アニメ「昭和元禄落語心中」の落語(助六再び編)/第二話

助六再び編の第2回。落語好きのツボにグサッとくる内容でした。

黄金餅

元ヤクザの経歴が突然明るみになった助六、能天気に気にしていないような本人だが、高座にも影響が出ている。
雨竹亭で張り切って「黄金餅」を掛け、言い立ての場面。
先代助六も掛けていたであろう噺。第一シーズンの第三話に、先代が「今、稽古している」というシーンが出てくる。
客席のいかついお兄さんから「つまらねえぞ」とヤジが飛ぶ。反論する別の客と言い合いになるが、言い立ての止められない助六。
客席で突発的に鳴る携帯電話の処理と同じく、こんなときこそ、腕の見せどころなのだが。高座はなま物ですからね。

鮑のし

事のおかげで仕事が減り、空いた時間で八雲師匠に稽古をつけてもらう助六。
女の声を裏声で表現してしまうのだが、師匠に止めろと言われる。地声で表現しろと。
これは当然のことだ。女の声を裏声で表現していた噺家は、先代金馬の後はいないと思う。女の声も、女らしく喋れば客にちゃんと女の声に聴こえるのである。

「鮑のし」は、今でも寄席でちょくちょく掛かる小品である。
途中で切らずに最後までやるとそこそこ長くなるが、でもホール落語で出すようなイメージの噺でもない。
切りどころが多いので、寄席の時間調整に向いている。大家が「あわびは婚礼に縁起が悪い。受け取れない」という前でも切れてしまう。
真打になってから助六が稽古をつけてもらっているのは不思議な気がする。先代が手掛けていたシーンはなかったが、先代にはイメージは合う。
しっかりもののカミさんと、人のいい、けどちょっと抜けた甚兵衛さんの噺。「火焔太鼓」「熊の皮」などもこのパターン。

小言念仏

助六襲名披露でくたびれたとのことで、寄席を休んで自宅で三味線をつまびく八雲。
小夏の赤ん坊が這ってきて、八雲の膝で踏ん張って難しい顔をしている。
「小言念仏」からもらってきたシーン。ここでニヤっとした方は落語をよくご存じです。
八雲師匠、「これじゃ小言三味線だねえ」と言っている。
小三治師が、長いマクラの後に掛けるので有名な噺。そのこと自体よく噺家さんのネタになっている。

あくび指南

赤ん坊が這いだしていっても目の覚めない小夏。
八雲が、先代助六がしたように「あくび指南」を語ってやる。
まだ菊比古だった頃、満州に慰問に出ている助六を思って稽古をしているシーンがある(第一シーズン第三話)。
八雲にとっても、先代を偲ぶ大事な噺らしい。

助六と、先輩「霞家のり平」の納涼二人会、第一シーズンでは子供だった、評論家ジュニアが楽屋に訪ねてくる。
先代はヨイショの評論家で、当時の菊比古に嫌われていたが、ジュニアのほうはなかなか辛辣だ。
だが、丸っきり見当違いのことは言っていない。「八雲・助六」双方の影響力が強すぎ、真打なのに自分の落語がまだできていないと。
噺家さんは、自分のいちばん惚れた師匠に弟子入りするのが普通である。好きなものに絶えず触れていれば、自然と似てきてしまう。
師匠のコピーから抜け出すのが大変な噺家さんが多数いるのは事実。一方で、上手い下手は別にして、前座の頃から個性的な人がいるのも確かだが。

笠碁

先輩ののり平が先に上がる。前座は連れてきていないようだが、二人会ならそれぞれ一席ずつすでに掛けていると思われる。
二人会なので大ネタを掛けたらしいが、客席は退屈し、子供はゲームボーイに熱中している。
「笠碁」など、もともと、若手がやってもなかなかウケない噺である。大店の主人の風格など、若手に出せるものではない。
若いうちに覚えておくことが悪いわけではないが、ある程度、年取ってから掛けたほうがいいネタである。
自己分析に長けた噺家さんなら、こういう噺、早めに覚えておいて、自分の年齢と相談しながらいつ掛けるか決めるものである。「二番煎じ」などもその類。

錦の袈裟

与太郎噺であり、廓噺である。
客席に子供がいるのに廓噺やることは、普通はないけど。
大雨なので、助六、カラッと楽しい噺を掛けたかったのだと。
ストーリーの中で掛けられる当代助六の芸を観る限り、表面的には先代助六の影響のほうがはるかに強い。八雲師匠の直接の影響は伺えないのだが、当人、評論家ジュニアの指摘が図星だということは、いろいろ抜け出せない強い影響を本人も自覚しているのだろう。
先に「鮑のし」の稽古で、女の声につき「裏声を出すな」と叱られていた助六だが、おかみさんの声、極端に裏声は使っていないように思える。

廓噺といっても、八雲師匠の得意な「品川心中」「文違い」などとは違い、花魁で魅せる噺ではない。与太郎を明るく描く楽しい噺で、たぶん先代助六のテープで聴いて覚えたんだろう。
「自分のかみさんに断ってから吉原に行く」など、現代人には理解しづらい場面もあるが、昔は町内の付き合いは大変大事だったのである。与太郎のかみさんもちゃんとそこをわきまえている。
いかにも与太郎らしい場面があり、「明烏」のような色っぽい場面もあり、見どころ満開の噺である。
寄席でも掛かるが、子供がいると出せないのはハンデだ。

ともかく、先輩の「笠碁」でいったん盛り下がった落語会、助六の熱演で客が高座に徐々に集中し出し、子供はゲームボーイを放り出す。
なのに、和尚さんから借りてきた錦の袈裟を「錦のふんどし」として見せる場面で、いきなり高座でもろ肌脱いで、筋掘りの金太郎を見せつけかっぽれを踊る助六。盛り上がった客席、静まり返る。
彫りものを見せびらかすのはさておいて、噺の途中で踊りに入るなんていう高座自体が前代未聞である。ジュニア評論家が怒って帰るのもむべなるかな。

しかし、若手真打の二人会で、下座の三味線まで呼んでいるとは豪勢ですね。
このくらいの規模なら、普通、出囃子をテープを流しておしまいだ。

樋口先生に連れられていったお座敷で、たまたま八雲師匠が居合わせる。ご贔屓にキャンセルされたらしい。
先生にお付き合い願いたいと頼まれ、八雲師匠「初めてのお客様に不見転で買われるわけにはいきませんな」。
みずてん、という言葉が噺家さんらしくていい。
師匠に励まされ、気合を取り戻して稽古のため先に帰る助六。樋口先生も感心しているが、普段厳しくても、ここぞという時に的確なアドバイスができるのが師匠というもの。いいですね、こういうの。

樋口先生は、「後世に残る新作落語」について八雲師匠に熱く語る。
私は新作落語の大ファンで、新作を悪く言う気は毛頭ないのだけど、新作落語はそうそう後世に残らないのではないかな。
後世に残るためには、「古典化」が必要だと思う。新作は、別に時事ネタを扱ったものでないとしても、ちょうどいい具合に擦り切れないと、古典にはならないのである。
「試し酒」などもともと新作落語として生まれたものだが、新作扱いはされないでしょう。そうなると「後世に残った新作」とも言いづらい。古典落語のラインナップに加わっただけだからだ。
「新作落語」のまま残り続けているのは「ぜんざい公社」くらいではないか。

第三話に続く

作成者: でっち定吉

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