鈴本演芸場1

仲入り後だけだが国立演芸場に行った翌日です。
始業式だった息子がクラス替えで、仲良しの友達と離れてしまいちょっと落ち込んでいる様子なので、連れていってやることにしました。親の趣味に無理に連れ出しているわけではない。
私のほうは、自分のせいではなくして数日間の失業状態。落語聴くにはぴったり。
息子は鈴本の定席は初めてだが、「早朝寄席」と「親子寄席」は経験している。
私の方は、笑いたい気分であったかどうかは微妙。先月下席の池袋の新作まつりの破壊力は、いまだに尾を引いている。
現に前日、笑いたくなくて意図的に桃太郎師を避けたのだから。とはいえこの日、仲入り前が歌之介師である時点で、笑いから逃れられないことは確定している。まあ、笑いましょう。

東京の寄席の最高峰に位置する、鈴本演芸場。
私にとっては、ホームグラウンドの池袋演芸場に次ぐ「準フランチャイズ」だと勝手に思っている寄席である。
「日本ハムファイターズにとっての東京ドーム」みたいなものか。
ちなみに、浅草・新宿に対してはアウェイ感、ビジター感が強い。国立演芸場に対しては、まったくなにも感じない。
さて鈴本、準フランチャイズにしては随分とご無沙汰している。いつ以来か思い出せない。前回来たときは、客席下の2階にトイレはまだなかったと思う。
とはいえ、久々でも違和感はまるでない。御徒町界隈にはしょっちゅう来ている。上野広小路亭であったり黒門亭であったり。
私の心の中には、いつも鈴本があるのだ。

柳家喬太郎師の芝居なので早めに出向いた。最終的には満員になったが、開演時はまだ五分の入りでした。さすがは鈴本、池袋と違ってキャパが大きい。
今日が始業式だったのはわが家と同じようで、小学生が結構来ていた。小学生の親世代が、キョンキョン好きなのだきっと。
プチ失業状態にある私は、昼からビールをいただく。国立だとハイボールなのだけど、鈴本はビールしか売ってない。
落語を聴きながら一杯やるのはとても楽しい。ホームグラウンドの池袋は飲酒禁止という道場みたいな寄席だが、よそでは飲ませてもらいます。

小はだ / 道灌
喬の字 / 鴻池の犬
ストレート松浦
左龍  / 鈴ヶ森
南喬  / 壺算
ホームラン
白酒  / 新版三十石
小さん / 幇間腹
のだゆき
歌之介 / B型人間(漫談)
(仲入り)
ダーク広和
白鳥  / 座席なき戦い
文蔵  / 目薬
正楽
喬太郎 / 井戸の茶碗

 

池袋下席に比べると演者が多いけど、それでもメモは一切取ってないですよ。
別に記憶自慢ではなくて、落語聴いて演題がわかる人なら、これ見よがしにメモ取る必要なんてないよという話。
この日も実にハイレベルのいい寄席でした。息子も喜んでいた。池袋下席と違って時間が長いので不安もあったが、真に落語好きの子なら大丈夫みたい。
私はハイレベルの寄席にずっと顔を出し続けている。「寄席」というもの、必ず面白いものだという錯覚を起こしかけている。
もちろんそんなことはなくて、つまらない寄席もしっかりこの世に存在しているのですが。
ある程度知識があれば、面白い寄席が選べるのです。

