落語と暴力(下)

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柳家喬太郎師は、古典新作問わず、陰惨な設定の落語をしばしば語る。
宮戸川(通し)とか、江戸川乱歩の「赤いへや」。小泉八雲の「雉政談」とか。
赤いへやなんて、快楽殺人がテーマ。
こういう落語を堂々と語れる人はそうそういない。
なのに滑稽噺になると、喬太郎師はとたんに、暴力的なテーマを苦手にしている気がする。
いかにそこから遠ざかるかがテーマになってすらいるように思う。
「お菊の皿」では、青山鉄山がお菊さんを責めさいなむシーンをたっぷり入れているが、もちろん目的は暴力とは真逆。
噺を損ないかねない陰惨な描写をギャグにして、楽しい噺の助走にしているのである。
たいこ腹も喬太郎師の得意の演目。
若旦那の幇間に対するパワハラの噺だが、別に暴力がテーマではない。
暴力的な要素を、いかにくるんで楽しくするかが、噺を作る要素になる。
最後、幇間の一八が血まみれになっておしまいというストーリー。下手に作ると聴いていられない。
猫のタマを実験で死なせてしまって平気でいるのだけ、よくわからないのだけど。
このように落語の場合、とにかく暴力がむき出しになることを恐れるところがある。
この点、アンパンマンと同じ気がする。暴力が背景に見切れたとして、客がそちらに気が向いたとするならそうじゃないだろと。

滑稽噺における暴力は、「ちりとてちん」や「酢豆腐」などのごく可愛いレベル。
まんじゅうこわいの場合、口では死んじゃってもいいというが、それはギャグ。
最近隅田川馬石師で見事な一席を聴いた「臆病源兵衛」もそう。まあ、この噺の場合、実際に死人が出(たと思っ)てもわりと平気なところが持ち味。

これとは別に、ストーリー展開のため、または演出としてのバイオレンスというものがある。
柳家花いちさんの新作落語「鉄拳制裁」はとても楽しい噺なのだが、少なくともストーリーの表面的には、弟分がヤクザの兄貴にひたすら殴られ続けられる噺。
私は感じなかったのだが、そこにバイオレンスを感じて引いた客がかなりいたというのが、実際に寄席で聴いたときの感想。
古典落語に準じて、もっともっと乾いた味わいにする必要があるのだろう。
これは、演者の狙いと客のアンテナがずれてしまう場合だから、意図しない暴力性。
中には、本当に暴力的な演出の噺がある。
神田連雀亭で聴いた、立川笑二さんの「突落し」は、それはそれはブラックな一席であった。もともとそういう噺なわけではない。

記事には書かなかったが、この日は私の息子も一緒だった。小学生がいるのに廓噺、しかもあろうことかバイオレンス丸出しの噺を出す非常識な噺家、立川笑二。
だが、このブラックな一席、実に楽しかった。
私の場合は、先に書いた通り暴力そのものは好きでない。だからバイオレンス性に惹かれたのではない。
噺の作り方のすごさに参ったのだ。
中途半端なバイオレンスではなく、いっそここまでやればぐうの音も出ないという一席。

新作落語の場合は、最初から暴力をテーマに噺を作ることができる。
三遊亭円丈師の「ぺたりこん」。
与太郎だと客が勝手に思い込んだ主人公は、机にされ、壮絶ないじめに遭いついには死んでしまう(古いバージョンの場合)。
私だけではなく、聴き手の快に明らかに逆らうキツい落語。
だが、そこから逃げ出すことができなくなる、魂を揺すぶる落語なのだ。

他にも円丈師には、暴力的な噺があるのである。
実際に聴いたことはないのだが、師の「円丈落語全集」に掲載されている「わからない」。
これは、少々頭の弱い主人公が、ひたすら司法システムに流されていって冤罪のまま死刑になるという、やはり救いのない噺。

そういえば、「落語と暴力」というと、リアル暴力落語家、愛人DV野郎の桂春蝶も避けては通れませんな。といいつつ、別に今さら語ることもないけれど。

当初は「暴力」について、N国の暴力や左翼の暴力にまで話を広げようかと思ったのだが、落語と関係なさすぎるのでやめておきます。

作成者: でっち定吉

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