次がお目当て、三遊亭萬橘師。
この日の客、落語を聴いたことのないような人たちではない。だが、寄席に通っているような人たちでもない。
東京で落語を聴くにも地域差がある。この日の客、私に言わせるととても品川区らしい。
あらゆる文化に触れようと思えばいつでも触れられる距離に住んでいるのに、実際のところ、通いはしないという。
これが都心から遠くなる、お隣の大田区になると、意外と通っぽかったりする人がいるのは不思議だが。
前の週に行った荒川区東尾久の客は、無料でも落語をよく知っている人たちだった。
落語なんて爺さん婆さんの趣味だと思うのはそれほど間違ってはいない。だが爺さん婆さんたちのレベルは千差万別。
そんなわけで萬橘師、客席をあっためるために少々骨を折っていた気配があった。
達者な前座が十分あっためているはずなのだが、演者とするとちょっと違うのだろう。
だが、どう立ち向かっていいか難しめの客を懸命に盛り上げようとする、日頃見られない萬橘師の姿が見られ、私は嬉しかったです。
この日の時そばという演目にも、初心者向けの鉄板ネタを持ってこようという演者の思惑が感じられるのだが。いやもちろん、いい客の前でだって出す噺ではあるけど。
とはいえ、初めて聴く萬橘師の時そば、とても楽しいものでした。
落語家はいいですよ。毎日違うところに行けると萬橘師。
サラリーマンなら、嫌な人とも毎日顔を合わせないとならない。我々は、毎日違うところに行って、毎日別の嫌な人に合うのです。
そして定番のマクラ。
老人ホームの会に行ったら、テーブルの上にむき出しで座布団を敷くことになった。
それはいいのだが、出囃子に乘って出ていくと踏み台がない。仕方ないので助走をつけて飛び乗ったら、キャスター付きのテーブルだったという。
この際中、後ろのほうから未就学児の不規則発言が聴こえ、オチがぐずぐずになってしまった。
しかしハートの強い萬橘師。幼児をターゲットにして、「今、喋っていられる最後の機会だぞ。この後はダメだからな。頼むぜベイビー」。
客もひと安心。
ただ今度は本編に入っておそばをたぐるシーンで、この幼児がやたら笑い出す。面白かったのならいいけれど。
萬橘師、「お前のためにもう一度だ」。
少々異様な環境に遭ったとき、無視するのも手だが、しっかりとすくい上げて処理することで客も救われるのである。
萬橘師の落語の共通項だが、師は落語を破壊はしない。面白さが目立つ落語であることを考えると、不思議なぐらい。
古典落語の肝をしっかり見据え、そこを膨らませていく。この見極めがすばらしい人。
師の時そばを聴きながら、「豆大福」を連想した。演者の面白さが外からぼこぼこ見えているのだけど、でもちゃんと大福の形状は保っているという。
落語を聴きながら、いつもこんな見立てをついやってしまう。
たっぷりそばをすすってから、「ここで拍手欲しいな」と中手を催促。
これ以上すすってると、そばがなくなっちゃうからと。
ついでに、うどんの食い分けもして、これはやらないほうがよかったって。
拍手を嫌らしくではなく、露骨に求める萬橘師の態度はすがすがしいけど、でもちょっとイヤなこともある。
この日の客レベルだと(鑑賞力ではなく、あくまでも慣れの問題)、こうして拍手を求められたことにより、あ、これがマナーなんだと認識してしまうのである。
なので、トリの兼好師のときに、どうでもいい中手がやたら多かった。まあ、兼好師も酒の(ややクサい)飲みっぷりで、いかにも中手が必要なスタイルにしてたけど。
間違ったマナーを覚えた人が寄席に行くと、やたらどうでもいいところで手を叩くんだわ。
変な拍手で一席壊してしまうことだってあるからな。叩くほうは、壊れた、壊したことに決して気づかない。