池袋演芸場8(寄席の日)

6月の第一月曜日は年に一度の「寄席の日」。料金が半額。お金がないけど寄席に行きたい私は当然出かけます。
家庭事情で昼席限定。
昨年は、早くから並んでいる鈴本の横をすり抜けて浅草に出向き、鶴光師匠の芝居(芸協)を観た。
今年の行き先は少々悩んだ。
鈴本は柳家小ゑん師。
ホームグラウンドの池袋は古今亭菊志ん師。
それと、国立演芸場が春風亭一朝師。
国立は、なぜか半額にはならず、2,100円→1,470円である。
大好きな小ゑん師がトリを取っていてこれも聴きたいのだが、やはり池袋にする。ここは日ごろの「東京かわら版割引」がないため、実質的な割引率では一番高いのだ。2,500円→1,200円。
菊志ん師は知らないわけではないが、しょっちゅう寄席でお目にかかっているという人でもない。人につくのもいいが、ひとつ寄席についてみる。
混雑を警戒して早めに現地入り。スタート時は4割の入りだったが、やはり急速に埋まりだし、仲入り前には立ち見が出ていた。

彦星  / 真田小僧
花ん謝 / 熊の皮
あんこ / 金明竹・ゴジラかっぽれ
ロケット団
菊太楼 / 長短
扇好  / 持参金
翁家社中
富蔵  / 親子酒
志ん弥 / 権助魚
小猫
雲助  / お菊の皿
(仲入り)
茜   / (新作講談)幸せの黄色い旗
正雀  / 豊竹屋
アサダ二世
菊志ん / 二階ぞめき

超満員だと芸人さんもやる気が違うようで、それはすばらしい芝居でありました。
ヒザのアサダ二世先生が、「今日は噺家さんがたっぷりやっちゃって、時間が押し気味なので、色物しか時間を調整するところがない」と、マジックひとつであっさり去っていった。
初心者から常連まで、等しく満足できる内容だったと思う今日の池袋。
つい先日の下席、当たりもあったが全般的にはごく普通の芝居だった。しかしさすがは池袋テイスト。また来れば、高い満足を得られる寄席である。

しばらくこの芝居のことを書いていきます。

古今亭菊志ん「二階ぞめき」

それにしても、池袋の顔付けにはいつも感心する。
菊志ん師の主任だから、その一門(古今亭圓菊一門)がずらっと出てくるというのが普通の考えである。
しかし、この一門からは二人だけ。
仲入り前の雲助師は、古今亭といっても金原亭馬生一門だから菊志ん師からはやや遠い。あとの師匠方の一門はバラバラ。
菊之丞・文菊といった、一門の売れっ子師匠を顔付けできなかった(想像)時点で、売れていない師匠を代わりに入れるという考えがないみたいだ。
寄席の最高峰・鈴本演芸場ならわかるが、東京の寄席の中で一番下に位置する池袋も、妙に気位が高い。
そういうところが好きで通っているのである。他の寄席より長い持ち時間の中、つまらない落語を聴いていたたまれない気分にならなくて済むのだ。
お声の掛からない噺家さんには気の毒だけど。
「池袋といえば空いている」というのも定番のギャグであるが、実際のところ、空いている席に出くわしたことが2回しかなくて、全然ピンと来ない。
どちらも、少々冒険した若手の主任のときである。決してつまらないことはなかった。

菊志ん師匠のトリ「二階ぞめき」に、やはり先に触れておきたい。
常に若々しい菊志ん師だが、すでに45歳。兄弟子の菊之丞師よりひとつ年上だ。実に意外な気がする。
「落ち着きない」感じのキャラを作っているが、本当に落ち着きのない人ではない。と思う、たぶん。

毎年、6月の第一土曜日にはNTTのOB会に呼ばれ、一席披露するが、そのたびに心に痛手を負って帰ってくるという自虐マクラから。
ご贔屓の悪口など、寄席で実名出して話していいのか。ちゃんと、なにか手を打ってあるのだろうと思うけど。
お客が悪気なく失礼な言動をするたびに、「心にズドーン」。「千早ふる」のクスグリを引いてきたのか。
破壊力のある楽しいマクラ。

