先日、中野翠さんのエッセイ、「この世は落語」を読んだ。
落語は聴くのも楽しいが、落語について書かれたものを読むのもまた楽しい。この方は、映画が専門なので、ときに映画のフィルターを通して落語の素晴らしい世界を映し出してくれる。
ひと様の感性を通して、好きな落語を追体験するのはとても楽しいことである。
ただ、不満がある。
書かれている内容についてはなんら不満はない。素晴らしいエッセイである。
取り上げられている噺家は、一推しで先代文楽、それから志ん生、圓生、先代正蔵、先代馬生、そして志ん朝。
昔の人ばっかりだが、別に、昔の噺家のほうがよくて今はダメなんて書いているわけじゃなく、これは別に構わない。
不満の一は、上方落語について一切触れていないこと。四天王もいっさい出てこない。
「鴻池の犬」について、本家を知らないで柳家さん喬師のものだけ取り上げているのは、さすがに極端すぎる。
三遊亭白鳥師の名前がいきなり出てきたりして、中野さん、落語を楽しむ幅は広くお持ちなのだ。なぜ上方が丸ごと抜けるのだろう。
現場主義でなくもっぱらCD派なのだから、どこに住んでいたって上方落語は楽しめると思うのだが・・・
まあ「江戸落語」について書いた書物なのだと思えば仕方ない。
しかし、「江戸落語」の本だとして、さらに大きな不満がある。元祖人間国宝、五代目柳家小さんについて一切触れられていないこと。
小さんについて触れなくても、落語は語れてしまうのだ。これが現実。残念でならない。
中野さん、別の著「今夜も落語で眠りたい」では、小さんをほんの少々紹介しているけども。
子供の頃からTVで拝見して、私の落語の耳の根幹を作ってくださった先代小さん。私には神様である。
今でもたびたび聴く。
当ブログでも、弟子の小里ん師が語っている書「五代目小さん芸語録」から再三引用させてもらっているが、これは私のバイブル。
だがそもそも、先代小さんを、現代の落語好きはどうとらえているのか。
「落語界に優秀な噺家を多数送り出した大ボス」として認識はしているだろう。その名跡も、大きな名前として敬意は持たれているはず
だが、実際に落語を聴くとなるとどうなのか。
広瀬和生氏の「なぜ『小三治』の落語は面白いのか」でも、小さんは「おめえの噺は面白くねえな」という啓示を与えた存在としてしか扱われない。
困ったことに、現在世に出ている速記本も、小さんのものは少ない。まずは圓生、それから志ん生、米朝、枝雀、小三治。
上方のプロや落語ファンも、東京の噺家では志ん朝ばかり褒めたたえているイメージである。小さんは無視、というかあまり好きでないらしい。
うーむ。
小さんの名誉回復のために、微力ですが立ち上がることにしました。
柳家小さんの弱点
噺家としての評価が、ご本人の偉大さに比べてもうひとつの感が拭えない、先代柳家小さんの名誉回復を図ろうと思う。
おいおい噺を聴き込み、その偉大さに改めてスポットライトを当てていくつもりだが、まずはどうして評価がもうひとつなのかを考えてみる。
ちなみに、「名誉回復」の結果目指す着地点は、「小さんは志ん生、圓生に並び立つ巨星だ」というところである。
文楽も一緒に並び立ってもらって全然構わないのだが、それは今の私の目指すところではない。
さて小さんの特色はなにか。弱点とされるものを重視して挙げてみる。
- 滑稽噺ひと筋
- しかし口調が重々しく、陰気な感じがする
- 人情噺はやらない
- しかし友情を描く点については随一
- 怪談噺・芝居噺もやらない
- 女の出る噺が苦手
- 落語協会長の座に長年居座った
- 落語協会分裂を招いた
- 出来の悪い息子を残した
- 孫を無理やり真打にした
こんなところだろうか。
まあ、後半のほうは政治家小さん、人間小さんの姿だから、噺の評価には直接関係あるまい。
