五街道雲助

先月黒門亭に出向いて以来、落語を聴きに行っていない。行こうとはしたのだけど。
TV・ラジオの落語も本当にありがたい。生の落語しか認めないという主義主張とは相容れないけれど、生の落語がいいものであることには100%同意する。
来週、ホームグラウンドの池袋に柳家小ゑん師を聴きにいく予定なのだが、もう待てません。

古今亭志ん弥師匠が主任の鈴本昼席に行こうと思っていたのだが、「東京かわら版」をチェックして「雲助蔵出しぞろぞろ」というのを見つけた。2,800円と安いのもいい。
当ブログでは、常日頃「寄席」の魅力を語っている。寄席以外の会場に出向くこと自体、本当に久しぶりである。
場所は浅草寺の北「浅草見番」、色っぽい場所ですね。
浅草の混雑をかき分けかき分け浅草寺の境内を通り抜けていく。三連休の初日に浅草なんぞ来るもんじゃないなと思いながら。
浅草寺の北側まで来ると、さすがに人は少ない。花街なので、観光客を乗せた人力は通っているけど。

唐突だが権太楼師匠のマクラを思い出した。
浅草演芸ホールの前で人力車夫が説明している。
「ここが落語をやってる浅草演芸ホールです。笑点に出ている歌丸さんとか、円楽さんとか、あと山田隆夫さんなんかが出てますね」
そんな奴出ねえよ。

寄席以外の会場に出向くというのも楽しいものだ。
あちこちの会場に出向き、ブログで報告している人の気持ちはわかる。
「落語」を聴きたいというのと、いろいろな会場に行ってみたいというのは、若干違う欲求に基づくものだと思う。
昔、競馬ファンだった頃、いろんな競馬場に旅打ちに行くのは実に楽しかったものだ。いっぽうで、ホームグラウンドの競馬場に出向くのも楽しかった。
そんなことをちょっと思い出した。
競馬は20年間に渡って熱中し、飽きて止めた。幼少の頃から聴いている落語のほうがずっと付き合いが長い。

《雲助蔵出しぞろぞろ》
小多け / 子ほめ
朝之助 / だくだく
雲助  / 千早ふる/花見小僧
(仲入り)
雲助  / 刀屋

いびつな会場である。
高座から、左斜め側に座敷が張り出している。腹ごしらえしていたら、いい席が取れず、その張り出した側に座る。
私もそうだが、ひとりで来ているお客が多い印象だ。
雲助師には、そういう客が合う気がする。
浅草演芸ホールや地域寄席にいるような客とは雰囲気が違い、落語に詳しそうだ。
かわら版にも、Webにもネタ出しはなかったけども、会場でもらったプログラムには「おせつ徳三郎」とネタ出しされている。

***

ふだん寄席しか行かない私だが、寄席以外ハナから無視しているわけでは決してなくて、「東京かわら版」でいつもチェックはしているのです。

初めての場所、会場の「浅草見番」を確認しておいてから、近所で腹ごしらえしました。
噺家さんもそうだが、飲食店にも面構えというものがある。面構えで店を選んで外したことはそうそうない。
面構えが目についた「グリルグランド」という洋食屋に入ってみた。
浅草は、観光客が集まるところもそうでないところも、おしなべて物価が高いですね。特製オムライスが1,800円。
味は最高でした。デミグラスソースが苦めなのがいい。後で調べたら有名店らしいけど。

これが、いつもの池袋演芸場に行くとしたら、「東京油組」とか「日高屋」での食事がせいぜいである。
いつになく豊かな気持ちになった。
珍しく食レポまでしてみました。

寝不足で満腹。意図的に前座さんでウトウトさせてもらった。小多けさんはそこそこ口調がいいので、大変気持ちがよかった。
すっきりしたところで次に春風亭一朝師の弟子、朝之助さん。初めてである。二ツ目さんも非常に多いので、知らなくて当然ではある。
イイ男さんである。
今現在の姿が格別に目立つというほどでもないけど、きっと上手くなりそうな噺家さんだ。一朝師も、いい弟子に恵まれてますね。
演目は「だくだく」。寄席でなかなか聴かない噺である。
妄想のかたまりの噺。八五郎と泥棒とが、絵に描かれた家財道具の前で、「つもり」になって一緒に遊ぶ、ある種不条理に満ちた噺。
「なんでこのふたり、一緒に遊んでるんだろう」と客に思われたらもうおしまいだ。
でも、ウケていた。本来、とても楽しい噺なのである。

