昭和元禄落語心中の第十一回。
あの世の道中で、落語の一場面やフレーズが無数に散りばめられた、マニア垂涎の回でした。
いくつわかりましたか?
「お富さん」を唄って八雲師匠を先導する先代助六。
「粋な黒塀見越しの松に」と落語との関係は「転宅」。ちょっと薄いけど。
あの世への道中で、少年時代の姿になったボンと信さんが「その道中の陽気なこと」と声を合わせる。
これは、「愛宕山」や「地獄八景」に出てくるおなじみのフレーズ。状況からするともちろん、「地獄八景」である。
「地獄八景亡者戯」(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)は、桂米朝の作り上げた、今の上方落語を代表する噺のひとつ。
米朝一門には脈々と受け継がれている。
東京では「地獄巡り」などというが、そんなにメジャーな噺ではない。
出店で「あれ買ってくれこれ買ってくれって言わねえって約束したろ」とボン。もちろん「初天神」。噺同様、団子を食べている。
「賽河原湯」に入って身を清めるふたり。
助六とみよ吉の亡くなった事故について「誰が悪いって野暮だろ」と「三方一両損」だという助六。
ご存じ大岡裁きの噺。みよ吉と助六、菊比古の三方が損をしたのである。
廓をひやかすふたり。
「大門くぐる助六に 煙管の雨が降るようだ」と名調子。これは歌舞伎の「助六所縁江戸桜」から。
「三浦屋の高雄か朝日楼の喜瀬川か」。
「高雄」は「紺屋高雄」の花魁。
「喜瀬川」は、「三枚起請」「五人廻し」「お見立て」等に出てくる、調子のいい花魁。
再会したみよ吉が菊さんと話したいという。「三十分だけだぞ、『お直し』はダメだ」という助六。
「お直し」はめったに掛からない噺だが、「お直し」という言葉はしっかり生きている。今でいうと「延長」。
志ん生が芸術祭を獲った演目として知られている。
焼けてあの世に来た寄席が登場。「地獄八景」ではおなじみの場面である。
三遊亭圓朝が「牡丹灯籠」を通しで演じて大盛況なのだそうだ。
演者の名前を見ると上段に「志ん生 馬生 円歌 金馬 小さん 圓生 圓蔵 柳枝」とある。みんな先代なんだそうだ。
春風亭柳枝は大きな名前だが空き名跡になっている。橘家圓蔵は先日亡くなったので「当代」はいない。念のため。
三遊亭圓生は、襲名騒動があったが引き続き空き名跡。
この物語は架空世界のものだが、現実世界ともつながっているらしい。
下段のほうには、物語に出てきそうな架空の名跡が書いてある。「欅家」とか「笑来亭」「竹家」など。
助六が演じるのは「二番煎じ」。
ある程度年寄りにならないと説得力がなくてできない噺なので、たぶん生前の助六は持っていなかったと思う。まあ、あの世だからいいでしょう。
菊比古(=八代目八雲)は、襲名でどんな名をもらうかで人生が変わってしまうというマクラから、信之介が聴きたがっていた「寿限無」。
子供の生まれためでたい噺をあの世で掛けるとはシャレが効いてる。
渡し舟で三途の川を渡る八雲師匠。船頭は松田さん。
「四方の山々雪溶けて水嵩まさる大川の・・・」と「野ざらし」のフレーズ。
最後まで「野ざらし」がついてまわる。
渡し舟も、「岸柳島」などに出てくる重要なアイテムだが、それに引っ掛けてはいなかったのがちょっと残念。
(2017/3/21追記)
菊比古と再会したみよ吉が、亭主助六に向かって「こちとら必死でお茶汲みやって路銀稼いでるんじゃないか」と言っている。「お茶汲み」という噺に一応引っ掛けているのだと思う。
あと、「雨竹亭」の上のほうに、さらに噺家の名前を発見した。
「左楽 三木助 小南 今輔 福松 圓遊 文我 文三」などが読めた。あとは潰れていてわからない。
「團治」という名もあるように見える。「○團治」以外に、存在している空き名跡だそうだ。