人さまのものと比べると、当ブログならではの特徴は、TVで流れる落語も好きでよく扱っていることだ。
生の落語を聴きにいく趣味を持っている人というのは、メディアで流れる落語を軽んじることが多いように思う。だが、むしろ現場を知る人間にとってこそ、TVの落語は面白いと思うのです。
その中でいちばん面白いのは、千葉テレビの「浅草お茶の間寄席」である。当ブログでもよく取り上げている。
この番組だけが、ホール落語ではない「寄席」の中継である。
他のTV番組は、TVのために収録している落語だが、「浅草お茶の間寄席」は、お客を入れて普通にやっている寄席番組を流している。
「寄席」の一瞬を切り取った中継から、寄席の空気が肌で感じられ、とても楽しい。浅草演芸ホール自体は決して私の好きな寄席ではないのだが、画面から視るそれは、楽しいワンダーランドだ。
チラつきなく映像がわが家に届くようになったことに伴い、録画を再開してからわずか4か月程度なのだが、ずいぶん楽しい高座が溜まった。
特に、落語芸術協会の席の中継が多くて楽しい。
この師匠たちの高座が今、ちょうどいい感じで私に訴えかけてくるのだ。
「落語研究会」などに出演する人気の師匠というものは、TV映像そのものに、すでにスタイルがある。だが、「浅草お茶の間寄席」で拝見する、そこまでの人気はないが実力者という師匠、寄席でたまにお見かけする姿のままで、いまだ新鮮に私の目に映るのである。
今年は芸協の寄席に積極的に行こうと思っている。と新年から宣言しつつ、まだ1回しか行っていない。しょっちゅう行くようになると、TVの見方も変質してくるかもしれないけど。
ともかく、いま楽しい芸協の噺家さんたちについて筆を割いてみます。
千葉テレビ「浅草お茶の間の寄席」の4か月間の録画ストックから、超有名ではないものの珠玉の芸を持つ芸協の師匠たちをご紹介していきます。
三遊亭遊馬
「ゆうば」と読む。
小遊三師匠の、売れている弟子。結構、喬太郎師の番組など他のTVにも呼ばれる師匠。
小遊三師の融通無碍なスタイルは継承せず、きちっとしたスタイルで、滑稽噺を楽しく語る。
ある日の放送では、「蛙茶番」を、入れごとなしにウケさせていた。
ケレン身のない、聴き手の快感をダイレクトに刺激する芸。落語評論における貧困なボキャブラリーでは、「本寸法」と評される芸だと思う。
どちらかというと、落語協会によくいるタイプ。芸協ではあまり見ないスタイルかもしれない。
もちろん、違ったタイプの噺家さんが出てくるからこそ、寄席のバラエティ化が図られて楽しくなるのです。
古今亭寿輔
自称「派手なアマガエル」のテトロン生地の着物と、自虐的な語り、客いじりの強烈なじゅすけ師匠。
基本的に「自虐」「客いじり」というのは、労多くして報われない手法だと思っている。
噺家さんの自虐は、「ぴろき」先生の芸と違って、客に「かわいそう」と思われてしまうのだ。シャレのわかっている客にまで、なんとなくそういう感情を持たせてしまうのは演者が悪い。だが、派手な衣装の寿輔師ならその心配はない。
「客いじり」も、噺に入り込みたい客への妨害電波となるから、できる限り避けたほうがいい。
だが、寿輔師の自虐ネタと客いじり、立派なひとつの芸、寄席の看板である。
中途半端な客いじりは、客に悪態をついておいてから、すぐ「そんなこと言っちゃいけませんが」とか「嘘ですよ!」などとフォローする。だが寿輔師の本格的客いじりでは、一切フォローを入れない。
綱渡りを観ているような心境になるが、もちろん綱から落ちてしまうことはない。たまには落ちるかな。
師のスタイルが波長に合って大笑いしている客に対し、「旦那さん、そんなに笑うことはないよ。面白いこと言ってないんだから」。
だが、この日の仲入り前で掛けた漫談ネタ「しゃぼん玉」でも、高座の本当に最後に「旦那、また来てくださいね」と軽くしっかりフォローを入れている。実は優しい寿輔師。
寄席というところ、古典落語があり新作落語があり、色物があって講談がある。
演者にバラエティがあればあるだけ楽しい場所である。そんな中、落語であり漫談であり、客の頭を空っぽにしてくれる寿輔師匠、すばらしい。
一度トリで人情噺も聴いてみたいものである。人気はあるから、待っていればじきに主任の廻ってくる師匠である。
三遊亭遊雀
元は落語協会、柳家権太楼門下の「柳家三太楼」。
真打であったのに、破門されて協会も辞め、いったん廃業したのちに小遊三門下に移籍している。
真打だったら、破門されても独立した一門で残ることは可能だと思うのだが、いろいろけじめもあったのだろう。
