仲入り後、トリは女流の柳家花ごめさん。袴を付けてる。
今日は子供の日ですと宣言して客をポカンとさせたあと、「花見小僧」が出ましたけど私も子供の噺やりたいんですと。
寄席だと、ツくのでダメなんですがいいですよねだって。私はいいですよ別に。
この人も、SNSに載せるときは考えてくださいなんて言ってたけど、確信的にツいてもいいと思うなら、堂々とやったらいいでしょう。
五街道雲助師は、寄席でどうしてもツく噺をやりたかったとき、「我々のほうでは便利な言葉がある。これを『特集』」だなんて言ってたそうだが。
そして佐々木政談へ。いいね。
私はこの噺、勝手に人情噺だと理解している。泣かせるシーンは皆無だけど。
身分の違う人間の間の交流をしっかり描くと、そこに人情が噴き出てくるのだ。
学術的な定義はともかく、そんな人情噺があったっていいでしょう。
さて花ごめさんは、ツーシームをビシビシ投げ込んでくる人。この日改めてそう思った。一体なんのことか。
古典落語であっても、噺を作り上げるのは噺家の義務。
だから投手である噺家は、配球を考えて投げないとならない。
しばしば変化球を投げる必要もある。切れ味鋭いスライダーから、ときには落差の鋭いフォークボールまで。
ビーンボールを投げる人までいたりして。
だが花ごめさんは、大胆な変化球はあまり放らない。
もっぱらツーシーム。
このらくごカフェの前に神田連雀亭で聴いてきた柳家小もんさんは、見事なフォーシーム、基本で教わるストレートを投げ込む人。
ストレートの本寸法はフォーシーム。
小もんさんは、昔ながらの素直なスピードボール、手元で伸びるフォーシームと、カーブで打者を切って捨てる。
いっぽう花ごめさんは、速球でも打者の手元で微妙に動くツーシームを多投してくるのである。
素直な直球だと思って手を出すと、バットの芯を微妙に狂わされる。
花ごめさんは、ボールを動かすことを実に入念に考えていると思う。
だから派手さはないのだが、噺の隅々にまで、徹底した見事な工夫があるのだ。
といいつつ、その工夫の数々、地味なので聴きながらどんどん忘れてしまう。
でもいいのだ。一席終わったときに、工夫の積み重ねがしっかりどこかに残っている。
初心者でない、落語をよく聴いている人なら、この評価はきっとピンと来るだろう。
もっとも、噺の原型を知らない初心者が聴いてつまらないなんてことはない。手元で動くのがわからないだけで、見事な速球なのだから。
奉行が、絵の中の仙人がなにを話しているか聴いてまいれと坊主に命じる。
序盤からツーシームで攻めてこられていると、この山場のあたりがもう、すばらしく客の気持ちに沿うのである。微妙に動いて、手元に差し込んでくる感じ。
私、なにを言ってるんでしょうか。
そして、落ち着いた喋りの人なので、女の出てこない噺を堂々と語りきる。
お奉行もいいし、坊主もいい。
実に気持ちのいい佐々木政談でした。
花ごめさんは、柳亭こみち師ぐらい出世するかもしれない。
師匠にアゲてもらっていない噺を客の前でする緑助さん、マクラで理事をぶった斬った吉緑さん、ツいた噺をやった花ごめさん、私のブログのせいで全員師匠に叱られたらごめんなさい。
まあ、坊主頭ぐらいにはなっても、破門にはならない。
神田界隈をハシゴし、二ツ目の古典落語を計6席。
これで千円。大満足のすばらしい日でした。