこの部分を引いてきた。
春風亭鯉枝とは、こういうなんでもないセリフを非常に面白く伝えられ、客をつかんでしまう才人なのである。
地の語り自体は抑揚をつけずにぼそぼそ喋っているのに、運ちゃんのセリフだけ、いきなりリアルな啖呵。だからメリハリもちゃんとある。
「間」は悪くないが、「間」で笑わせるベテランの手法とも異なる。

本編に入ってもこの構造は同じで、主人公は、マクラで喋っていた噺家本人がスライドした無個性な人物。いや、外の世界から見れば個性のかたまりなのだけど、鯉枝落語においては没個性の人物として描かれる。
そして「実践的な教習」をしてくれる鬼教官は、大変怖い人物。鯉枝師の、こわもての風貌をフル活用している。
しかし主体性のない主人公のほうは、鬼教官にそれほどビビッてはいない。だから、客が勝手に「可哀そう」などと感情移入してしまって、ナンセンスな噺の流れが断ち切られてしまう心配はない。
そういう、ちょっと違う世界で、軽い楽しい物語が繰り広げられていく。

実践的な自動車教習所において、エンジンキーがないのに「直結」でエンジンを起動させ、いきなり外の教習に出ていく。ドライブスルーに入ってハンバーガーを食べながら片手で運転させるなど、「実践」に基づいてやりたい放題の教習。
教官の指示でスピードを出し過ぎて警察に停められるが、天下りの教官は警察に顔が効くので無罪放免。

エピソードがみな面白いのだが、ひとつひとつを「どうだ、すごいだろう」と気負ってネタにしたら、全部コケそうである。
架空の世界の物語を、客の前に一線を引いて、ひとつひとつ丁寧に描写していくからこそ、そこに面白さが生まれる。
落語より、お笑いの好きな人が反応しそうだ。とはいえ、浅草の客の反応は決して悪くない。「落語らしくない」とは思わない。

日ごろ私も絶賛してやまない現代の新作落語界を構成する噺家さんたち。その新作ジャイアンツたちをなぎ倒し、世に出た一人の噺家がいたのだ。
落語協会に比べ人材不足の否定できない芸協の寄席メンバーとしても大変な戦力になる。ぜひ復活してほしいものだ。
鯉枝師、古典落語をやったらまた面白い味が出ると思うのだが、若い頃に古典に取り組んだかどうかは知らない。

作成者: でっち定吉

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