日本人の同調圧力は、われわれ自身からもしばしば非難されるところであるが、マスク義務が割と早く消滅したのも同調圧力のおかげだったかもしれない。
よこはま落語会は、その同調圧力にすら逆らう変な会。宗教みたい。
2024年だぜ。
落語会におけるマスク義務は、笑顔の見えない噺家さんからも撤廃が望まれていたところなのに。
思い出したらだんだんムカついてきた。
東京かわら版の広告には、マスク義務に従わない人には退場してもらい、返金もしないなんて書いてある。
コロナ禍のひどい時に不毛なやり取りが多々あり、それを受けてと思われる。
実際には、そんな運用はしていないし、そして運営の誰もマスクを強制してはいない。
なら、変なルール設定のほうをもうやめてください。
よこはま落語会への文句はこれぐらいにして、見事な高座を。
前座の隅田川わたしさんが下りると、「まかしょ」が流れる。
トップバッターは意外にも喬太郎師だ。ということは、トリだ。
超ベテランの小満ん師は、トリを譲るのだ。
わたしさんは釈台ではなく、上方落語で使う見台とヒザ隠しを持ってくる。
ヒザ隠しを立て、高座を返し、あいびき(クッション)を載せ、メクリを替え、と非常に時間が掛かるため、CDの出囃子が終わってしまった。2周目に入ったところで喬太郎師着座。
喬太郎師、入院の件は一切語らなかった。
コロナ罹患のあともなにも語らなかったし、これはわかる。客を不安にするのは避ける人だ。
そして見台についても、一切語らない。寄席でも落語会でも、今はそう。
吉野町というところ、たまに寄せていただきますが、用事がなかったら来ないところです。
今は東京ですが、横浜にお住まいだった歌司師匠がよく会をやってらして、前座の頃から入れていただいてました。
歌司師匠のお宅は相鉄沿線にあって、駅からちょっと遠いんです。
お宅に伺う際に、師匠からタクシーで来なさいと言っていただきました。
「歌司の家と言えばわかるから」
すごいなと。タクシーの運転手に言ったら、わからなかったんですけど。
でも二度目に伺ったとき、試しにまた言ってみたんですよ。
そしたら知ってるんですね。その運転手に言わせると、知らないやつはモグリですということでした。
以上です。
以上です、でどっと客席が沸く。
私ももともと横浜市民ですから。
横浜にも気取った横浜、庶民の横浜いろいろありますね。
桜木町はにぎわい座があるので寄せてもらいますけども、それにしても東横線ね。
今でもあれば東急で1本なんですけど。世の中便利になると不便になりますね。
なんでみなとみらい線の遅延が西武に関係するんだよ。
東横線の桜木町がなくなったことに今さら文句かと思ったら、肩透かし。
しかしベイスターズが勝ったのに、御当地野球ネタはやはりなし。
横浜の看板といえば、やはり横浜駅ですね。ムダに崎陽軒もありますし。
崎陽軒のお弁当、みなシュウマイ入ってるかと思うと、入ってないのが2種類だけあるんです。
生姜焼き弁当と、いなり寿司です。
私雑誌の連載で先日、崎陽軒に取材行かせていただいたんですよ。
専務さんが熱く語ってくれました。
「師匠ね、うちのいなり寿司はね、旨いんですよ。もちろん看板商品はシュウマイですけどね、いなりも隠れた看板商品なんですよ。ただすぐ売り切れちゃうんで、知られてないんですけど」
知られる努力をしろよ、と思いましたけど。
以上です。
ちなみにシウマイと書くべきだろうが。
さすがに話し言葉でそう言う人はいない。
崎陽軒の噺は、「シュウマイの入ったお弁当で、シュウマイをいつ食べるか」という話にまだ続く。実は本編のフリ。
アンズを好むか好まないか、という論争についても。
気づくと食べる順番が決まっている。まぐろやたけのこ。
中には人に強制する人がいたりする。
やや無理矢理だが、強情灸につながる。
強情灸なんて、喬太郎師のイメージにまったくなかった。お持ちなのも知らなかった。
実際、調べてもあまり情報がない。
ちなみに現代聴く強情灸は、ほぼ横浜の「峯の灸」が出てくるタイプ。
しかし小さん系統の落語をしっかり残していきたい喬太郎師は、違う強情灸。
冷えで困っている男、湯屋であったまったがのぼせてひっくり返る。
水をぶっかけられて回復したが、すっかり冷えてしまう。
たまたま来ていた隠居が心配して、灸を据えてやろうと自宅に呼んでくれる。
まあこれっぽっちのもぐさが熱いのなんの。
隠居にあとは「上へ上へ据えろ」と教わったので体の上方に据えていき、頭のてっぺんを過ぎて眉の上に据えて、お公家さんになっている。
すべて回想シーンとして描かれるのは、メジャーなほうの強情灸と一緒。
この噺、一応知ってるのだが誰から聴いたか思い出せない。それこそ五代目小さんの音源までさかのぼるかもしれない。
それぐらい現在は峯の灸が全盛なのであった。
だが、小さん系統の強情灸も、実に楽しい。疝気の冷えで仕事も休み困っているはずなのに、実に呑気なのが落語っぽい。
そして、話を聞いた男のほうが、もぐさをほぐす所作が入っている。
ほぐしすぎるぐらいほぐしているが、こうすると空気をたっぷり含むので熱さが増すのだろう。
久々に私のバイブル「五代目小さん芸語録」を引っ張り出してみた。強情灸については特に詳しく書かれている。
小燕枝(現・さん遊)師は、なんでも両方の強情灸をやるらしい。
話を聞いた男が対抗して灸を据え出してからは一緒だが、小さんが余計な仕草なく、固まって熱さに耐えているのが絶品だったという。
そして、小さんは我慢している最中に顔を真っ赤にしていた。こんなことができた噺家はひとりもいない。
大師匠リスペクトの喬太郎師は、小さん風に固まって耐えていた。
余計な仕草がなくても、キョン師のものは実にわかりやすい。
師の新作にも通ずるところ。
冒頭から楽しい一席でありました。