演目は「二階ぞめき」。粋な噺だ。廓噺だから、子供を連れていくと聴けない。
そうでなくてもそうそう掛からないネタではある。
これも、ウケなくなって久しいと言われ掛からなくなり、しかし最近よく見かけるようになった「爆裂妄想噺」のひとつだと思う。
爆裂妄想噺には、「野ざらし」「湯屋番」「だくだく」、あと重度粗忽噺の「堀の内」も入れたい。
私の分類ですのでむやみに信用してはいけません。
「二階ぞめき」、とても楽しい噺だが、ぼんやりした客だとその楽しさがわかるまい。
落語ブームというのは、いつまでたっても静かなブームだなどと揶揄されるけども、こうやって、客の耳の底上げには着実に貢献しているのではないかな。

大師匠・志ん生の型を継承していて、二階に吉原を作るのは番頭のアイディアだ。
二階でひとり遊ぶ若旦那が花魁役を演じる場面は、完全に劇中落語である。
一席の楽しい古典落語の中から、さらに若手真打っぽい勢いのいい落語が聴こえてきて、これは思わぬ拾い物であった。
しっかり客をつかまえておいてから、アクセル踏んで突っ走る菊志ん師に、超満員の客も大いにハマっておりました。もちろん私も。
客がついてこないと、際限なくダダすべりしていきそうなネタだけども。
いや、よかった。
色っぽい菊之丞師も、妙に落ち着いてる文菊師も、菊丸師も志ん弥師もいいけれど、圓菊一門に菊志んあり。

五街道雲助「お菊の皿」

年に一度の「寄席の日」、最終的に池袋を選ぶにあたっては、仲入り前の五街道雲助師匠の存在は、強い決め手となった。
長講の雲助師ももちろんよいが、寄席での軽い雲助師がまたたまらないのである。
高座に上がって日常の話は振らず、スッと定番マクラへ。
「おじさん、執念かい妄念かい」「残念じゃなあ」。
関西弁の幽霊「恨めしゅうおます」はサマにならないと振ってから、これからの季節の売り物「お菊の皿」へ。早い者勝ちの噺。
昨年、子供を連れていった夏休みの池袋でも雲助師で聴いた。子供に聴かせてやれてよかったとつくづく思った。
その噺が、1年経ったらさらにパワーアップしている。嘘みたいだが本当だ。
お菊さんがより軽く、その「芸」が飄々としている。そして、噺全体のバカバカしさの度合いが増している。
バカバカしさが増したところに、江戸っ子の粋が浮かび上がってくる。
超ベテランの噺家さんの落語が、季節をまたいでなお進化していることに、驚きを禁じ得ない。
つい先日の池袋、代演の玉の輔師で聴いた「お菊の皿」はギャグだらけの噺であった。それも決して悪くはないけども、余計なものを刈り込んだシンプルな噺で、大いに沸かせる雲助師でありました。

神田茜「幸せの黄色い旗」

仲入り後、神田茜先生がクイツキ。芸協に比べて講談師の少ない落語協会では、貴重な戦力である。
私生活では、最近林家彦いち師匠と離婚されたそうだが。
「私は高校生の息子がおります」なんて自己紹介されていた。
「幸せの黄色い旗」は新作講談であるが、その中身は実質、落語である。「よくできた新作落語だ」という印象。
「講談らしさ」は強くは味わえないものの、私は話術として講談も落語もあまり区別する気がないので、その点はさして気にはならない。

三十路になって、後輩からも会社からも邪険にされ肩身の狭いバスガイドが主人公。
日常から大きく離れない世界の話であり、豊富にギャグが入っているわけでもないのだが、やたらと楽しい。
「クイツキ」というのは、仲入り休憩で気持ちのそれた客の気持ちを引き付けるポジションで、噺家だったら勢いのある人が務めることが多い。
ベテランの講談師が務めるポジションでない気もするのだけど、結果的には客の気持ちをしっかり引き付けて、いい仕事。
落語でもって、特に柳家で「狸をやるときは狸の了見になれ」なんてことをいう。
茜先生の話術も、それに近い。ただ、講談の場合は、登場人物と完全に同一になるのでなく、つかず離れず、ちょっとだけ客観的なポジションにいてもいいようだ。
そういう若干の違いはあるが、女流の噺家さんが、茜先生から教わって落語として掛けたら、ウケそうな気もする。
と思う一方、寄席に呼んでもらえない女流噺家がやっても、たぶんウケない。聴いていて、途中どこかで気持ちが落っこちてしまうと思う。

