私は勤め人ではないので、時間は比較的自由です。完全に自由ではないけれど。
この日は仕事絡みではなく、用事があっての外出なのだけど、ついでに国立演芸場に寄ってみました。
定席(上席)で、主任の林家正蔵師が「百年目」をネタ出ししている。
連日「百年目」で飽きないものだろうかと、これは余計なお世話。
今年は芸協の寄席をもっと観にいこう、と再度決意したばかりなのに、また落語協会だ。
正蔵師は落語協会の副会長。
この日は、日本橋亭で「日本橋お江戸寄席」などもやっていた。
そちらの主任は芸協の昔昔亭桃太郎師。これに行こうかといったん思ったのだが、先月末の池袋、新作落語まつりの余波がまだ続いていて、落語で笑いたくない。
でも、桃ちゃんの席に行ったら爆笑してしまうではないか。というわけで、爆笑しない正蔵師のほうに。
失礼でしょうか? いや、失礼とはまったく思っていない。笑う落語も、笑わなくて楽しい落語もある。前者が聴きたいときも、後者が聴きたいときもあるし、あっていい。
困るのは、「笑わなくて楽しくない落語」だけである。
正蔵師、寄席で意外と聴いていない。初席やGWなど、どうしても派手な席の主任が多い師匠であるが、私はそんな席には行かない。
寄席の日常性が好きだから。というわけで、生活リズムに合わない師匠。
私の生活リズムはともかく、この、名前が重いと批判されがちな師匠の実力、自分の耳で確かめる機会が意外と少ない。
批判はあっても正蔵師、古典落語に精進する姿勢は極めて立派に映る。落語に真面目な人が協会の副会長をやっているのは悪いことではない。
父の爆笑落語と違うスタイルを進んでいる師匠。「笑いたくないが落語を聴きたい」気分にぴったりかもしれない。
TVの「落語研究会」では正蔵師をよく聴く。
決して嫌いではない。
ただ、なにかがちょっと違うよなあと思っていたのだが、よく考えたらわかった。
正蔵師の口調、なんだか「芝居のセリフを上手に喋っている少年」のように聴こえることがたまにあるのだ。
まあ、そんなことをいろいろ考えつつ永田町へ。国立演芸場のロケーション、殺風景にもほどがある。なにか考えていないと盛り下がる。
用事があったので、仲入り後から。仲入り後は3割引きなので、通常2,100円が1,470円。
仲入り後の割引で入場したのは初めてだ。ちなみに、200円の「東京かわら版割引」はさすがに併用できない。
ちなみに、仲入り前から入りたい顔付けではなかったです。
入りは五分もないだろうか。普通の国立の、平日らしい集客である。
幕が開いてクイツキはペーさん。こういう軽い漫談で、軽く笑わされるのは、この日の気分と決してズレていない。
ペーさんが幼少期の、舌足らずな泰孝少年の悪口を語っていたら、私服の正蔵師が高座に乱入してきて、これはウケていた。ひょっとして毎日乱入してるんじゃないか。
ヒザ前、ヒザとつつがなく進んでトリの正蔵師登場。
師が直前にいた、新宿末広亭の建物の話をマクラに振ってから、ネタ出し、ネタおろしの「百年目」。
末広亭に関するマクラ、よくウケてました。
「百年目」、貫禄の必要な噺である。「笠碁」や「二番煎じ」などと同様、旦那がしっかり描けないといけない。
正蔵師、貫禄についてはいささか心配なところがある。
ですが。
旦那も番頭も、立派な貫禄じゃないですか。
貫禄というものは、なにもふんぞり返っているということではない。人間としての器の大きさであり、会話におけるちょっとした間であったりする。
旦那と番頭、二人の人間が実にしっかり描かれている。無理に笑いどころを求めない、人情噺の要素のあるこんな噺は師に向いているのだろう。
ちなみに、チョイ役の小僧さんは、これは当然にいい。
正蔵師は上方好き、米朝リスペクトの印象があるが、今日の「百年目」にも、上方の匂いがする。いい匂い。
単にハメものが入るから、ということではなくて、全般的に上方ぽい。
もともと大商店の少なかった江戸では、本来的に無理のある噺だと思う。上方の強い匂いは、落語世界的にはまったく違和感がない。
とても気持ちのいい世界だ。
「芝居のセリフを上手に喋っている少年」などという気配は、この日の正蔵師には微塵もなかった。
声の質など関係ない。旦那の気持ちになって、番頭の気持ちになって語れば、ちゃんと旦那に、番頭に聴こえるのである。
まあ、これは柳家の教え。林家にどんな教えがあるか、ないか知らないけど。
正蔵師の語りに耳を傾けているうちに、なぜ私がこの席に来たのか、突然にわかった。
無意識に、「栴檀」と「南縁草」の話を求めていたのだ。
私は、実社会において刈られた「南縁草」である。「栴檀」のために尽くしていたのだが、見苦しいと刈られてしまった。
しかし、「栴檀」のほうもいずれ枯れると思う。
栴檀と南縁草の物語自体、とても沁みるのである。
落語というもの、時として聴き手の心境を映し出す鏡になることがある。久々にそれを経験した。
映し出されたそれに、噺家さんの責任ではなくして暗い気持ちになったりすることすらある。
だが、自ら鏡を探しにやってきたこの日、とてもすっきりした気持ちになって家路につきました。
ネタおろしながら、正蔵師のよさが非常によく出ていた、素晴らしい高座でした。
正蔵師初のCDが、この芝居から出るんじゃないでしょうか。録音してるか知りませんが。
国立に、仲入り後入場するのが楽しいことも分かった。またこの手で来ようと思います。