孫の花緑を22歳で真打に引き上げた点、叩かれても不思議ない。実際、およそ正当化されるものじゃないと思うのだが、さほど叩かれているようでないのは結局のところ、小さんの人徳のなせる業か。
口調については、まったく不思議な噺家さんだ。
ボソボソと陰気に聞こえる語り口に違いないのだが、そういう口調なのだと認識したのは最近のことだ。
子供の頃からテレビでよく聴いている中で、私は小さんを「陰気」や「地味」などと認識したことはただの一度もなかった。
子供心に、これこそ落語(滑稽噺)のスタンダードだと認識していたのである。実際、「長屋の花見」「粗忽長屋」「かぼちゃ屋」など実に面白かったし。
陰気さなどまるで感じなかったのはなぜか。今になって考えてみるとよくわかる。小さん落語の登場人物たちが、実に陽気だからなのだ。
まあ、これにも異論はあるだろう。小さん落語の登場人物、確かにテンションは決して高めには見えない。客にダイレクトに伝わる躁病的個性の人物ではないのだ。でも、間違いなく陽気。
むしろ、全体のテンションが控えめであることを考慮に入れると、噺の中では、「相当に」陽気な人物たちばかりだ。与太郎など、まさにそう。
全体のテンションの低さと、噺の中の登場人物の弾けっぶり、一見大きなギャップがありそうで、見事に調和しているのが小さん落語。
弟子たちに、陽気な落語をする人が多いのは、小さん師の噺の「陽気さ」と無関係ではないはずだ。
弟子にとっては陽気な落語として映っていたことだろう。トーンを小さんレベルまで下げずに、普通に陽気に演ずると、大変明るい落語になる。
全体のトーンの低さと、噺の中での登場人物の弾け振りを打ち出すやり方は、孫弟子の代になって、柳家喜多八にひっそり出てきたように思う。
「陽気」に関するこのあたりの感覚、特に関西人には伝わりにくいだろう。そのことも、よく理解はできるのですが。
柳家小さんの真価
永谷園の「あさげ」「ひるげ」「ゆうげ」のCMも、今思うと小さんの落語そのままであった。
「旨いねー、これでインスタントかい」というセリフ、それだけで面白い。
テンションを妙に張り上げずに人を笑わせる技術が確立していると、あとはなにをどう喋ってもおかしい。
小さんがテンションを上げていかないのは、残された芸談をいろいろ読めば一目瞭然なのであるが、噺を終盤で息切れさせないためでもある。
マクラ、噺の序盤から飛ばしに飛ばしてしまうと、最初ウケていても後半ダレて失速する。これは非常によくないことなのだ。客も、序盤から笑わせられると疲れてしまう。
そんな噺をするくらいなら、むしろ前半のギャグを刈り込んだほうがいいのである。もちろん、刈り込んでつまらなくなり、客のつかみに失敗したら、もう手遅れだが。
現代の噺家が小さんコピーをしても意味はないが、噺の呼吸はそのまま学べると思うのだ。
今第一線にいる噺家さんでも、うっかりすると後半失速することがある。なまじギャグのセンスが鋭く、序盤からウケさせる人ほどそう。
そんな中、当代柳家小せん師など、テンションの維持の仕方、噺をトータルに捉えたときの力の入れ具合が、大師匠小さんに非常に似ていると思う。
CMの頃は、すでに人気番組「笑点」はあったが、「噺家といえば柳家小さん」というイメージを世間が持っていたはず。
世間に対し、その個性がわかりやすく伝わっていたのだろう。
しかし浸透し過ぎると、その反動としてこれを崩す落語が目立つようになる。
談志など、弟子であるがまったく違うスタイルを貫いた。談志信者は、小さんを古臭いものとして遠ざけることもあっただろう。
小三治もそう。この人は小さん落語を是としながら、真似はできないという制約下において、説明過剰の領域に進んでいったのではないかと私は思う。
そして現代、微妙に小さん落語は埋もれかけている。しかし、時代に消えていくようなぬるい落語ではない。新しい落語が次々出てくる中で、絶対に沈んではいくまい。
