アンパンチ論争というものが、知らないうちに始まっている。
世間はおおむね、「楽しい番組を暴力的だと考えるなんて、いったいどんな感性をしているんだ」という意見のようだ。
芸能人たちもほぼこの考えらしい。
私もアンパンマンは好きで、子供が小さいときにはいつも視せていた。
アンパンマンミュージアムにも幾度となく連れていったし。
とはいいつつ、単純明快な見方を好む世間と、同じ角度から眺めているわけではない。
子供も生まれていない学生の頃に、私は確かに、たまたまアニメのアンパンマンを視ていて、案外と暴力的なのだなと思ったことがあるのだ。
だから私の場合、暴力的要素を明らかに認めつつ、それでも別に構わないと思って子供に視せていたわけだ。
暴力的な要素は確実にあるが、あえて問題にはしないということ。
アンパンマンのことは怖くない。
アンパンマンが暴力だなんてとんでもないと、単純化する発想のほうが、私は怖い。
ちなみにツイッターで、アンパンマンの暴力よりも、女性キャラのパターン化のほうがイヤだという意見があった。
これなど、暴力論争以上に、世間は取り上げないだろうし、冷たい目を向けるだろう。
だが、言いたいことは一応わかる。
ドキンちゃんなんて、女の子のわがままをすべて集めてできた娘である。だからこそ楽しいのだけど。
プリンちゃんとエクレアさんなんてコンビのキャラご存じ? 女の愚鈍さを集約してできた、やはり大変楽しいキャラクターで、善意によってばいきんまんをいつもひどい目に遭わせる。
狙ってそうでき上っている、楽しいキャラクターのことを糾弾などしない。だが、そこにマイナスのイメージを持つ人のことも、理解の外にはない。
永井豪をはじめとする日本のロボットアニメは欧州でも人気だが、暴力的なのが心配という識者の意見が多いと、子供の頃に聴いたときは首を傾げた。
だが、その後ある程度の年齢になり、テレビで特集されているロボットアニメを再度視て、あまりの暴力性に腰を抜かした覚えがある。
これも断っておくが、「暴力的だからいけない」という結論を出しているわけではないし、子供に有害だと意見を出した覚えもない。
作品評価とは別に、暴力要素、感じる人間には感じるわけである。
ナウシカにだって感じるし。
このこととはあまり関係ないのだが、アンパンマン論争に絡めて、私の嫌いな立川志らくの悪口が週刊誌の記事に出ていてやや愉快。
もっとも、志らくのコメントはすべて後追いで読む(というか読みたくないのにネットポータルにいちいち取り上げられている)だけで、テレビ番組は一切視ないので、リアルタイムで不快に感じているわけでも何でもない。
あまり興味もない。
コメントが薄っぺらいのは、落語に関するそれを聞いて先刻承知である。落語界に対するコメントがイヤなだけで、TVで主婦にウケていたって別に関知しない。
どうぞ勝手にタレントとして頑張ってください。
さて、長い長い前置きから今日は、「落語と暴力」について。
世の中には、性欲があるのと同じように「暴力」を好む人間が多数いる。私にはよくわからないのであるが、そういった欲求に訴えるドラマなど多数あるのも事実。
アンパンマンなら平気だが、暴力自体をアピールしているドラマなど視ると、これはチャンネルを変える。
暴力にはあまり触れたくない。
落語に暴力はあるだろうか。
古典落語を徹底的に内面化できていない人が掛ける薄っぺらい新作落語は、しばしば私にとって暴力的である。だが、これは演者の腕の問題に過ぎない。
すぐにカミさんに手を上げ、親を蹴とばすのは「天災」「二十四孝」の八っつぁん。まあ、落語の場合は登場人物が乱暴な程度だ。
「らくだ」は、乱暴な男がすでに冒頭から死んでいるが、にも関わらずあまりにも乱暴なので、あまり好きな噺ではない。
春風亭一之輔師のらくだは、この点表面的な暴力が、実に見事に抑えられていて、かなり楽しいものだった。
恐らく、狙った演出だと思う。その平和な世界観につき、いつか当ブログでも取り上げようと思っている。