当代三笑亭夢丸

落語を寄席などで、生で聴くのは実にいいことだと思う。そんなには行けないが、もっと聴きにいきたいと私も常日頃から思っている。
寄席に行けなければTVやCDで楽しむしかない。
だが、TVで流れる落語を「ライブの再現性が低い」といって貶める必要などはないと思う。誰も貶めてませんか。そうですか。
なんだこりゃ、という落語も確かにTVで流れるのだが、ライブの世界だってこれは同様である。
しかし、「なんだこりゃ」が実は高い価値を有している場合もあり、その逆もある。これまたライブの世界と同様。

引越す前に録画していた千葉テレビの「浅草お茶の間寄席」、なんだか知らないがTVKからチラつきなく私の家に映像が届くようになったので、ありがたく昨年末から録画を再開している。
保存の価値のない高座も多数ある。それでも、浅草演芸ホールから、「寄席のいま」を切り取って届けてくれるのは大変ありがたい。
ただ、TVの向こう側よりも、まず目の前の入りの薄い夜席を盛り上げようと、噺家さんたちがチームプレイでがんばっている、その過程の状態が切り取られて流れてしまうものではある。
そういうものであることは踏まえたほうがいいと思うが、とにかくとても楽しい。
特に芸術協会の高座がありがたい。
今年は芸協の寄席を積極的に聴きにいこうと思っているが、ひと様のブログで、浅草演芸ホールの2月下席が招待券でもってえらく混雑しているという情報を目にして止めてしまったばかりである。
芸協の、落語協会に比べて地味な芸人さんの姿を「浅草お茶の間寄席」でチェックするのは大変楽しい。

長い前置きから、今日はTVで拝見した芸協の三笑亭夢丸師匠を。
TVでも知られていた先代が亡くなってすぐ、真打に昇進して襲名している。世間の記憶にあるのはまだまだ先代のほうだろう。
あいにく、まだ寄席では拝見していない。
TVで流れたのは、真打昇進時の「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」における「あたま山」と、「落語研究会」の「五人男」。後者はご祝儀か。
明るい高座で、決して悪い印象はないのだが、特にこちらにアピールしてくるものも感じなかった。まあ、ごく普通の真打というイメージ。
夢丸師三本目のTVの高座が、このたび「浅草お茶の間寄席」で流れた。正月二之席の中継で、持ち時間は11分。
聴いておや、と思った。初めてTVの前のこちらに訴えかけてくるものを感じたのである。

笑福亭鶴光師匠が「ようこそ芸賓館」で語っていた内容は、当ブログでもご紹介したのだが大変参考になった。
亡くなった桂春團治を指して、「演者と客席の前に一線を引いて演じると、客が一線を乗り越えて演者側に入ってくることがある」のだという。春團治自身がそう語っていたのか、鶴光師の印象なのか不明だが、恐らく鶴光師ならではの表現なのだろう。
この「一線を引いて演じる」という概念を覚えてから、様々な噺家さんについて当てはめて聴くようになった。
そして、夢丸師にこの「客が自ら乗り越える一線」を感じたのである。

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丸い顔に、大きな耳とまん丸お目々、坊主頭。チェブラーシカみたいな親しみやすい風貌の夢丸師。
演目は「のっぺらぼう」。だが、この際、演目はなんでもいい。
夢丸師、比較的せわしなく喋る人である。言葉と言葉との間を空けない。
特に「早口」ではないものの、恐らく意図的に間を詰めて喋る。句点を打ったあとの次の冒頭の単語を、強いアクセントで始め、前とつなげて喋る。
そうすると、独特のリズムがかもし出される。

「初席」「二之席」はバタバタするので、三が日が明けてからも、高座に上がる着物姿で電車に乗るというマクラ。
車内の社内で女子高生たちが、着物姿の夢丸師を見て、ひそひそ会話をしている。
「あいつ、なに、チョー変なカッコしてんだけど」「ブシじゃね」。(※「ブシ」は平板アクセント)
このあとまったく間を空けずに「ブシじゃね、って言ってましたですよ。私が武士だったら返り討ちにしてます」。
客の笑いは後からやってくる。
ギャグをわかりやすく喋って、客にじわじわ笑いを届ける手法が一般的な落語界においては、わりと珍しいスタイル。

客のほうを向いて漫談のように喋っているが、実は客とのコミュニケーションを図る芸ではない。客との間に一線を引いて、自分のリズムで喋っているのである。
昔の噺家さんのスタイル、定番マクラから入るやり方とは異なり、冒頭では夢丸師、客との仕切りをむしろ取り払うようにスタートする。これは現代風。
最初の段階ではお客を乗せてゆっくりと発車する。
しかし、独特のリズムに乗せた喋りで、客を意図的に置き去りにしていく。マクラから、面白いことをしゃべってはいるものの、客がじっくり受け入れる隙を与えない。
放置して、どんどん先に進んでしまうのである。
だが、取り残された客のほうには、それほど置いてけぼりにされた感はないはず。このさじ加減がなかなか絶妙である。
実は置き去りにされているのだが、なんとかついていけている錯覚がするのである。特にTVで視ているのとは違い、寄席で聴いていれば、他にすることがないのでわりとついていけるように感じるだろう。
なんとかついていけたとしても、そのスピード感に乗り遅れ気味である。だから客のほうも、じっくり話を聴けてはいない。しかし、なんだか楽しそうな雰囲気は高座から伝わってくる。
客は徐々に、飛ばす夢丸師に追いつこうとして、意図的に引かれた一線を越えだす。その独特の喋りの体系の中に、入りたくなるのである。