小さん落語、「『実は』わかりやすい」という点も、後世に残っていくにあたり有利だと思う。
その体系の中では、非常にわかりやすい小さん落語。だから、子供の頃の私が、これをスタンダードなものとして聴くことができた。
しかし大人の耳で再度聴いたときに、決して「わかりやすい」といえないことも理解ができる。テンションが低くてついていけないと。
良くも悪くも落語の世界、ここに入ってくるのはインテリ層だけだ。
聴き手でなく、噺家さんのほうにはちょくちょく非インテリも入ってくるが、見せかけの与太郎はともかく、非インテリで大成した人はいないと思う。
インテリ噺家がインテリ層の客に限定して語り掛ける構図が、落語が大衆芸能を標榜しつつ、哀しくも現実の限界である。「古典芸能」の枠を取っ払おうと皆さん頑張ってはいるが。
そしてインテリは、あまりにもわかりやすいものには食いつかない。その点、微妙に理解に手間取る噺がベスト。
小さんは、万人に愛された噺家でありながら、落語が大衆のものだという幻想は持っていなかった。あくまでも通のものだという認識でいたようである。談志を指して「あいつは女子供にまで噺を聴かせようて了見がよくネエ」と言ったそうだから。
千早ふる
ようやくだが、小さん落語を聴いていく。
代表作の実に多い人で、最初に取り上げる噺に迷うが、「千早ふる」から。「千早振る」という表記もあるが、「小さん芸語録」に合わせました。
21世紀に聴いても、間違いなく小さんの「千早ふる」は面白い。
こんな特色がある。
- 現代の「千早ふる」への強い影響がうかがえる
- しかし、現代の「千早ふる」では省略されてしまっている細かい描写が多い
- 知ったかぶりの隠居に嫌味がなく、八っつぁんとの関係性がいい
小さん落語の特徴が、ことごとく現れた噺だ。
「千早ふる」は、隠居(たまに先生、たまに兄貴)の「嘘つき芸」を楽しむ噺だと思う。
芸である以上、客も八っつぁんと一緒に、相撲取りと花魁の楽しい話を味わいたい。「恥をかきたくない隠居のしどろもどろっ振りを楽しむ」というのはちょっと違う気がする。
小さんの「千早ふる」、隠居が堂々としていていい。竜田川が相撲を止めて豆腐屋になるくだり、八っつぁんに責められても、後付けで親が豆腐屋だという話をブレずに語る。
そして、この隠居と、歌のわけを訊きにきた八っつぁんとが、「道灌」のように仲がいいのがうかがえる。これもまた、友情を描いたら右に出るもののない小さん節。
「道灌」などと違い、「千早ふる」の隠居、八っつぁんに嘘を教えるわけだから、本来の利害は対立しているのである。しかし、隠居の芸を八っつぁんも楽しんだのだ。ふたりの関係性がいいからこそで、それで騙されてもいいじゃないか。
ちなみに、「なごやか寄席」の音源を聴いているが、隠居に尋ねにきた男の名前は「金さん」。金さんではしっくりこないので、便宜上「八っつぁん」にさせてもらいました。
この隠居、堂々としているが、実に軽いのがいいのだ。
小さんの噺には、常に軽さを感じる。聴き手が「軽さ」を感じられるのは、一見重々しい語りの中に完全に入りこめたということだ。
地味で暗いと一見映りかねない語りの中に、とてつもない「軽さ」が潜んでいる。
軽いのはいいことだが、人物のリアリティが薄くなりかねないデメリットもある。しかし、小さんといえば人物描写の第一人者。
よく考えると不思議なのだ。軽い描写なのに、人間が描けているというのは一体どういうことだろう。
簡単に言えば、「これが落語だ」ということなのだろう。ちょっと逃げました。
軽さと、細かい描写ともまた矛盾しない。
八っつぁんの娘が、「近江屋さんに通いで行儀見習いに出ていて、そこで百人一首を覚えてきた」というようなくだり、今ではほとんど省略されている。