権太楼師とも小遊三師ともタイプは違うが、遊雀師もまた、爆笑派のはしくれだと思う。
苦み走った渋い声の持ち主でイイ男だから、本格路線にも進めただろう。だが、声のトーンと顔を細かくコントロールして、客の不意を突き、大ウケさせる芸。
自分の個性、飛び道具を隅々まで知り尽くしている点素晴らしい。そうでない噺家さんがたくさんいるのだ。
唯一無二のスタイルで、似た感じの人は芸協にも落語協会にも見当たらない。
ひとり芝居のようなたたずまいがある。この芸が意外と、芸協の寄席にもマッチしている。なにをもってマッチしているのかよくわからないけど。
「浅草お茶の間寄席」の新春特番で、柳家喬太郎師(当ブログで取り上げた「ハンバーグができるまで」)とともに、遊雀師の「十徳」が再放送されている。14分の通常サイズの落語の中では、たぶん年間でもっとも面白かったのであろう。
客のくしゃみに、八っつぁんのアドリブのセリフですかさず、「くしゃみしてる場合じゃないよ」と被せているのが面白い。隠居の方も「くしゃみして悪かったね」と返している。
この番組をかつて録画していた数年前の高座にも、まったく同じ、客のくしゃみに反応したアドリブセリフがあったので、倍笑ってしまった。
高座は生き物。いつも隙あらばとなにかを狙っている師匠なのだ。
三遊亭圓馬
古典落語の実力派の師匠である。席亭さんの信頼は絶大らしい。
ハズレのない師匠なのだろう。昨夏に池袋で「お化け長屋」を聴かせていただいたが、これが実によかったのを思い出す。
私のわずか4か月間の録画に、二回登場しているのはさすがである。
先日、「笑点なつかし版」を視ていたら、昔の真打昇進披露が放送されていた。
落語協会から五人、芸協からニ人が出ていたが、落語協会の方には「入船亭扇辰」「林家彦いち」両師匠がいた。その次に売れているのは圓馬師ではないか。
客に語り掛け、フレンドリーな関係を構築するマクラを振るのが最近の流行りであるが、それに抗いひと昔前の入り方をする噺家さんである。
本編と同じように、面白ストーリーを真顔で語る。真顔で面白い話をするところがたまらない。「フラ」とは異なる噺家の魅力を全身から発散している。
本編に入っても、やはり昔ふうである。客の前に一線を引いて架空のストーリーを真顔で語る。
放送された「時そば」、実に楽しい。「時そば」は、本来リアリティのないところに架空のリアリティを構築していく噺だと思うのだが、物語に没入して語る圓馬師の特性は、このネタにピッタリだと思う。
受けどころのない最初の男で、どんぶりをゆすってまわす仕草で場内を沸かせる。ネタそのものから笑いを引き出す見事なテク。
だが別に、直接的な笑いが目的ではなくて、真の目的は、楽しい噺をしっかり語ること。
この冬、この「浅草お茶の間寄席」も含めてずいぶんとテレビで「時そば」が流れたのだが、その中でも一二を争うデキだと思う。
もう一編の放送は「こり相撲」。この噺自体、子供の頃聴いて以来のネタでやたら嬉しかった。小便の入った徳利を持って「酒飲みねえ」というサゲがやたら印象的だったのだが。
芸協には、古典落語にもいろんなネタが残っているものだ。もっと聴きにいかなきゃ。
どんな出番でも、軽く楽しませる圓馬師もいいが、トリでも聴きたい。
桂竹丸
TVで漫談しか聴いたことがないのだが、漫談をメインにしている噺家さんというのは結構いる。
5年以上前に「浅草お茶の間寄席」を録画していた際は、ちょっとしつこい芸だなという印象を持っていた。
「客いじり」というほどいじりはしないのだが、客を過剰に押していく芸であった。
しかし、最近の高座を拝見すると、随分あっさり風味になった気がする。
あっさり味になることが噺家さんにとって進化だとは限らないけれども、いい意味で枯れてきたのだろう。
また、語りにメリハリが大変にあって、心地よいリズムである。
桂米丸門下なので、落語のときは、基本は新作のようである。でも、このメリハリのある語り、古典落語のほうが合いそうな気がちょっとするけど。
歌丸師が抜けた後の、笑点新メンバーの候補に最後まで残っていたという噂だが、本当だろうか。噂の出どころは昔昔亭桃太郎師だからよくわからない。
確かに、笑点には向いていると思う。だが、もう還暦なのでどうだったろう。還暦にはまったく見えなくて、50代前半で通るけれど。
弟子は3人いる。結構多いのだ。
鹿児島県出身。
なぜか鹿児島県、東京の噺家が多く出るところである。「三遊亭歌之介」「林家彦いち」「桃月庵白酒」、みんな鹿児島県。あと芸協、瀧川鯉昇門下の二ツ目、「瀧川鯉八」と「春風亭柳若」。
