しばらく仕事の関係で、東京じゅうに出かけることが多くなる。生の落語を聴くチャンスもちょっとだけ増える、かもしれない。
ちなみに、丁稚を名乗っていますが奉公人ではありません。
池袋の新作落語まつりで笑い過ぎて、疲労困憊したばかり。もうしばらく、笑いたくない。
だが、笑いたいという意欲と、落語を聴きたいという意欲とは、若干ベクトルが違うものである。
仕事にかこつけて平日に、1月に訪れた「亀戸梅屋敷寄席」に再訪してみた。
「笑いたくないが落語を聴きたい」ために出向くのは、円楽党の噺家さんにはいささか失礼ではある。しかし現に1月、三遊亭竜楽師を聴けて非常に良かったのだが、そのときもさして笑ってはいない。
人情噺ではなく滑稽噺であっても、「笑わないが楽しい」ということはある。
もちろん、「笑わなくて楽しくない」ということだってあるのが世の常だけども。
この日は、トリではないが三遊亭兼好師が出る。
TVの落語でよくお見かけする兼好師。いつもその高座に引き付けられる。
一度生で聴きたかったのだ。でも、ホール落語にはあまり気が向かなくて、この日が初めて。
兼好師も、笑わせて客を満足させる人ではないように思う。しっとりした芸風でもないけども。
遅れて入場したら、前回とは打って変わって満員。会場の道の駅、「亀戸梅屋敷」に観光バスが停まっているなと思ったのだが、落語の客だったのだ。まあ、満員といっても狭い席なので、30人を超えている程度。
「亀戸梅屋敷寄席」は、前座を含めて5席。料金は千円。
3席目に入場したところ、三遊亭道楽師のマクラが済んだところ。そこから「湯屋番」に入っていった。
これが、今日の目的に非常にぴったりの、「笑わないが楽しい落語」であった。いや、大笑いしているおばちゃんはいたが、最後は笑い過ぎて疲れたようである。
この「湯屋番」では、奉公先の湯屋は、若旦那が自分で見つけてきている。こういうバージョンもあるのだ。
二階にいる若旦那の真下を竹槍かなにかで突く演出。これも初めて聴いたが楽しい。
若旦那の妄想に楽しく付き合わせていただきました。
落語というもの、客に「いたたまれなさ」を与える困った高座以外は、すべて楽しいものなのである。
仲入り後が目当ての兼好師。
花見のマクラから、「花見酒」。この時季しか聴けない噺。
兼好師、声は気持ちいいし、テンポはいいし、ほどよく挟まったオリジナルのギャグは楽しい。そして、兄貴分と弟分の描き分けが上手い。
とくかく、人を気持ちよくさせる波長を常に発している。
「花見酒」、客商売として成立しているのは最初の一杯だけだと思っていたが、このバージョンでは最初の十銭も借りものなので、商売はひとつも成立していない。ただ仕入れた酒をふたりで呑んだだけ。
兼好師、私は「騙し」の達人だと思っている。
兼好師が、行ったり来たりするだけの十銭で酒を売り買いすると、なんだか腑に落ちてしまう。もちろん、そんな商売あり得ないと思うからこそおかしいのだが、あちらの世界では、そういう商売がほんの一瞬成り立っているのだ。落語のウソに変なリアリティが生まれるのである。
とにかく気持ちのいい高座。「気持ちよさ」は笑いよりなにより、落語を聴くにあたり真っ先に求める感情である。
さて、兼好師の気持ちのいい「花見酒」に大満足したところで、トリを待たず帰ってしまおうかとちょっと思った。
いい気分で帰ったほうがいいのではと。どのみち安い入場料だし。
トリは「三遊亭楽生」という知らない師匠。当代円楽師の弟子。どう考えても、兼好師の高座を上回ることなどないではないか。
まあ、せっかくだからと残って聴いてみました。
この楽生師が、意外といっては大変失礼だが、当たりだった。
「円楽党に知られていない天才がいた!」とまで思ったわけではないけれど、落語協会や芸協の芸人さんと比べたとき、寄席に出してもらえたとするならちゃんと戦力として計算できるひとである。
ネタは「甲府い」。
悪い登場人物の出てこない、気持ちよさを追求したある種極めて落語らしいこの噺。だが元来が地味なネタで、この楽生師のような、明るく元気なスタイルの人が好んでやりたがる噺でもない気がする。
と思っていると、この噺を楽生師、地噺のように調理する。
もちろん「甲府い」は地噺ではないので、演者自身のセリフの入る余地などない。だが楽生師、あえて途中で地に返ってギャグを入れる。このギャグ、つまらなくはなく、その反対に噺を壊すほどには突出しておらず、なかなかほどがいい。
地に返る回数を増やしてしまうと、ギャグが面白かろうがつまらなかろうが噺はやっぱり壊れてしまいそうだが、そんなに乱暴なやり口ではなく、ごくピンポイントでこれをやる。
なるほど、地味に終わってしまっても別段構わない「甲府い」を、自身の得意なスタイルに作り替え、元気の出る噺にしていたのだ。
なかなかの力技ではないでしょうか。そして爽快感に溢れる高座。
円楽党所属の噺家さん、そもそも落語を掛ける場所が少なく、売れるためのハードルは高い。
しかし、兼好師がそこから抜け出してきたように、売れる素質のある人はいるものである。
先日、「笑点メンバーの落語」という項で、「当代円楽師の弟子が育っていない(ようだ)」と書いたが、お詫びします。少なくとも、この惣領弟子ひとりはいた。
いや、亀戸梅屋敷寄席、なかなかいいですね。
この日は三席聴いただけだが、楽しい気持ちいっぱいで帰途につきました。
円楽党のホームグラウンド両国寄席にも、一度行ってみなくてはなと思っている。夜席が、あまり好きじゃないのだけど。
両国寄席は、日替わりの番組に、他団体の噺家さんが一人混じって顔付けされるという点がユニークではある。