柳亭左龍「鈴ヶ森」

主任、喬太郎師の「井戸の茶碗」については、いろいろ感じ入るところがあり、項を改めて取り上げることにします。
この日最大のヒットは、喬太郎師の弟弟子、柳亭左龍師の「鈴ヶ森」。
息子もこの日一番だったと言っている。息子ながらいいセンス。
息子は親父にならって左龍師の「棒鱈」が大好きで、「しーがちゅーはおしゃかーさま」などとよく唄っている。
左龍師、一門を問わず寄席に出ずっぱりで芸を磨いている。ここ二年くらい大いに注目していて、寄席でも楽しませてもらっている。
そしてこの日の「鈴ヶ森」は圧巻でした。これはもう、「化けた」といっていいのでは?
この「鈴ヶ森」、ひょっとして春風亭一之輔師に教わったのではなかろうか? ホモっぽい新米泥棒など、噺を作るセンスの図抜けている一之輔師の「鈴ヶ森」によく似ている。
左龍師、あちこちで稽古をつけてもらっているようだから、後輩の一之輔師に教わっていても別段不思議ではない。
そして、その天才一之輔師のものより面白くなっているのはすごいことだ。
(※ 実際はたぶん、柳家喜多八師から直接来ている)
「新米こっち来い」と頭に言われて「へい」と返事をするところからもう面白い。声だけで、普通のキャラではないものを押し出している。
喬太郎師も、新作落語で声を使い分ける噺家さんだが、声だけでウケを取ってしまう左龍師、ちょっとなかなか例が見当たらない。
与太郎ぽいが、与太郎さんではない。泥棒噺のために生まれた新キャラという趣である。
そして左龍師、自分の顔の面白さをよく認識している。別に、面白い顔じゃないと滑稽噺はできないわけではない。だが、せっかくの飛び道具、これを活かさない手はない。
とにかくも左龍師、白酒師や三三師などのいるステージに足が掛かったのではないでしょうか。つまり「売れる」ということです。
こんな面白い噺家さんを業界もスルーしておく手はない。もうすぐCDが出るのでは?

噺家さんにとってなによりも大事なことは、自分の個性を知ることなのだ、とつくづく思う。
個性に合わせた落語をしている噺家さんについては、つい、それが天性のものだと思ってしまう。確かに天性の素質が噺に合っている人もいるのだろう。
だが、売れている多くの噺家さんは、苦闘の末に自分の落語を見つけ出したのだと思うのだ。見つけ出せない人は、たとえ「上手い」と評価されている人であっても売れない。

三遊亭歌之介「B型人間」

ごく一部のトラップがあったが寝てやり過ごすことに成功し、あとはとても楽しい寄席。
昼間から飲むビールも旨い。

仲入り前の三遊亭歌之介師は、今日も絶好調。
この鈴本上席昼席では仲入り前、俗にいう「仲トリ」であるが、同時に池袋上席の昼席主任も務めている。
お忙しくてなによりである。
池袋の方ではきっと「落語」もするのだろうが、こちら鈴本では漫談。
演題はネタ帳に何と書かれるのかはわからないが、「B型人間」で、別に間違いではあるまい。
歌之介師のネタ、知っているものばかり。しかし、まるで初めて聴いたかのように楽しい。
まったくもってすごいことである。マンネリが許される場所である寄席だということを考え合わせると、奇跡のような芸だ。

このような超絶話芸の持ち主というと、なんといっても歌之介師の師匠である当代三遊亭円歌師。
私は子供のころから「中沢家の人々」を聴いているが、聴いて楽しくなかったことは一度もない。
円歌師の話術は同業者からも尊敬されるところであるが、いつも同じ噺でも、客席を見て細かく順番を入れ替える。このあたりが真似のできないもののようだ。
そして、なんといっても大事なことは「毎回語る同じ噺」に決して飽きないこと。客が飽きる前に、噺家さんが噺に飽きてしまうことがある。
新作落語のパイオニア三遊亭円丈師も、円歌師に「飽きちゃダメだよ」とアドバイスされたとのこと。それでも、円丈師は飽きてしまうらしい。

歌之介師は、見事に円歌師の話芸の神髄を受け継いでいる。スタイルは相当に違うものの。
よく知っているネタであっても、次に何が登場してくるかまったく予想ができない。
無限の組み合わせがあるのだから、この先何度聴いても、「中沢家」同様にずっと楽しめることだろう。
小学生の息子が隣で楽しんでいるのも嬉しい。彼が大人になったときに、私が今の円歌師に感じるのと同じことを、息子が将来歌之介師に感じるのだ。
漫談の話芸も、記憶とともに後世に語り継がれていく。それもまた素敵ではないでしょうか。
さらにいうなら、歌之介師には、円歌師を上回る要素が付け加わっている。それはリズム。歌之介師の喋り、極めてリズミカルで聴き手に心地よく響いてくる。
これはいつものつかみの挨拶だが。
「三遊亭歌之介と申します。なにも名乗るこたないんですが、黙ってますと少年隊のカッチャンと間違われますんで。この間もお客さんに言われました。『喋ってないではよ歌え』。歌は下手なんです。古典落語といい勝負です」
このセリフの隅々に、「間」とリズムが詰まっている。円歌師や、それから馬風師なども漫談の間は絶妙だが、リズムが付くのは歌之介師ならでは。
何度聴いても笑ってしまうのは、リズムが絶妙だからというのも大きい。

