久々の鈴本は、トリの喬太郎師を除くと、極めて日常感に溢れている空間。立ち見が出ていても。
日常感満載だが、顔付けは立派。
寄席四場は、幹事を交代で担当するのだそうな。たぶん、10月上席の幹事が鈴本なのだろう。
幹事の寄席は、休席届を出している人以外から、誰でもピックアップして番組を作っていいらしいのだ。
もっとも、現在は落語協会も真打の披露目をやっているから、細かい調整はあるのかもしれないが。
冒頭からその、寄席の日常を。
満員の客、全般的な質は悪くはないが、残念な客も一部いる。
喬太郎師のサゲを先に喋る馬鹿やら、「転失気」というワードが出てきたときに「おならだ」と声を出す馬鹿やら、いつまでもしゃべり続ける馬鹿やら。
馬鹿は死ななきゃ治らない。
寄席の緩さに頭がすっかり溶けてくつろいでいる私、これらの客にいつまでも怒り続けているわけではない。だが客がなにやってもいいわけじゃない。
それにしても最近つくづく思うのだが、「年寄りはマナーが悪い」というのが、すっかり世間の共通認識になりましたですな。
ちょっと前までは「実は」が間に入っていたと思うのだ。最近、年寄りだからこそダメという評価に変わってきている。
若いうちから落語を聴いていればよかったのに。
前座は八楽さん。林家二楽師の息子。
半年前の池袋で出逢ったのが、この前座。
本人には悪いが、この日もメクリを見てがっかり。
いずれ紙切り芸人になる人だが、前座修業するなら落語もちゃんとして欲しいと、当時楽屋に苦言を発した次第。
苦言たって、ここに書くだけだけど。
間違った方法論で落語をやっているという印象があったが、当時よりはだいぶまともになった。
でも、変に間をたっぷりとったり、まだ変。
変なメリハリ付けず、棒読みでもいいのでさっさとしゃべったほうが前座らしいと思うのだが。
冒頭、「二楽門下なんです。本人は今日は北海道です」と挨拶。
子ほめ冒頭でいきなり、「灘の酒飲ませろ」と間違ってしまう。
単に言い直していないで、隠居に「タダの酒だろう。お前さん、お客さんがいっぱいで緊張してるのかい」とか、アドリブを利かせて欲しいもんだと思った。前座でもやるべきと思う。
もうじき前座修業は終え、紙切りでデビューするのだと思うが、紙切りなんてデビューしたらまさにアドリブだらけの世界だろうに。
そんなときこそ、客の気持ちに寄り沿うことで、空気を救えるのだ。
噺家としてはダメにしても、色物芸人になったときに色眼鏡で見ることはしないが。
交互出演の二ツ目枠は、柳家やなぎさん。
かなりユニークな人だが、寄席の定席ではおとなしく転失気。
と思ったら、一筋縄ではいかない。さすがだ。
お寺の門前にあるお店は石屋と植木屋ではなくて、雑貨屋。まとめて1軒にしてしまう。
雑貨屋の主人、番頭、おかみさんが交互に転失気の謎を押し付け合って、解決しない。
ただし番頭だけはてんしきを知らないと白状している。でも、知らないと主人に言ったら叱られるんだそうだ。
おかみさんに訊いても、心ここにあらず。「ラグビー強いわね」。
さん喬門下最後の弟子のやなぎさんは、師匠と、兄弟子喬太郎の影響が強い人に映る。
先日VTRずっと聴いてブログにも書いた、喬太郎師の転失気に近いムードもある。珍念をかわいらしく描くあたりとか。
だが、まったく同じ方法論は使わないところが見事。必ず模倣じゃない自分の味を付け加えてくる。
ユニークな新作落語を持っている人ならではの工夫だが、最終的には古典で売れる人だと私は勝手に見ております。