「昭和元禄落語心中」では、「野ざらし」がフィーチャーされているが、「野ざらし」は現代でウケない噺の筆頭とされている。
決してつまらない噺ではないし私も大好きだが、客がついてこなくなって久しいとされている。だからあまり掛からない。
妄想のキツい噺はダメらしい。
でも、たびたびブログに書いているが、「湯屋番」や「堀の内」など、妄想噺や重度粗忽の噺が最近またウケるようになってきているのだ。TVでもよく掛かる。
これらも、ちょっと前まで「野ざらし」と一緒にやりにくくなったとされていた噺の仲間である。
理由はわからないが、どうも時代が変わってきたようで楽しみでならない。
「野ざらし」もきっと復活する。そして、私の好きな「だくだく」も、もっと掛かるようになってもらいたいものだ。

そして雲助師の登場。
まずは軽く「千早ふる」。
圓朝噺から「子ほめ」まで、なんでも掛ける雲助師。「千早ふる」もやたら楽しい。
「うちの娘が最近悪い遊びを覚えてね」
「桃色遊戯か」
「また古い言葉だね」
「この噺は先代小せん師匠のを、弟子のせん八に教わったから、ところどころ古い言葉が入ってるんだ」

雲助師は、いつも自然体に映るのがたまらない。緩くはないけども、決してカチッとはしていない。融通無碍な師匠である。

***

「千早ふる」を終えて雲助師、そのまま腰を上げない。「千早ふる」について、「寄席ではめったにやらない噺だ」とのこと。
寄席で掛けられないサイズではないし、なぜやらないのかは知らない。
寄席では他の噺とツきやすいからだろうか。この日も、前座さんが「子ほめ」を出しているから、厳密にはツいていると思う。
ともかく、大変得した感じ。
「千早ふる」は、やはり隠居(雲助師では兄イ)の嘘つきアドリブ芸を楽しむ噺だと思う。もちろん、「歌のわけ」を訊くほうも、存分に楽しんでいるのである。
弟分を必要以上に罵るようなこともなく、和気あいあいとしていて実に気持ちがいい。

雲助師、続けてネタ出し「おせつ徳三郎」の前半、「花見小僧」。
「おせつ徳三郎」は、こちらの勝手なイメージで雲助師十八番かと思いきや、CDは出ていない。
「花見小僧」も「刀屋」も、寄席ではまず聴けない噺。
「寄席」にだけ通っていても、残念なことに落語の全貌は決してわからない。全貌をわかる必要があるかどうか知らないが、たまにこういう会に来ると、多少は近づける気がする。
「花見小僧」は純然たる滑稽噺で、「刀屋」は人情噺。「花見小僧」では噺の背景に隠れている若いふたりが、「刀屋」で初めて前面に登場する。
「おせつ徳三郎」実によくできた構成の話である。

ひとりの演者が通しで「おせつ徳三郎」を演ずること自体、実はめったにないようだ。
さらに、通しでやるとして、前半の「花見小僧」をたっぷり演じていたのも、先代小さんだけであったそうな。
「五代目小さん芸語録」より。
今日の落語会、演目を知らずに出向いたのだけど、大変にありがたい会なのだ。