やはり、落語を聴く場所として寄席は最高だ。なにがいいって、噺家さんだけでも実にバラエティに富んでいる。
楽しい寄席漫談は、バラエティ化に貢献する。
それほど笑いたい気分でなかった私も、すっかり肚の底から笑わせていただきました。
歌之介師は器用な人だから、漫談でも寄席の流れをちゃんと考え、笑わせたままで去ってはいけないと思えば「母のアンカ」に入ってほろっとさせる。そのあたりの塩梅はさすがである。
今日は仲入り前だから、笑わせるだけ笑わせて去ってしまって構わない。ほろっとさせられるのも気持ちいいし、笑わされっぱなしでも、本当に楽しい。

三遊亭白鳥「座席なき戦い」

クイツキのダーク広和さんの次は三遊亭白鳥師。
最近、集中的に掛けているらしい「座席なき戦い」。「山手線」「5番アイアン」「マグロの頭」で作った三題噺。
先日、NHKの演芸図鑑でも短いバージョンが流れた。うちの息子も気に入っている噺。
白鳥師はこうやって、売り物になるネタを短期間で集中して掛け、客の反応をフィードバックしてネタを作り込んでいく。
「寄席」というものがどういう場所か、そしてそのことを白鳥師がどう捉えているかよくわかる。
寄席のワリでは噺家さんは生活できない。しかし、寄席があってこそ噺家さんが生活できているのだ。その点、談志家元は結果的に認識を誤ったのだと思う。
最近続けて円楽党に出向いたが、円楽党の噺家さんにも寄席を与えてあげたい。両国はあるけど。
その点、私財を投げうって若竹を作った先代円楽師は寄席の重大性を認識していた。まあ、潰れちゃったけど。

白鳥師の描く「おばさん」はとにかくすごい。
「戦え!おばさん部隊」などに出てくるやりたい放題のおばさんもそうだが、現実社会では迷惑だとしか思えない存在なのに、白鳥落語の中では大変魅力的である。
家内もこのおばさんたちが大好きだそうだ。「欲望を隠さず他人に遠慮せずに生きている」ところが女性にも共感を呼ぶのだろう。
せっかく山手線の席に座れたサラリーマンが、おばさんたちに席を奪われそうになる。この寝たふりをするサラリーマンが、やりたい放題のおばさんの行動を見たくて仕方なくなるところがなんともたまらない。
電車の中でマグロの頭を引き裂こうとしていたら、それは見たいよ。
しかし、強烈なキャラクターを登場させることで、客が引いてしまうこともあると思う。白鳥師はさすが、そうならないように噺を作り上げる。
よくできた古典落語と同様、「ウソですよ」というサインを常に発しているからなのだろう。

桃月庵白酒「新版三十石」

前半に戻るが、桃月庵白酒師もいつも通りよかった。
白酒師、寄席に出るとポジションに応じて様々な役割を忠実に果たす。毒舌を吐きながらちゃんと求められた仕事をする、プロの鏡。偉い人である。
東京の寄席にはポジションによる掟があり、クイツキとヒザ前では、演者に求められるものは大きく違う。暮れに池袋でお見かけしたときは、後半の幕が開いて客席を沸かせるべきクイツキを務めており、「粗忽長屋」で大いに沸かせていた。
だが、主任のために客席を落ち着かせる「ヒザ前」を務めれば、ちゃんと落ち着いた噺でもって沈静化もさせる。
これは当たり前といえば当たり前のことなのだが、ヒザ前でも、普通に務める人もいるのである。
そうした人がヒザ前を無難にこなせているのは、噺がそれほど面白くはなくちょうどいいからに過ぎないのである。
この日のポジションは、前半の真ん中あたり。流れに応じて考えるべきポジション。
直前の漫才、ホームランが結構ウケていたのを受けてか、「新版三十石」に入る。
志ん生がよくやっていた「夕立勘五郎」を、白酒師の師匠、五街道雲助師が改作したものらしい。浪曲師の語る浪曲の中身を、「夕立勘五郎」よりもっとメジャーな、「東海道森の石松」に替えたもの。
「なまりのひどい浪曲師」の語る浪曲で楽しませるという二重構造の噺。
大ウケしなかったとしても、しっかり客を楽しませられる便利な噺だと思う。
うちの息子も大喜びであった。
江戸落語には、田舎者を侮る気風が脈々と流れているが、でも白酒師は鹿児島の出身。
田舎者を馬鹿にするのではなく、そのトリックスター振りを楽しんでもらおうということだと思う。白酒師、「棒鱈」やらないかな。
高座で携帯電話が鳴るが、当の浪曲師の携帯であったというのが白酒師の楽しい演出。しかも孫からのこの電話に出てしまい、「今高座じゃ。アブアブで待っとれ」。
客の方を向いて、「こんなこともありますんのでみんな様もどうか携帯電話はお切りくだせえまし」。
客の教育もちゃんとしているのが素晴らしい。

