日本語の誤用・・・「御の字」と「大工調べ」

唐突だが、「日本語の誤用」にちょっとモノ申したい。

最近、「ちげーよ」と、古典落語の登場人物に言わせていた若手を続けて2人見た。
なんとなく江戸っ子っぽいけど、そんな言葉、昔はありません。あえていうなら「違わあ」かな。
これは言葉を操るプロである噺家への軽い嘆きであるが、この手のことを一日掛けて語りたいわけではない。
「日本語の誤用」の取り上げ方についてモノ申したいのだ。

「国語に関する世論調査」がネットニュースに出ていた。

《憮然》

  • 間違った意味:腹を立てている様子
  • 正しい意味:失望してぼんやりとしている様子

間違った意味で使っている人が56.7%だそうな。

《砂を噛むよう》

  • 間違った意味:悔しくてたまらない様子
  • 正しい意味:無味乾燥でつまらない様子

《御の字》

  • 間違った意味:一応、納得できる
  • 正しい意味:大いにありがたい

今回のニュースは、日本語の乱れを嘆いているわけではなく、事実を述べているだけ。
ニュアンスとして嘆きはそこにあるだろうが。
だけど、まず「憮然」について、なぜ間違うかの考察がなくて物足りない。
憮然を立腹の意味として使うのは誤用とされる。
だが、これだけでは正確ではないだろう。
「失望してぼんやり」という本来の状況の中に、「立腹」の意味は含まれていないか?
含まれているでしょう、普通。

「イングランド代表にハカを邪魔されたオールブラックスは憮然としていた」
使いかたとしては間違っていないだろう。そしてこう書いてあったとき、ここから「怒り」を読み取るのは難しいことではない。
つまり、書き手の思いと読み手の気持ちが、「憮然」という言葉を通して完全にシンクロしている。
だから憮然を「怒り」と解釈するのは、純然たる誤用と言えないはず。一部の意味の拡大化なのだ。
言葉は移ろいゆくものだが、完全な誤用が一般化していく場合と、「憮然」のように、わりと自然に意味が変わっていく場合とを、同じ「言葉の乱れ」として扱うとするなら抵抗がある。
言葉自体に、意味変遷のスイッチが仕組まれているといえばいいか。

「砂を噛むよう」にも同じことがいえるが、「無味乾燥」から「悔しい」はやや遠いかな。
これはつながっていないから、誤用というしかないだろう。
まあ、砂を噛まされたらそれはいじめだものな。やられたら悔しいわい。

さらに「御の字」。
特にこの言葉について、落語のブログで取り上げる価値があると思った次第。

御礼の御の字なんだから、たしかにありがたいという意味が正しい。
だけど、元々がふざけた使いかただと思いませんか? 「ホの字」とか。
そういえば、柳家喬の字さんは秋から真打で小志んになった。
「○の字」は真打向きの名前ではないらしい。

御の字といえば、ご存じ「大工調べ」。
与太郎は、大家が店賃のカタに持っていった道具箱を取り返しにいく。ただし800文だけ足りない。
口の悪い棟梁に吹き込まれた通り、足りない理由として「あたぼう」だの「御の字」だの言ってしまい、大家を激怒させる。

あたぼうは、「当たり前だべらぼうめ」だから、もちろん大家の前で使っていい言葉ではない。
だが、そこまで汚い言葉でない「御の字」も、本来の「ありがたい」という意味で大家に伝わっていないことは確かだ。
つまりもともとTPOに合った、フォーマルな使いかたとはいえないのだ。昔から。
与太郎が、期せずして大家を怒らせるのに十分な用法。
社会的に意味を確立している言葉じゃない。落語の中では、あたぼうと同レベルの乱暴な言葉なわけである。
もちろん、「納得できる」という誤用のほうに近いことは全然ないけども。
こんな使いかたしかできない言葉、意味がわかるかわからないかなんてニュースに取り上げられるのも、かなり変な話だねと。
まあ、うっかりすると落語だってすぐ権威を持つからな。

「いつもブログを読んでくださって御の字だ」
こんな用法、TPOとしては、NG。
「御の字」という言葉を覚えて得意げに使ってみたくなったとしても、そうそう出番はないのだった。
感謝が相手に向いてないからな。

作成者: でっち定吉

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