隠居の語る花魁道中も、情景描写から入ってやたらリアル。竜田川と千早の再会シーンも、浪花節が入ってたっぷり。
時間の関係もあるし(小さんの「千早ふる」は結構長くて25分くらいある)、現代の寄席における省略はやむを得ないと思う。
ただ、こういう細かい、ウケどころでもない描写がじわじわ生きてくる。人物が立体的になってくるのだ。
これは、言うほど簡単なことではない。細かい描写をただ増やしていくと、噺はとたんに重くなり、伸びやかさを失う。私が小三治師に感じるのはこれ。
昨日、「軽い描写なのに、人間が描けている」という不思議さについて提起した。
技術的には大変難しいことだと思うが、どういう肚で喋っているかは理解ができた。
小さん自身が、知ったかぶりの隠居の肚になって語っている。ただそれだけのことなのだ。
知ったかぶり、というか、知らないことを知らないと言いづらい頑固な性格、それから八っつぁんを一丁からかってやろうという了見、そして迫真の話芸、そういう要素が一人の人間に詰まっている。
「小さん芸語録」によれば、「千早ふる」の最大のウケ場は、相撲取りと花魁の噺に夢中で聞き入っている八っつぁんが、「あ、これ歌のわけですかい」と我に返るシーン。
小さんの隠居の、迫真の喋りを聴かされると、謎が解けたときに爆笑がくる。
「地味にぼそぼそしゃべる」ということにされがちな小さんの芸。
しかし、突然声を張り上げてメリハリをつける部分もある。「ねえさんの嫌なものは、わちきも嫌でありんす」、とこれは神代太夫。
「知ったかぶり」のマクラも楽しい。
「兄貴のめえだけどね、よく『つごもり』ってことを言うじゃねえか。あれどういうわけなんだい」
「どういうわけってなおめえ、あれはなによ・・・『つご』が洩るのさ・・」
志ん生の「うわばみ」、すなわち「うわ」が「ばむ」を思い起こさせるが、小さんもまた軽くて楽しい。
「五代目小さん芸語録」の小里ん師によると、「千早ふる」は、小さんが地方に行ったときによくトリで掛けていた噺だそうだ。疲れなくていい噺ということで。
だいたいバカウケしていたとのこと。
これはさぞウケただろうなあ。
二十四孝
次に聴くのが「二十四孝」。
「千早ふる」と違い、現代ではほぼ死滅してしまった噺。「天災」とよく似ている点も不利。
私も、現代の噺家からは柳家三三師で聴いたことがあるだけ。
そんな噺だが、古臭いかと思うとさにあらず。小さんの「二十四孝」、実に面白いのだ。
乱暴者の八五郎と大家の会話が主になる噺。ただ「千早ふる」や「道灌」などに現れる八っつぁんと隠居の会話とは異なり、大家は八っつぁんに説教をする立場である。
だから会話は本質的には平和ではない。大家も、八五郎の親不孝振りに呆れ返り、半ば本気で店立てをしようとするくらい。
本気で殴り合いの喧嘩をしようかという大家と、話をいちいち混ぜっ返す八っつぁん。
そういう構図であるにも関わらず、全体のムードは極めて穏やかである。
決して大家は、説教に手を抜いて八五郎におもねったりはしていない。八っつぁんのほうは、ふざけて聴く耳を持たないのかのように、一見映る。
しかし二人は、本質的にはコミュニケーションを楽しんでいる。大家は、八五郎にまだ見どころがあると思っているし、八っつぁんのほうも、大家を馬鹿にしているわけではなく、なにかしらを吸収しようとしている。
八っつぁんが大家に「表出ろイ」と言われて、「強いんだな。じゃ、謝っとこ」というのはウケどころだが、これは「乱暴者の八っつぁんが大家に凹まされた」と快哉を叫ぶためのシーンというよりも、この場面から、人間同士本気で向かい合うようになるという点が重要なのだと思う。
演ずる側からすると、難易度が極めて高そうな噺。下手な噺家がやるなら、ふたりの関係が険悪なまま、ギャグだけ入れて上滑りするだろう。