色物

色物さんもよかった。
白酒師の前が「ホームラン」。
しばらく前に長井好弘氏が、「東京かわら版」末尾のコラムで、「面白いのだが疲れる漫才だと思っていた。最近急速に楽しい漫才になった」と書いていらした。
そのコラムから時間が経っているが、ホームラン、たまに高座を拝見するとさらに面白くなっている。
ベテランだが、落語協会の漫才では、今や若手の「ロケット団」や「ホンキートンク」より面白いかもしれない。
ベテランになると、芸がそれ以上上達しなくなり、だが「それでもまあこんなもんだろう」という芸を見せられることがある。それを「ベテランの味」などという。
そういう芸はつまらないのかというと、決してそんなこともないのが寄席というところ。ただ、改めて感動はしない。
最近のホームラン、ちょっと感動する芸だ。
この日のネタは、「ショップジャパン」で、宇梶剛士と剛力彩芽が宣伝している「ワンダーコアスマート」を買った話。
長いボヤキに対して、たまに突っ込む形式は、いにしえの漫才ブームの頃よくあった。しかし現在、漫才も大幅に進化して、弱いツッコミで売れることなど絶対にない。
「うなずきトリオ」メンバーのような腕では、コンビの漫才自体絶対売れない、厳しい時代になっている。
だがホームラン、セリフの量は圧倒的に左手の「勘太郎」師匠が多いのだが、昔の漫才とはひと味違う。
セリフの少ない右手のたにし師匠が、「寸鉄人を刺す」という実にいい味を出している。なかなかない芸である。
そういえば、いつかの高座で勘太郎師匠が、「なんだお前は。俺について来いって言って騙しやがって。お前の言う通り漫才やってたらウケやしねえ。俺が仕切るようになってからちょっとウケるようになったんじゃねえか」とボヤいていた。
息子も大喜びの漫才だった。TVじゃやらないものな。
「柳家喬太郎のイレブン寄席」も、売れっ子漫才師を招いていても芸がない。こういう隠れた芸人を呼んでほしいものである。

紙切りは、本来は楽一さんだが代演で正楽師匠。
息子に、「鈴ヶ森」で頼めと焚き付けたのだが、声が出せなかった。
そうしたら、他の子供がもらっていて本人残念だった様子。まあ、また頼めるさ。
それにしても正楽師匠、10年くらい前と比べ、どんどん面白くなっているのがすごい。
ギャグは「爪切ってくれ」「せんべいの袋切ってくれ」「とりあえずビール」「私の一番得意なのが○○」(○○は頼まれたお題)と決まり切っているのだけど。それでもやたらと面白い。
「フラ」という、噺家さんのたたずまいを表すのに便利な言葉がある。
「フラ」を感じる噺家さんというと、「フラ」のかたまりだった春風亭柳昇の弟子の、昔昔亭桃太郎師と、瀧川鯉昇師。
落語協会の噺家さん、層は厚いけど「フラ」のある噺家さんというのはあまり思い浮かばない。柳家喬志郎師くらいか。売れてないが。
落語協会における「フラ」は、正楽師匠の専売特許という気がする。
帰り道、正楽師匠とすれ違ったが、私服だとまったくただのお爺さんであった。でも、面白そうなお爺さんという感じだった。

「鈴本演芸場」については今日でいったん締めまして、続いては主任、柳家喬太郎師の「井戸の茶碗」について

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カテゴリー: 寄席

作成者: でっち定吉

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