雲助師匠の小僧さん、とても可愛らしい。
上方落語によく登場する、こまっしゃくれた丁稚も楽しいが、そういう大人を舐め切った手合いとはひと味違う。大人の対応次第で反応が変わる、真っ白な子供である。
「花見小僧」は、小僧さんのフィルターを通して、男女の結びつきが語られる噺である。
テクニック論になるが、小僧さんが徳三郎、おせつ、それから婆やのセリフをしゃべるときは、一瞬子供でなくなっている。子供のままの口調で語らせると嫌らしくなってしまう。
こういう、現実世界のリアル感とは異なる「落語世界のリアル」がとても気持ちいい。
雲助師の「汲みたて」で、与太郎が女師匠と半公のセリフを言うときに、一瞬与太郎でなくなっているのと同じである。
そして、実際には登場しない婆やなどの登場人物が、小僧を通していきいきと描かれる。

旦那のほうを、やたらと察しの悪い人にする演出が普通にあるが、そういうわざとらしさはない。「木乃伊取り」や「干物箱」に出てきてもおかしくない、ちゃんとした旦那である。

***

仲入り後は「刀屋」。
「刀屋」は、徳三郎ではなく刀屋の主人の噺といっていいが、この主人がまたいい。
融通無碍な雲助師のニンが前面に出た、もののわかった主人である。嫉妬に狂った徳三郎を、実に柔らかくいなすのだ。
といって、人として相手にしていないのではない。

頭に血が上って人を切り殺そうとする若い男と刀屋という、コント的なシチュエーション、ここでウケを狙おうとすればいくらでも手段はある。特に徳三郎が「友達の話をしている」のだというひっかかりを活かせば。
でも、「孝太郎のお友達の方ですか」とやってウケる「六尺棒」ではないのだ。
もちろん雲助師は、こんなところで意味なく笑いは取りにいかない。刀屋の主人、淡々と人生というものを語る。そして、その淡々とした語りにぐいぐい引き付けられる。
前述の「五代目小さん芸語録」で、柳家小里ん師の聴き手を務めている石井徹也氏が「僕は刀屋という噺があまり好きでなかった。先代馬生師匠以外、どの噺を聴いても刀屋の主人が説教臭い」と語っている。
だから先代小さんのものをぜひ生で聴いてみたかった、と続くのであるが、先代馬生師匠のものは例外的によかったと語っているのが面白い。
雲助師は、その馬生の弟子である。説教臭さなど微塵もない。
ちなみに、雲助師が最初に弟子入りしようとしたのが先代小さん。

紫綬褒章を受章して栄誉の絶頂にある雲助師だが、こういう場面において人柄がよく出る。刀屋の主人、決して上からものは言わない。
そういえば「夜鷹そば屋」の主人もこんな感じだ。
先日雲助師の著書「雲助、悪名一代 芸人流、成り下がりの粋」を読んだが、本当に「上昇志向」とは無縁で生きてきた人らしい。
もちろん、そういうポーズをとる人だって世にはいるし、噺家さんにもいる。だが、弟子たちも雲助師の上昇志向のなさを語っているところからして、恐らく真の姿なのだろう。
落語界というところ、ひとりでやる芸にも関わらず、権力志向の強い人がしばしば出てくるところである。上からものを言うのが好きな師匠もいる。
そういう姿勢と一線を引いて活動してきて、それでも実力でトップクラスに躍り出る。しかしなおも上昇志向とは無縁な雲助師、たまりませんですな。
「五街道雲助」という名跡とはいえない芸名も、いずれひっそりと埋もれていきそうだ。それもまた粋ではないか。

サゲは「お材木」ではなくて変えてきていた。ちょっと色っぽい、いいサゲでした。後で調べたら、師匠・馬生のものでした

満たされた気持ちで帰途につきました。
私は「寄席」メインにしているくらいだから、特定の噺家さんを追っかけてはいない(ちょっと柳家小ゑん師匠を追いかけつつありますが)。
でも、久々の落語会でもって雲助師に圧倒された。寄席で軽く演じている雲助師も好きだけれど。
ちょっと追いかけてみたい気もしたのだが、雲助師、たぶんそんなファンを好まない気がする。
たまたま、浅草見番に迷い込んだというようなお客さんの前で落語をやれたらいい、と思っていそうだ。まあ、それも勝手な思い込みでしょうけど。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。