滅びかけているのも無理はない噺だ。
昔の噺家さんはよく掛けた「二十四孝」をいろいろ聴き比べてみたが、談志のもの、まさに二人の関係が険悪なままだ。さすがに下手だとは言いませんが。
最近、談志の落語を徐々に克服できてきたのだが、こと「二十四孝」に関していうなら、まったく気持ちのいい噺ではない。
不肖の弟子ではあっても、師匠小さんリスペクトは一生続いたらしい談志。「二十四孝」、ほぼ小さんのものとストーリー・クスグリが同一。にもかかわらずまるで雰囲気が異なる。
小さんの「二十四孝」、談志を通じて理解できたことは、「二人の関係を険悪に描かない自信があるからこそ、ギリギリまで対立させることができる」ということだ。
型だけ真似すると、ひどい人間関係になる。
小さんの「二十四孝」を続ける。
大家が、聴く耳を持つようになった八五郎に、もろこしの「二十四孝」の話をしだす。相変わらず八っつぁん、茶々を入れどおしで笑いはたっぷり入っているのだが、一方で、小さんの大家の話、実にありがたく聞こえてくる。
「もろこしの先生」(孔子)と、麹町のさる侍の話を笑いなく進める「厩火事」なみにありがたい。
落語を聴いてありがたがるのは、昔も今も変わらない。坊主の説教と同じだ。
上方の落語好きだけが唯一そうでないようだが、東京も地方も、共通して落語にありがたみを求める傾向がある。
その是非はともかくとして、どうせありがたがるならば、本当にありがたいほうがいい。
ありがたみをよく感じているのが、客の前にまず八っつぁんなのだ。混ぜっ返してばかりで大家の話を聞く気があるのかないのかわからない八っつぁんだが、実は段々引き込まれて、その先どうなったか聞きたがっている。
そうなると、客もシンクロして先が気になる。
他の「二十四孝」を聴くと、大家と八五郎が徹底的に対立している構図のものは少ない。
対立させないほうが、噺の展開としては楽だろう。
いかに小さんが、人間関係を結びつけることに自信を持っていたか。
落語ならではのマジックも随所に感じる。
噺の前半、大家と八五郎、ふたりだけの会話にも関わらず、八っつぁんの家族が会話に参加している。
自分の母親とかみさんを会話に登場させるときの八っつぁんは、八っつぁんの口調では喋らない。あくまでも、登場人物の口調で喋る。
魚屋から買った小アジを隣家の猫に持っていかれた八っつぁん、母親を問い詰めるが、母親「お~や知らな~いよ~」と唄い口調。
弟子の小里ん師によれば、この部分、小さんならではの見せ場だそうだ。女の出てくる噺が苦手な小さんだが、長屋のおかみさんはそれほど苦手にしていなかったという評価。
私の聴いている音源では、26分と結構長いものの、途中で切られている。大家との会話、「梯子を外す」部分で噺が終わってしまい、親孝行の実践はしない。
だから母親とおかみさんは直接登場しないのだが、しかし立派に噺に加わっている。
大家の、もろこしの親孝行の話が延々と続くのは、「ありがたみ」があるとともに、ダレ場でもある。
八五郎が「また感ずりやがったな」と混ぜっ返して笑いを取ってはいるが、ダレて不思議ない場面。
今の噺家さんでは、この繰り返しに耐えられないのではないか。
ギャグも入ってはいるが、ギャグで間が持つという感はない。まずは二人がきちんと会話をしているから心地よく響くのである。終盤、大家が八っつぁんのボケに突っ込むのを止めているところがあるが、ボケに疲れたわけではなくて、客を飽きさせないため変化をつけているのだろう。
談志の小さん評
さて、「二十四孝」は以上。
たまたまなのだが、「談志 名跡問答」という2012年つまり談志死後に出版された本を読んでいる。
亡くなった名噺家たちを談志が斬りまくる内容で、面白い。あの口調で実際に聴かされるとちょっと辟易するが、文字に起こされているとだいぶ和らぐ。