現に、「のっぺらぼう」本編をにらみ、「四谷といえば昔は怪談しかなかったんですが」とさらっと喋って先に行ってしまうのだが、客がじわじわ追いついてきて笑い声が時間差で発生している。
どう考えても、ウケが取れるクスグリではない。しかし、なんだか妙にウケている。
たまたま大ウケしているが、そんなものを狙ったクスグリではない。あくまでも、さらっと流すのだ。

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客に「いたたまれなさ」を与える芸というものがある。
私は寄席の雰囲気を大変愛するものであるが、寄席でもっとも味わいたくない感情がこの「いたたまれなさ」である。
特に落語協会より芸協の席において「いたたまれなさ」スイッチが起動する危険が高い。
寄席を避けてホール落語を主体に聴いている人の中にも、意識的にか無意識か、「いたたまれなさ」を感じたくなくてそうしている人がいるのではないか。贔屓の噺家さんだけ聴いていればこの危険はないから。
しかし、寄席の好きな私は、常にこの恐怖と闘わなければならない。「いたたまれなさ」とは一体なにか。
噺家さんが「客に伝わらなくてもこれでいいのだ」「ウケないのは客が悪いだけ」という芸になってしまっているときに味わわされる感情である。わかりやすくいうと、「早く引っ込め」。
反対に、「噺家さんが見事な芸を披露しているのに、本当に客の反応が悪い」ときに感じるいたたまれなさもあるが、これは今日は関係ない。

ウケないときに、噺家さんが客いじりを始めると、「いたたまれなさ」は増幅する。いっそ、稽古だと思って、客を無視して演じてくれたほうがよほどいい。
前座さんが教わったとおりに前座噺を一生懸命演じていても、いたたまれなくはならない。退屈だったら寝ていればいいし。

さて夢丸師の芸、この日の高座はそこそこウケていたが、仮にウケなかったとしても、「いたたまれなさ」はたぶん感じないだろう。
噺家さんに、日によって出来不出来があるのは当然。この日はいい出来だったのだろう。だが、その結果に着目してここで取り上げたわけではない。
「浅草お茶の間寄席」では、結構客席の薄いときの高座が流れる。昔昔亭桃太郎師みたいに、薄かろうが大入りだろうが、なんとかしてやろうと思って演ずる人が好きだ。
夢丸師にも、客の状況を問わないタフさを感じた。
邪魔なシグナルが聴き手に届かない、こういう芸は聴いていてとても心地いい。

三遊亭白鳥師も語っているが、落語界に入ってみたら、クラスの人気者だったような人間は全然いなかったと。
多くの噺家さんは、決してお笑いエリートではない。
お笑いエリートでない人、噺家になったからといって別に笑いを欲しがらなくていいと思うのだ。なのに、教わった落語だけを武器に、高座でウケを求めてしまう人もいると思う。
その結果は大コケ。
夢丸師はといえば、ウケに執着がないようだ。こういう芸は、客に蹴られることはそうそうあるまい。ウケることより、スタイルを確立することを目指しているようだ。
師匠の先代夢丸もそうではなかったかな。
笑福亭鶴光師も、「上手い下手の前に、まずスタイルを確立すべき」と語っている。
そして、心地よさを与えられる芸になってしまえば、ウケるまではそれほど難しいステップではない。
逆は非常に危険。下手なくせに「悪落ち」でもなんでも間違って一度ウケてしまうと、客を心地よくさせる方向にはもう進めない。

悪くいえばせわしない夢丸師のスタイル。でも、師の語りに一生懸命ついていきたくなった客には、それ相応の褒美が待っている。
地噺の要素が強い「のっぺらぼう」で、登場人物と演者との境目を軽々またぐ。本編に入ってから地に返って、
「あえて説明しますと『のっぺらぼう』は妖怪の一種です。目もない、鼻もない、語る言葉もない」
ここまでくると本当についていけなくなった客が出たようで、笑い声はちょっと薄くなったが、一部の客にバカにウケている。
私もこのギャグ好きだなあ。さすが噺家さん、若くても師匠方のお供で古い歌を知っている。
そして、力の入ったクスグリではないので、ウケそこねても、演者にも客にも害はない。

三笑亭夢丸師、これから売れてくると思いますよ。ますます面白くなってきます。
近いうちに、TVではNHKの「演芸図鑑」に出演するでしょう、たぶん。

作成者: でっち定吉

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