世の中の落語を探す(飲食店編2)

当ブログで抜けたアクセスを集めている記事は「世の中の落語を探す(飲食店編)」というもの。

アクセスが増えたのは、「ピッツェリア恭子」というお店のまとめ記事として勝手に使われて、まちBBSに貼られたため。
戸越銀座の隣でお店が再開したというので、地元民が知識を得るために読んでいるらしい。落語のファンが来ているわけではないので、格別嬉しくはない。
といって記事を取り下げるのも癪ではある。
戸越銀座にあった痛いイタリアンが、あっという間に人気を集め、そしてたちまち閉店に至るその記録である。どことなく落語っぽいなと。
まあ、痛い人は世にやたらいる。痛い人を正義のために攻撃するより、笑うほうが健康だと思うのだ。

しかし、イタリアンというところには、なにか他ジャンルにない、絶妙のプライドがときたま湧いて出るようだ。
中華やフレンチ、和食の割烹とはどこか違う、おかしな方向へプライドが突出してしまうことがあるらしい。
そんなニュースを最近見つけた。

この事件単体に、落語っぽさを感じはしない。
ただの、胸がざわつく、しみじみ胸に浸みこむイヤな情報。
ツイッターでさらし者に遭っている宇都宮の親子(母と中学生の娘ではないだろうか)が、とても気の毒だ。

だが、先の記事を踏まえイタリアンならではの事件と捉えたとき、なかなか面白いなと思った。
炎上させて逃亡した張本人は、別におふざけで世間を怒らせたわけではない。
狭い世界の中で、間違って持ってしまった哀しい常識に基づき、世間に対して怒りを発露しただけなのだ。
自分たちがいかにプライドを持って仕事をしているか、そしてそのプライドが、不適切な客によって砕かれそうになったという点を強調して。

プライドを傷つけられた怒りを発信したところ、次々と「親子が可愛そうだ」「客に恥をかかせるなんて最低」という返信が寄せられた。
プロの料理人からも。
またこの店が、私もGoogle Streetで確認したが、本当にカジュアルな外観のお店で、パスタだけ頼んでも無理はなさそうに思える。
入ってみないとわからない内装も、写真によるとまたカジュアル。
そんな店が、「リストランテかくあるべし。客も調べてくるべし」って言うなよ。

ツイッターは店舗公式ではなく、スタッフ(店主である可能性も大)が勝手にやっていたもの。
ネットリテラシーが低いがゆえに、教える必要のない店舗名をわざわざツイッターで白状した結果、Google Mapの店舗情報が炎上した。
アカウント削除して逃亡してしまったスタッフ。情けない。

まるっきり他人ごとではない。私も、寄席の客の痛いマナーなどしばしば取り上げている。
常識を共有してもらえる世界の中では、そのことが叩かれることは幸いない。
しかしそんな私を、マナーが悪いということだろう、睨みつけてきた兄ちゃんが寄席にいたのである。
4月の池袋で、立って昼席を聴いていた際のこと。ペットボトルをレジ袋から出す際、それも結構気を遣ってそーっと取り出すときにほんの一瞬発生する「カサ」ぐらいの音に。
かように、共有すべき常識とは、前提が脆くはかないもの。
この兄ちゃんはさすがに特殊過ぎると思うが、でもこの人にだって寄席の「常識」はあるのだ。
落語は微動だにせず聴くものだという「常識」を持っている兄ちゃんの前には、私のマナー論は通用しない。あとは、どちらの常識がより普遍的かという対立に過ぎない。
マナーなんてものも、その本質を理解しないで偉そうなことを言い出すとなると、非常に怖いものだと思う。そうならないようにしたいものだ。

さて落語というものは、しばしばコミュニケーションギャップを笑いに変えるもの。
例として「蒟蒻問答」「うどん屋」「蜘蛛駕籠」。
宇都宮のリストランテのスタッフと世間との間にも、コミュニケーションの断絶があったのだ。
晒された親子には気の毒だが、コミュニケーション断絶の構図、はたから見ているとそこそこ面白い。
自分の基準で世間を信頼して、愚痴をこぼす店員。
愚痴をこぼす際に、誰かを傷つける恐れについては一切無頓着なのであった。
無頓着なのも当然で、この店員にとっては、「自分がマナーをわきまえない痛い客によって傷つけられた」と思い込んでいるからだ。

ああこれ、最近の志らくによる前座降格騒動と同じじゃないか。
さすがに当ブログで8日間書き続けたネタを繰り返すことはしない。
だが志らく、世間でいろいろ言われたことに反撃して「(弟子より)私が可哀そうじゃ」と言っていた。
自分の主義主張が、世間においては相対的に扱われることを理解していれば、こんなことは言わない。
意見が多種多様な世間に根拠もなく「絶対」を放り込んでくるから嫌われるわけだ。

昨日取り上げた雲水もそう。
「3千円のパンケーキを食うやつなんて、出す店なんて叩いていい」とまず思い込んでしまうのが、この売れない噺家の限界。
そこに支持者は極めて少ないのであった。
もともとクスリともできないツイッター一本だけを武器に、世間との間に信頼関係ができていると思い込んでしまったのか。
薄い壁に寄り掛かれば倒れる。

「立川志らく」を扱った記事には、私はタグを付けていない。
だからブログの下のほうに出てくるタグクラウド一覧に、この人の名前は出てこない。
タグを付けると、もっと検索でヒットすると思う。
検索でヒットはして欲しいのだが、でもやめておく。生理的に嫌なので。

作成者: でっち定吉

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