いつも拝見している柳家小ゑん師匠のツイッター、また落語心中のアラが書いてあった。小ゑん師匠、このアニメには大変好意的ではあるのですが。
第七話で、助六が先代のフィルムについて「うまく見れるといいなあ」とラ抜き言葉を使っていたと。
気づきませんでした。さすが言葉を操るのを職業にしている人は違いますね。
ラ抜き言葉も最初は気持ち悪かったのだが、通常の日本語としてはすっかりなじんでしまった。ただ、商売にしている人が使っていいかどうかは別の話。
小ゑん師匠続けて、「仲トリ」なんて言葉もない、「メクリ」も寄席では使わないと。
私も、「仲トリ」は定着しているといえない言葉なので使わないようにしている。「仲入り前」と言えば、概念は伝わる。
ただ「メクリ」は本来「見出し」というのだそうだが、これに関しては「メクリ」と言わない限り概念が伝わらないでしょうね。
第八話では、助六の弟子、小太郎が初登場。
「テーブルもぼくが片付けてしまってよろしかったでしょうか」などとおかしな言葉遣いをしているが、ここはたぶん、弟子がなにもわかっていないということを描写したのでしょう。
ラ抜き言葉とは違って、これはいまだに私にとっても気持ち悪い。極度の婉曲表現。
話はそれるが、先代桂文治は江戸言葉に大変うるさかったと。有名な話だが、「ありがとうございました」と過去形で挨拶するのは絶対許さなかったそうである。
また、「たかだのばば」という駅名にいつもツッコミを入れていたと。「たかたのばば」だと。
山手線で移動して高田馬場駅を通るといつも弟子はこれを聞かされるので、そのうちこの講釈を避けるために埼京線を使うようになったとか。
今だと、新宿末広亭と池袋演芸場間の移動には、副都心線が大変便利。
今回、第八話の最大のツッコミどころ。落語ではない。
ドヤ顔の刑事が持ってる逮捕状に「逮捕状(緊急逮捕)」と書いてある。
「緊急逮捕」というのはですね、重罪が行われた場面において、逮捕状なしに被疑者を逮捕することをいうのである。現行犯逮捕とは異なる。
逮捕状を用意してきたのであれば、その逮捕状には「逮捕状(通常逮捕)」と書いていなければならない。
被疑者を緊急逮捕した際であっても、速やかに逮捕状の請求はしなければならない。その際に請求する書式なら、「逮捕状(緊急逮捕)」で合っている。
ちなみに、銃刀法違反は微罪で、「緊急逮捕」はできません。
適当な資料を参照して絵を描くとこういうことになる。
落語のことならともかく、関係ない部分のアラをことさらに取り上げるとは、われながらちょっと野暮でげすな。
もともと「昭和元禄落語心中」の劇中の落語を取り上げるという趣旨で始めた企画なのだが、だんだんアラ探しに変わってきてしまった気がする。
ただ、第一シーズンでは、もっと隅々まで目が行き届いていたように思うのだ。
今度復活する「桂小南」の名跡であるが、先代の評価がもうひとつなのはやむを得ないと思う。
確かに大変上手い人だと思うが、上方言葉がめちゃくちゃである以上、それが気になって世界に没入できない。
生粋の関西人が聴けばなおさらだと思う。
最後、無理に落語にこじつけてみたが、世界観に没入するのを阻害するアラはやっぱりよくありません。
ひと様の「昭和元禄落語心中」に関するブログを読んでいたら、劇中の落語の一覧を作っている人がいた。
「助六再び編」第一話に出てくる落語について、助六の「浮世床」を「なめる」と間違えていた。
「浮世床」の半公の夢に出てくる芝居のシーンは「なめる」とちょっと似ているけど、「なめる」は夢の話ではない。ずいぶんとまた、難しく間違えたものですな。
東の旅
萬月との二人会。
「三代助六 四代萬月 東西落語会」とのこと。
「三代目」「四代目」だろう? なぜ「目」がない。
当代桂文枝師は「六代」と名乗っているがこれは「六代目」笑福亭松鶴に遠慮しての例外。
ちなみに、「よんだいめ」と読まないよう気を付けましょう。「よだいめ」です。
十年振りの高座を務める萬月。彼の落語がちゃんと取り上げられるのは初めてである。
前回、松田さんが萬月師の復帰を予告していたが、なんとその間に助六が弟子を採っている。
復帰の会なので、上方落語における前座の登竜門「東の旅」を選んだのであろうか。
登竜門ではあるが、東京で「子ほめ」や「道灌」などの前座噺を掛けるのとはイメージが違う。長い長い噺の一部を掛けるので、真打に該当する師匠がやっても奇異な感はない。
ほんのさわりだと言うのだから、まずは「東の旅・発端」に入るはず。そのあと、「煮売屋」「七度狐」あたりまではやったかもしれない。
「上方落語ちゅうのは、なんでか知らんけど、昔からガチャガチャと叩いて喋るんでございます」と語っているが、プロだからなんでか知らないはずはもちろんない。上方落語は大道芸から来ていて、通りすがりの客を引き付けるため、ということになっている。
ちなみに、見台は絶対使うと決まっているアイテムではない。
最近上方の師匠で聴いたマクラ。
上方では、東京でいう前座でなく、お茶子さんがそこそこ重い見台を片付ける。しばしばお婆さんがやっているわけだが、出番を待つ師匠に「わたい腰が痛いんでっけど、師匠は見台使わはりますか?」と訊くので、仕方なく見台なしで高座を務める羽目になるという。
野ざらし
「サイサイ節」をうなる粋な幼稚園児、信之助。
この物語では、因縁として繰り返し「野ざらし」が登場するのである。「サイサイ節」は、「スターウォーズ」における「インペリアルマーチ」みたいな役割。
助六もその後、表で小夏に対して「野ざらし」を聴かせている。
「野ざらし」のような妄想噺は、現代では客に受け入れられなくなったと言われて久しい。寄席で掛かる回数も、一時期に比べ激減したようだ。
ところが、同じ妄想噺の「湯屋番」も同じく受け入れられなくなったと言われていたが、最近よく見かけるのである。いずれ「野ざらし」も第一線に復活するのではないかな。
妄想も楽しいものだ。
個人的には大好き。アニメがきっかけでよみがえるといいですね。
芝浜
師匠に聴いてもらいたい「居残り佐平次」ではなく、先代の映像を参照しての「芝浜」を助六が熱演。
そういえば、品川新駅の名称を「芝浜」駅にしようなどと立川談四楼師など言ってていたが、その後どうなりましたかね。
シャレに対してマジメにとやかく言っても仕方ないが、そんなことになったらえらいことだ。「噺の名称が駅名になる」のではない。20年経つと、「噺の名称から駅の名前しか連想されない」ことになってしまう。
よそう、また野暮になるといけねえ。
(2022/4/5追記)
小ゑん師の嫌いな「仲トリ」は、上方落語界に限定してではありますが私も最近使うようになりました。
現にそう言うんだもの。
ただし西に合わせて「中トリ」と書いています。