前座のわたしさんが見台、ヒザ隠しを片付けて、今度は小満ん師。
師の出囃子、「酔猩々」はたびたび聴いてるわけじゃないが、妙に耳に残る。
開口一番、早速崎陽軒をいただきましたとのこと。
おそばの話。おかめそばのいわれ。
そして「ひょっとこそば」の小噺。たいへん珍しい。
町内にできたそば屋、名物がひょっとこそば。
頼んでみると、ただのかけそば。ただ、恐ろしく熱い。
ふうふうして食う姿がひょっとこ。
そこから時そばへ。
仲入り前のこの出番、大ネタをやるのが普通と思ったが。
調子いい男が一文かする場面で小満ん師、客席に「わかりましたかね。ここがわからないとこの噺成り立たないんで。皆さんわかりましたね。わからないのはこの男だけでございます」。
こんなやり方は初めて見る。
江戸時代の時制の説明も入れず、ここだけほんのちょっと解説入れる。
粋なやり方。
遊べる噺だが、さすがに派手なところは皆無。
昔ふう。おそば食べたくなるよね。
ちょっとあれ、と思ったのは、小満ん師の語りがちょっと聞き取りにくいこと。
こういう印象を持ったことはなかった。
確かに抜けていく声ではないし、言葉のキレがいいわけでもない。
だからもともとわかりづらく感じる人もいそうだが、落語を知っている人なら明瞭に聴ける声だったと思う。
とはいえ超ベテランの師匠は、あれと思ったあと、またよく聴こえるようになったりするからその日の調子もあるだろう。
仲入り休憩後二席めの小満ん師。
今度は色っぽい噺をと。ここで大ネタ。
始まったのは幇間の噺。
幇間や芸者は吉原が最上級だったそうで、ここで務まればどこへ行っても一人前。
居候の一八は、芸者のお梅に長年岡惚れ。
今日は師匠が帰ってこないらしいから、一つ告白してみよう。
意外なことにお梅さん、いいわよと。あなた優しいから。昔懸命に看病してくれたときは嬉しかった。
ただ、お酒飲むとだらしないところがいけない。それさえなければ。
今晩2時に忍んでらっしゃいと言われ、天にも登る心地の一八。
つるつるだ。
小満ん師の師匠、黒門町の文楽の十八番。
すっかり廃れた噺であり、生で聴くなんて初めて。これはすごいのが出たと身構える。
昭和元禄落語心中でこの噺が出たときは、ブログで解説するため集中的に音源を聴いたが、それすらずいぶん前のこと。
つるつるは、設定がよくわからないところがある。
というか過去に気にしたことがなかった。
要は、幇間が岡惚れした芸者と同じ屋根の下に住んでいて、そして午前2時に帰らねばならないというタイムトライアルであることがわかっていればいいわけで。
今回もそれで充分なのだが、さすがに調べなおした。
幇間の一八は芸者の置屋に居候して寝泊まりしているのである。
この置屋を、一八の師匠が経営しているらしい。
あとは時間を待つだけなのに、贔屓にしてもらってる旦那がやってくる。
吉原は飽きた。柳橋で遊ぼうと。
さすがに今日はダメだと一八。これこれこういうわけなんでどうぞご勘弁を。
すったもんだの末、12時までつきあえと旦那。
今日は酒はダメだというのに、旦那の計略でもってべろべろに飲まされる。
また、芸者衆まで寄ってたかって。
片足踊りを披露して、勢いよく座敷を抜け出す一八だが、もはや泥酔。
置屋に戻ったら、お土産のヒモだけが残っている。
結局2時に忍び込むことはできない。
つるつるという妙な演題は、一八が、想定外にも帰ってきてしまった師匠の枕元を通らず、明り取りの窓から縄を使ってアクロバティックに下に降りる様子を表している。
わりとリアルな愛宕山、ってなとこか。
準備万端、しかし寝過ごして朝になり、すでに朝食をとっている師匠の前につるつると滑り降りてくるのは、実に絵になる眺め。
ただこのシーンは、噺を知っていないとわかりにくいかもなあ。
誰がやってもわかりにくそうだ。
思ったが、消防署の滑り降り棒のマクラを振っておけばわかりやすくならないかな。今はもう使ってないそうだけど。
サゲは本来「井戸替えの夢をみておりました」だが、引越しに替えてあった。なので「引越しの夢」と同じサゲになる。
状況がわかりにくいのは仕方ない。
それでも私は、静かな色気に満ちた噺のムードに圧倒されたのだった。
小満ん師はまったく押さないが、それゆえに幇間の恋が沁みる。
小満ん師の場合、なにせ押さないので、旦那も人の恋路を邪魔する野暮な人には映らない。
もちろん、旦那はわかってやってるのだ。一八をひっぱたく代償に1円やろうとか、そんな暴力的なシーンもあり。
だが、旦那にとってはすべてがシャレであって、他意はない。そんな気がする。
一八に芸人の料簡を叩きこんでやるのだとか、そんな解釈もあるだろう。だが旦那にとってはもっとシンプルな気がする。
一八の恋が成就してもしなくても、すべてはシャレ。
いや、すべてがシャレの旦那、それはそれでいやだと思う向きもありましょう。
そして一八もまた、プロの芸人。吉原を主戦場にしてるのだ、決して二流の芸人ではない。
恋と仕事とどちらもゲットしようと、ごく自然に考えたのではなかろうか。
だが、お梅の予言したとおり、酒でしくじってしまうという。
そう思うと、なかなか楽しさに溢れている。
骨格はむしろ完全なる滑稽噺だ。
楽しい噺は、悲劇で終わる。
男と女は間がすべて。
間が悪かったらもう、あきらめるしかないか。
だが、私は描写されないハッピーエンドが待ってる、そう思うのだ。
お梅さんだって、芸人の女房になろうというのだから、仕方ないなと思ってくれるのでは。
一日の仕事を終えてから旦那が飛び込んでくるなんて、そして師匠が帰ってくるなんて、さすがに予想外である。
人に押し付けてこない芸は、いろいろと考えがふくらむものである。
トリの喬太郎師に続きます。