本格派はひとりもいないところが面白い。
同じく、東京の噺家さんがなぜか多い大分県には本格派がいるのだけど。
春雨や雷蔵
「春雨や」という単独の亭号を持つ雷蔵師匠。先代雷門助六門下である。
物売りのような素晴らしい声の持ち主。声だけでいうなら、三遊亭遊吉師かこの人か。
噺を聴かせるのだから、声がいいのはそれだけで飛び道具になる。
特に面白いわけではないマクラを堂々と語って、「スベリ受け」でもなく、噺家としてきちんと絵になる得難い師匠である。肚の据わりようが見事。
変わった噺をよく掛けている印象がある。先代古今亭今輔作の「くず湯」など。
「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」では「八問答」などという軽い噺を掛けていらした。
古典落語も掛ける。そして、新作落語が主であった、落語芸術協会の古い香りを今に伝えている師匠。
芸協の昔の新作落語、桂米丸師や三笑亭笑三師のような、生きる化石のような人以外には、実際のところほぼ滅びている。
残っているのは、「ラーメン屋」や「ぜんざい公社」など。春風亭柳昇の「カラオケ病院」などは、弟子の昔昔亭桃太郎師が引き継いでいる。
三遊亭円丈師以後激変を遂げた新作落語の歴史を知っていると、かつての新作落語を軽んじてしまいかねない。
他方、古典落語の歴史だけを追っていると、そういう新作落語が存在したことすら無視してしまいかねない。
しかし、そういう落語が全盛の時代もあったのである。年寄りではない私も、子供の頃その最後の残り香を嗅いだと思う。
子供の頃に、よく米丸師匠をTVで視ていたが、決してつまらなかったという記憶は持っていない。今となっては全然思い出せないし、You Tubeに載っているものを聴いてもポカンなのだけども。
そういった時代の隙間に消えていった落語を現代にリアルに残している雷蔵師。そういう人がいるのは悪いことではない。
「春雨や風子」という女流の二ツ目の弟子がいるが、彼女はそこそこ有名かもしれない。
桂文治
十一代目、文治師匠。十代目の弟子で、元の名は「桂平治」。
落語の名跡で十一代も続いているのもすごいものだ。「文治」は、上方落語も含めた「桂」宗家の名前。
他に十一代を数える名跡というと、「金原亭馬生」くらいか。
先代の文治は亡くなるときまで芸協の会長を務めていたが、遅刻癖など逸話の多い人。そういう人が会長でいいのか。亡くなってから先代を聴くようになったのだが、軽くて面白くて、素敵な古典落語を掛ける人。
当代については、平治の頃は正直そんなに好きな噺家ではなかった。「声がでかいだけでしつこい」という気がしていて。
だが、その後どんどん馴染んできた。
やはり、基礎がちゃんとしている噺家さんなので、徐々に聴き手に染み入ってくるのだ。結構、強引な染み入り方だが、それも味。
よく聴けば、楽しさをかもし出すことには注力しているものの、露骨に笑いを取りにいく芸ではない。
なるほど、これなら文治の名にふさわしい。
私生活でも面白い師匠のようだ。新宿二丁目が好きだそうで、しかも独身なので男色疑惑がささやかれているが、ご本人はその疑惑を面白がっているらしい。
シャレの世界を地で生きている人。しかもいつも着物スタイル。
落語協会の三遊亭歌奴師が、同郷のよしみで文治師のエピソードをマクラに振っている。
視覚障害者を集めた落語会を開催したところ、会場に盲導犬がずらっと揃っていた。事前に「盲導犬は吠えたりしない」と聞かされていたのだが、声のでかい文治師が一席始めたとたんに、盲導犬が一斉に「ワオ~ン」。
協会の垣根を越えてネタになる人なのだ。
平治の頃から、この師匠の書くものは結構好きだった。
「噺の穴」というサイト、一時期むさぼるように読んでいたものだ。
前半が読めなくなってしまっているのが残念。今や無料ブログがざらにあるのだから、移して欲しいものだ。
なんなら私がやったっていいですよ師匠。
(※ 今は全編読めます)
大分県出身。大分というと、落語協会会長の柳亭市馬師も同郷。
前述の歌奴師のほかにも、このたび真打に昇進した春風亭三朝師、それから円楽党の三遊亭鳳志師がいる。
昨日紹介した鹿児島県出身者とカラーがまるで違うのが面白い。
「浅草お茶の間寄席」では「時そば」を掛けていた。客席に中学生の団体が来ていて、リクエストがあっての「時そば」とのこと。
前半から笑いの入る、ちょっと珍しいタイプの「時そば」だ。おしゃべりな男を、面白おかしく描いている。
蕎麦汁を三三七拍子ですすったりするのは、鯉昇師からもらったものか。逆だったらすみません。