等身大の女性の日常を描く新作落語という、ごく狭いジャンルがある。
古典落語は、世界自体が男の発想でできているもの。女性がそのままやっても向かないという前提のもとで生まれた創意工夫である。
上方の桂あやめ師匠はこれで成功した。いっぽう、この方法を踏襲して、上手くいっているとは思えない女流もいる。
柳亭こみちさんのように、堂々と男の噺である古典落語を掛けて、しっかりウケる人もいる。女流噺家といっても、いろいろである。
そんなことをいつも考えている中で、神田茜先生の、「女性の日常」を描いた新作講談にいたく感銘を受けた。
声と間が気持ちいいので、寄席で楽しく聴けるのだろう。
話術の手本である。

林家正雀「豊竹屋」

ヒザ前は職人、林家正雀師。
先代正蔵(彦六)譲り、怪談噺・人情噺の第一人者である正雀師のトリにも興味は大いにあるが、未見である。
私は、正雀師のヒザ前を観ることが多い。これがいつも絶品。
たびたび書いているのだが、今日も書く。
「ヒザ前」はトリに向けてお客の気持ちを盛り上げる重要なポジション。大ウケを獲るのはご法度。
漫談を掛ける場合も多いが、池袋では、漫談だけで降りることは少ないように思う。楽しい噺をさらっと、だいたいベテランの師匠が務める。
制約が大きく難しい「ヒザ前」だが、客にハマるとそれは素晴らしいものがある。
9回裏1点差、ライン際の送りバントでしっかり走者を進める仕事も果たしておきながら、ついでに一塁に駆け込んでセーフになるようなものだろうか。
寄席の場合は、「いつも二番打者」だという人はいない。あるときは四番打者の人が、別のときには二番も務めるのである。それでも、二番打者が上手いという人は間違いなくいる。
今日の「豊竹屋」はハマりましたね。そもそも「大ウケはしないが実に楽しい」という点において、この演目はぴったりである。
初心者の人も、寄席に行ってぼんやり聴いていてももちろんいいが、寄席にはこういう構成も隠れているのだということも、思い起こして欲しいものだ。より楽しめるはずである。
落語は個人の技を見せる場であるとともに、チームで行う集団プレイなのである。

***

この日の池袋、あとは冒頭からピックアップしていきます。

前座はその正雀師の弟子、彦星さん。いま、いちばん気になる前座さんだ。
前座なのに、噺をよく工夫している。
この日の「真田小僧」でも、「お父っつぁん喉渇かないの? じゃ、表行ってごらん。渇くから」「俺あ洗濯ものじゃねえや」なんてクスグリがちょくちょく入ってくる。どこかにありそうで、聴いたことのないクスグリ。
だが、抑揚は乏しくまだ棒読みに近い。前回観た際よりもだいぶ抑揚がついてくるようになった気がするが。
そしてやたら間がいい。
昨年入った前座さんで、まだヘタで当然だが、ヘタな部分に妙に味があって気になっているのだ。オチケン出身者にはない魅力。
池袋に来ればまた逢えるだろう。今後も楽しみにしています。

トップバッターは花ん謝さん。
噺家としての花緑師、いろいろ批判の多い人である。
だが、花緑師はどうやら、弟子を育てるのが上手いようだ。失敗もあったにしても。
達者な花ん謝さんの語りから、師匠の姿を感じた。
祖父・先代小さんの姿をずっと見ていた花緑師、師弟関係というものがいかにあるべきかが、沁みついているのだろうと思う。
もちろん、花緑師が批判される原因の多くは、小さんの孫であるということに端を発しているのだから、これは裏表の関係である。
弟子たちのおかげで、その師匠の姿をとらえ直し、見直すということは、この世界に確かにある。
そんなわけで花緑師の落語も、いずれもっと好きになれそうな予感がしている。
師匠のことばかり書いて、弟子の個性に触れなくてすみませんが、しっかりした芸です。

