私は春風亭一之輔師のラジオ2番組を毎週聴いている。
もちろん私は落語好き。一之輔師の本業に対し、それは高い敬意を払っている。だがそれとは別に、ラジオパーソナリティとして師が好きになっている。
さて、メディアの世界では、さらに売れている噺家がいる。
新レギュラーも決まった立川志らく師は、絶好調。
時流に合い、現に売れている事実を否定する気はない。
出ている番組視てないから、どんなコメントを生で発しているのかまでは実は知らないのだけど。だが、コメント内容はネットポータルにやたら取り上げられる。
大したことも鋭いことも言っているように思えない。いったいどこの誰がTVを視て喜んでいるのか、私にはさっぱりわからない。
わからないが、この人が好きだという人の感性までをもとやかく言うつもりはない。
当ブログ、この人をやたら取り上げている。
本当は私、この人が好きなのではなかろうか。
いや、それは絶対ない。見て聴いて、生理的な快を一切感じられないからだ。
基礎教養に欠けており、雰囲気でコメントの切り口を決め、そもそも勝手に二代目談志ぶっているという人。
さらに言うなら、ネットの世界の人間をすでに心理的に誹謗していて、それより一段上に昇ろうと試みて、自爆するという実に持ってイタい人。
自分を偉い人だと思ってもらうためなら、平気ですべての素材を叩く。その結果、世間の尊敬を得られているようには思えないけども。
そして、TVで売れたいと思っていて、結果売れたのだからそれでいいのだろうに、なぜか悪役として売れるのはイヤなようだ。
悪役で売れているのに、本人としては世間に愛されたくて仕方ないという、ますますもって困った人。
とにかく、私の好きな落語界を代表しないで欲しいとだけはいつも思っている。
その志らくに対するネットの記事が立て続けに出ている。なかなか面白かった。
なぜ志らくは嫌われるのか(リンク切れ)
坂上忍を比較の対象にするところが見事だ。
そして、「談志になりたい病」。見事に志らくのありさまをワンフレーズで定義する。
志らく師が談志になりたくて仕方ないのは、落語を聴く人もそうでない人もみんな知っていることだが、どう言い切るかがポイントなわけだ。
しかし、なんでツイッターで本人これに反論するんだろうか、意味がわからない。
反論しないで大きく構えていればいいのに、自分の気に入らない記事が出ると「伝統芸能に対する侮辱」だとかいうその了見はわからない。
いや、本当はわかる。わかるからこそつい馬鹿にしたくもなる。
自分自身、特殊な噺家である談志のもとで特殊な育ち方をした自覚が大きいのに、都合のいいときだけ伝統芸能一般を持ちだすんだな。
立川志らく “TBS朝の顔” に抜擢するも、気になる本業「同業者の評判」
志らくの落語が、同業者からウケが悪いという切り口。
ウケが悪いという出典がないので、書かれた内容丸ごと否定されかねないものではある。
とはいえ、その事実はみんな先刻知っていること。
円丈師のように評判だけで悪く書くのもどうかと思うが、しかし業界の評判を書き起こしたのだとはいえる。
落語のウデを褒める同業者などいるのかね。
立川流にだっていないと思うが。
人間性の問題はさておき、高座自体を褒める同業者を知らない。
本人だって、落語の評価を気にしているから芸術祭に参加したのだろう。まあ、大賞ではなくて優秀賞だった。
談志的評価を勝手に打ち立て、他の噺家を斬っているうちは反論はされにくい。基準が違うのだもの。
でも、栄誉を求めて芸術祭に参加して、優秀賞止まりなのはなんだか。
自分が否定してきた落語界の物差しに自ら乗っかって、そして言うほどのウデじゃないというレッテルを貼られたともいえる。
志らくの本業が好きだというファンのほうも、この人が落語界でNo.1だと信じてなどいないのではないか?
さて、私は生理的に受け付けないので志らく落語はあまり聴かない。録画もすぐ消してしまう。
でも、人の評判に乗っかって記事を書くのも卑怯なので、ちょっと我慢して聴いてみた。
NHK日本の話芸の「八五郎出世」。
生理的な快を得るまでは無理だが、聴いてみたら決して悪い高座ではなかった。日本一いい高座ではないにせよ。
あえてさらに悪い評価から入ってみると、「テンポだけいい落語」。
それでも、人情噺として描かれやすいこの噺を、アップテンポでカラっと演じる方法論までが悪いものとは思わない。
登場人物が浅い気がする。まあそういう落語もあるから、それを直ちにマイナス評価まではしない。
同業者は、志らくの人間性によりその落語を評価しているのであろうか?
談志は嫌いなところもあるが許す、しかし談志になりたがっている劣化版弟子は許さない、そういうことか。