柳家喬太郎「転失気」

落語の基本、喬太郎シリーズを続けます。
金曜日は出かけようかとも思ったのだが、結局家で繰り返し喬太郎師匠を聴いていた。
私にとって、落語のリハビリみたいなものだ。どこにも傷を負ってはいないのだけど。
いろいろ聴いてから喬太郎師に戻ると、そこにとても幸せな風が流れていることに改めて気づく。
この師匠の魅力は計り知れないが、その魅力の一端に迫るには、比較の対象が無数にある古典落語のほうがいいみたい。
新作落語を知るためにもぜひ。

「転失気」は、昨日取り上げた「初天神」と迷ったもの。こちらも前座噺。
前座噺なのだが、なんと落語研究会の高座である。
もっとも喬太郎師匠、前座のときに覚えそこねたらしい。
前座時代、オチケンで勝手にやっていた噺を掛けるわけにはいかない。プロ入りしてちゃんと教わった古典落語は非常に少なかったと聞く。
学校寄席に行くとやる噺だそうな。
大人を凹ませられるし、そもそもおならの噺、子供は大好きである。

私は寄席で繰り返し掛かる前座噺は大好きなのだが、それでも好き嫌いの程度はそれぞれある。
転失気と真田小僧は、掛かると決して嬉しくはない。元犬はそうでもなくなった。
明確な理由が先にあって嫌いなわけではないので、掛かるたびになぜ好きでないかを考える。
いい高座ももちろんあるのだが、この二つの噺はどうも得てして「紋切り型」になってしまうようだ。
真田小僧は、恐るべき天才少年が大人を手玉に取って活躍する噺。
そして転失気は、知ったかぶりを嗤う噺。あくまでもそのように描く。別に間違っちゃいないけど。

だが喬太郎師に掛かると、どうもムードが違う。
知ったかぶりに対する風刺など、どこにも見当たらない。
和尚だって、頑固な知ったかぶりというより、ただの愉快な粗忽者みたい。
「(転失気を)なぜ知らん」と珍念に問う、めちゃくちゃな和尚。
喬太郎師がこうした軽い噺で描くのは、世の中ふわふわ生きてる素敵な人たち。
どうやら喬太郎師にとって転失気は、「大人の理不尽に振り回される子供が、その状況を積極的に楽しむ噺」らしい。

いや、他の人の転失気だってそうだよと、そう言われるかもしれない。
だが、通常の珍念さんというもの、楽しんでいるのは和尚への復讐だけな気がする。
喬太郎師の珍念さんは、おならを借りに歩いていた事実から、先生に真相を教えてもらったところまで含めて、すべてを楽しむ才能を持っている。
実際、転失気はおならであるという衝撃の事実を知って寺に帰る珍念、引きつった笑顔で「晴天の霹靂でございます!」。
この笑顔、喬太郎師はたまに与太郎にさせたりする。

初天神の金坊と同じく、ひたすら可愛い子供である珍念さん。
声を変えてくるのは、初天神と同じ。
この可愛らしさが出せる人はなかなかいない。
企みごとをしても可愛い珍念。あまりにも企むと可愛くないのだが、企みごと自体が可愛い。
珍念は大人の理不尽さに逆襲するのではない。もっとトータルにこの世界を捉え、そこにスパイスを加えようとする。

そんなムードの噺なので、「床の間の置物の転失気をお土産に渡した」花屋や、「お付けの実にして食べちゃった」石屋の描写も、そこに大人の汚さを風刺するムードはない。
かといって、古典落語である以上、そんな要素は前提として当然に含まれている。噺の骨格を無視して、新たな要素(だけ)噺に乗せるわけではないのだ。
一昨日から述べているように、だからこそ喬太郎師の落語に基本を感じてならないのである。
先人たちが耕してきた大地を統治した上で、その半オクターブ上で勝負する喬太郎師。

そしてたまに程よく入れる楽しいギャグの数々。

  • 転失気を教えてくれと食い下がる珍年に和尚が野太い声で「喝!」
  • 「天ぷら包む風呂敷だろ」「そういうものは世の中にないと思います」
  • 「ニャーン、ニャニャニャニャーン」「劇団シキじゃねえよ!」(猫が歌ってるのはキャッツじゃなくてなぜか「オペラ座の怪人」だが)
  • 「ごめんお前さん、近頃温計ってない」「オギノシキじゃねえよ!研究会でなに言ってるんだ」
  • 「待ってろよジジイ! 仏に仕える身でありながら、私の心に悪魔が宿りました!」

もともと、「お前の肚から出たように先生に訊け」などという従来のクスグリがたっぷりあるので、ギャグを入れ過ぎると自滅してしまう。
だから実に適切な頻度。
既存のクスグリは、さりげなく語ったり、あるいは珍念がいちいち衝撃の表情で返したり、メリハリも満載。
サゲはごく普通の「屁とも思いません」だが、むしろその平凡なものがピタッとはまる気がする。

5回ぐらい繰り返して聴いても、さらに楽しくなってくるという、もうバケモノみたいな一席であります。

作成者: でっち定吉

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