二ツ目昇進の女性、あんこさん。高座では言わなかったけど、林家時蔵師の娘だそうで。
マクラで話していたのは、血縁ではなく師弟関係について。
落語界の異端児、林家しん平師の弟子。今どき珍しく、住み込み修業を4年間したとのこと。
普通に「金明竹」を掛けるあんこさん。声が大きいのはいい。
一席終わった後で、師匠譲りのゴジラかっぽれを披露。ゴジラのかぶりものを被って踊るキワモノ芸。
なんとも評価のしようがないけど、師弟愛が感じられて、決して嫌いではないです。

漫才はロケット団。
「ナイツ」ほどではないがTVにもよく出ているし、ちょっと見飽きた感を正直持っていた。
大変申しわけありませんでした。今日の芸を観て、そんな感想につき反省し深くお詫びします。
面白いだけでなくて、さらに腕が上がっているではないか。
やってることは「時事ネタ四字熟語」とか、金正恩やらトランプいじりとか、今さら大きく変わらないのだけど、ネタへの持っていきようのスムーズさが素晴らしい。
すでに面白かったこの人たちの、唯一の弱点だと認識していた、「ネタ運びが唐突」だという点が見事に解消され、一回り大きな芸になっている。
寄席で鍛えた熟練の技に驚きを禁じ得ない。
驚く前にとにかく笑えよ、という話ですがね。どうも漫才の楽しみ方まで、いささか理屈っぽくていけません。
でも、「なんで面白いのか」は理解できたほうが楽しいではないですか。

古今亭菊太楼師の「長短」。
長さんのせりふが、必要以上に間延びしていない点がいい。
長さんはゆっくり喋るのが普通なのだが、落語なのだから、本当にゆっくり喋って客をじらす必要まではない。
「ゆっくりしている人なんだ」「短さんがじれているのだ」というのが客に伝わればそれでいいのである。
その点、オツな芸でした。

入船亭扇好師は、初めて寄席で聴いたかもしれない。この一門、どうしても扇遊・扇辰師が中心になるけども、他にも上手い人がちゃんといる。
ネタは、落語協会では珍しいのではないかと思う「持参金」。芸協では、小遊三師が「金は廻る」というタイトルでよくやっている。
借りた十円を督促されたが返せないので、腹の膨れた嫁さんを持参金付きでもらってしまう男の了見、まともな世界の視点ではついていけないのだが、そこが落語。
冷静に考えたらちっとも愉快ではない噺を、楽しく聴かせるのも技術がいる。
この噺も、近代感覚からすると、「女をモノ扱いに右から左に動かしてとんでもない」なんてことになるかもしれない。そういう感覚自体を否定して、古典落語なんだから黙って聴けという気は、私にはない。
それでも、古典落語にはなにかしらいいところがある。滅びる前に楽しめるだけ楽しみたいと思うのである。

翁家社中も久々だった。相変わらずだが楽しい。
落語で疲れたお客の頭をリセットさせるのが色物さんの役目。そのお手本の芸。
この日は噺家さんが熱演続きで、色物さんはみな時間調整になったようだ。

橘家富蔵師の「親子酒」。
酔っぱらって顔が赤くなっているところがいいですね。
酒の噺は、雰囲気で酔っぱらってこそだ。

古今亭志ん弥師は「権助魚」。
誰の「権助魚」でもそうだが、落語ならではの時間トリックを効果的に使った噺である。
権助が出ていって、魚屋に寄って帰るまで「15分」しか経ってないというので笑わせることが多いけれど、志ん弥師は「30分」だった。
さすがに15分だとリアリティがなさすぎるか。
強い個性を打ち出さない志ん弥師の芸は、ときとしてつるんとした芸に聴こえる気がする。楽しいのだけど。
黒門亭で「質屋蔵」をネタ出しされているので、聴きにいきたいと思っている。

江戸屋小猫さんは久々に観たが、まだまだ固い。
でも、四代続いている芸だもの。10年経ったら、たぶんびっくりするほど融通無碍な芸に変わっているに違いない。

珍しく、この日の演者全員に触れてみました。
だいたい、ひとりふたりは特に感想のない師匠もいるものだが。
やはり、池袋はいい。

作成者: でっち定吉

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