そして当然のように、師匠小さんも斬っている。
- 嫌味のない芸で優等生
- 芸談のない人で、落語の話はほとんどしなかった
- 人情噺をやらなかったのは、単に苦手だったということも大きい
- 戦争でみんな死んでしまったので他にいなくて名人になれた
- 教わったとおりを、熱心と天性のよさであそこまで来た
- 政治的な駆け引きをまるでしない人で、弟子をいい席に押し込んだりは一切ない
- 「睨み返し」がよく、国宝級だった
- 稽古してもらいながら噴き出して何度も怒られたことがある
結構ひどいことも言っているのだが、「戦争でみんな死んだ」云々は、小三治も同じことを書いている。
「政治的な駆け引き」は弟子としてはしてはもっとして欲しかったようだ。志ん生も、志ん朝をかなり押し込んで、文楽に相談して抜擢真打にもした。そういうのはなかったと。もっとも、談志はコメントしていないが、小さん、孫の花緑は無理やり引き上げている。
ともかく談志、辛辣コメントもしているが、全体的には自分の師匠に対する強い愛情を感じる。他の噺家を冷静に斬る姿と違うのである。
談志というひとは、どんな人間に対しても100%心酔することはなく、表と裏の双方をきっちりコメントする。だが、小さんに対しては、表の面についてのコメントが目立つ。
多くの弟子から大変に愛された小さんであるが、あの談志が他の弟子と同じ目線になっている点は注目に値する。
「戦争で死んで他にいなかった」云々は、談志自身がどれだけ小さんを面白いと思っていたかのコメントと矛盾する。これは小三治と異なり、弟子としての照れの現れなのだと思う。
それでいて談志、小さんがいかにして名人になったかについて、きちんと説明・分析できていない点は興味深い。
談志のコメントを通じ、私は五代目小さんという人が、いかに得難い噺家であったかを改めて理解した。人格者振りに騙されがちだが、結局のところ小さん、噺を構築する天才なのだ。
志ん生のように、常識人から見て理解のかなたに突き抜けてしまう人は、「天才」と考えるしかないだろう。だが、小さんの常識的に映る姿をよく見ていけば、そこにちゃんと天才が潜んでいる。
ところで、弟子をつかまえての芸談というものはなかったと談志は語るが、馬風師や小里ん師など、内弟子はよく芸談を聞いていたとの話もある。小さん本人も、四代目小さんから噺のコツなどいろいろ教わっているのだから、弟子たちに話をしていた姿のほうが自然に映る。
よくわからないが、談志に対しては芸談は不要だと思ったものか。別に嫌っていたということではなく、たくさんの弟子を見る師匠、相手に対して姿を変えることも多々あるだろう。
改まった場での芸談も多数残していて、川戸貞吉の「柳家小さん芸談」など、先日読んだばかりだが面白いものだった。
同門で懇意にしていた先輩、蝶花楼馬楽について、「噺の解釈の方向性を間違ってしまうことがあった」とコメントしていたのは興味深かった。つまり小さんがもっとも落語について重要だと思っているらしい「演出」の巧拙についてである。
かぼちゃ屋
与太郎噺をひとつ取り上げたいので、「かぼちゃ屋」を。
「かぼちゃ屋」の与太郎の造型、実にいい。
与太郎は、「知的障害者」として扱われがちだ。社会的弱者を馬鹿にする描写だと勝手に捉えてしまい、与太郎噺を嫌う人もいると思う。
だが、落語でよく描けた与太郎は、ちょっと違う。リアリズムから生まれるものではない。いや、リアルな造形ではあるのだけど、あくまでも架空の世界におけるリアルな存在。
落語の与太郎は、この世のルールとやや違う、自分自身の世界観を持っており、自立した存在だ。
私など、与太郎を自分の分身と捉えている。
自己は持っているが、肚のない与太郎。
まわりをほっこり幸せにしてくれるのもいい。ある種、理想の江戸っ子に見える。
与太郎の名セリフがある。
「かぼちゃ食うやつがいるからこしらえるのか、こしらえるやつがいるから食うのかわかんねえけど、間の悪いやつは間に入って売るようなことになる」
なんと哲学的ではないか。与太郎という、不思議な存在を一言で物語っている。
かぼちゃを売りに出される自分の姿を一見嘆いているようで、わりと達観しているところがすごい。
かぼちゃを長屋に全部買ってくれる男は「かぼちゃ屋」の重要な登場人物であるが、この人は「唐茄子屋政談」で同じ役割を果たす人とはだいぶ違う。
男気もある人なのだろうが、よく聴くと、むしろ与太郎からかぼちゃと一緒に幸せを分けてもらったように見える。
それにしても、天秤棒だけかついだり、「腰を切れ」と言われてナタを持ってくるような与太郎に「売るときは上を見ろ」とだけ言って出すおじさん、いささか不親切じゃないかという気もする。
でもおじさん、最初から全部売れるなんて思っていない。まずは甥っ子に苦労させてみようと思ったのだろう。
よく聴くと、初めて売り歩きに出るおじさんが、どれだけ心配しているかもちゃんと伝わってくる。
師匠を褒めるために弟子を悪く言うことはないのだが、これだけ、見えてないものまで描き切る古典落語がすでに成り立っている後で、「イリュージョン」などと言われても、そこにどれだけ価値があるのかと思うのである。
小さん落語がすでに、人間の無意識の領域まで描いていると思う。
30年経ったときに、なお残っているのはどちらだろうか?
笠碁
聴けば聴くほどすばらしい小さん落語。
しかし、いろいろ書いていて深刻な矛盾も感じる。
私は本来、子供の頃に味わった小さんの「ストレートな面白さ」を世間にアピールしたい。しかし、「ストレートなおかしさ」「感性で噺を味わう」という点においては、世間は志ん生を選んでしまう。
であるから、小さんだって実に面白いし、なによりも技術がすごいのだ、とどんどん理屈の領域に入り込み、分析していってしまうことになる。だがこちらの領域には、圓生がいる。
「江戸前の落語のきっぷのよさ」を味わうなら、これは志ん朝の独壇場。
他にも、談志・米朝・枝雀など、亡くなった噺家ジャイアンツはみな、世間にわかりやすい個性のかたまりばかりだ。
なるほど。
小さんの落語、総合力ではとてつもない高みにある。しかし、その風貌のような丸い落語で、突起がなくてつかみづらいのである。
先代文枝や、先日亡くなった三代目春團治などにもこういう雰囲気があるかもしれない。ほぼ欠点のない落語なのだが、世間に対するわかりやすいアピールに乏しい。
ただ、「わかる人にはわかる」だけではない、もう少しの「偉大さ」を同時に小さんには感じる。もしかしたら、落語協会会長の地位にあったことや、永谷園のCMなど、付加価値によるものも紛れ込んでいるかもしれないのだけど。
とにかく、小さんの飛び道具を扱ってみたい。わかりやすい飛び道具はちゃんとあって、それは「友情」。
といえば、「笠碁」だろう。
マクラからおかしい。王様を持ち駒にしてしまうヘボ将棋から、本碁を五目並べだと思って口を出す奴。
これらのマクラはいまでも普通に掛けられていて、すでに擦り切れていてもおかしくない。だが、小さんで聴くといまだに不思議なくらいおかしい。
マクラからすでに、人間関係の気持ちよさがスパイスとして感じられるから、のようである。
本編に入って喧嘩のシーン、実社会の貸し借りの関係など持ち出すからもちろんいけないのだが、でもこのシーン自体、そもそも気分の悪いものではない。
二人の碁仇は、そんな昔のこともつい言いたくなる関係なのだろう。ほんのちょっと、親しき中の礼儀を踏み外しただけなのだ。
喧嘩自体が友情の現れ。これはちょっとマネできそうにない。
「笠碁」という噺、「友情の回復」というテーマがあるわけだが、小さんだと、「喧嘩と退屈、修復」自体が日常のワンシーンであるかのように映る。
だから喧嘩のシーンにぐずぐず時間を掛けなくてもいい。
そうなると噺のドラマチックさは犠牲になる。だが、全体の気持ちのよさで補って、なお余りある。
この項の最初に挙げた中野翠さんの「この世は落語」では、文楽、圓生、そして美濃部家をメインに扱っていて、小さんには触れていない。ただ、別の書「今夜も落語で眠りたい」で唯一、小さんの「笠碁」について筆を割いている。
「サッパリしている語り口がいい」という評価。柳家だから。
また、2014年の「落語ファン倶楽部」Vol.21「落語にぞっこん」を引っ張り出してきた。
山藤章二、中野翠、高田文夫、林家たい平の座談会である。
小さんに触れた場面は少ないのだが、山藤氏の「最近小さんに戻った」という発言から、小さんが取り上げられている。
小さんはいろいろな弟子を育てたがゆえに、果実や枝葉のほうに目が行っていたが、最近幹のほう、大木の小さんがよく感じられて仕方ない、という発言。
談志びいきの人は、小さんのよさを知らずに死んでいく人が多そうな気がするが(※私の意見です)、山藤氏は戻ってきたとのこと。例として取り上げているのがやはり「笠碁」。
ちなみに、中野さんは小さんについて「さっぱりしていていい」「笠碁で情景が浮かぶのがいい」とのみ語っている。
菅笠を被った隠居が、店の前を行ったり来たりする場面。どっちがポストかわからない。
こういう情景描写の巧みさは確かに素晴らしい。
たい平師も、「猫の災難」における情景描写を激賞していた。
ただ、情景描写については、「小さんなんだから当たり前でしょ」と私は言ってみたい。もっと重要なのは「演出」でありさらには「人間性」だと思う。
「サッパリした語り口」の中にどれだけの演出が詰まっていることか。
現代でもよく掛かる「笠碁」であるが、比較すると小さんのものは、喧嘩のシーンが慣れ合いに近い。
喧嘩したあと退屈を持て余す場面でも、いずれ仲直りできるであろうという描き方だ。
大山参りの際の菅笠をかぶって出かける際も、それほど逡巡はしていない。行けばすぐに仲直りできるだろうという期待感が強い。
この二人、きっとまた喧嘩もするだろうし、仲直りもするだろう。というより、過去にも喧嘩して、仲直りしてきたのだろう。喧嘩も含めての友情がうかがえる。
軽い喧嘩の描きかたが正解だ、ということではない。先に挙げた「二十四孝」は、大家と八五郎が本気で喧嘩しかけるが、そういう場面からも、やはり強い人間関係を感じるのである。
要は、どんな人間関係でも綺麗に描ける力があるということだ。
「笠碁」の場合、孫のいる隠居が子供じみた喧嘩をするから笑えるわけだが、本当に子供じみていたらいささかみっともない。それ相応の風格は必要なのだ。
こういう演出のありようが、小さん落語の肝だと思う。そして、小さん本人の「人間性」が噺を通して浮かび出てくる。
最後に
五代目小さんについて長々書いてきた。まだいくらでも続けられると思いますが、いったん筆を置きます。
そのうちに続きを書くかもしれません。
最後にひとつ。
小さん落語について書かれたものを読んでいくと、180度異なる見解を見出す。
- 小さん落語は、古典落語の形をきちんと作った。だから、真似をするとそれらしい落語になる。
- 小さん落語に入っているフレーズを真似してもウケない。人間小林盛夫だったからこそウケていたので。だけど真似したい。
前者は談志や小三治師が言っている。後者は権太楼師で、「猫の災難」の「今日はいい休みだったな」というフレーズを指して言っている。
真逆のことを言っているのだが、このふたつの見解は必ずしも矛盾していないようである。
つまり、劣化コピーだったら可能だが、劣化に終わらせないためには、高いレベルの演出や、さらには人間性が必要になってくるということだろう。