今日なにをやるか、考えたけども思いつかない。寒いので時そばでもやるかと世之介師。
師匠、今日はあったかですよ。
時そばには、大きく分けて柳家系と古今亭系とがある。
古今亭系は、2軒目のまずいそば屋が儲かっているという描写がなくてリアルなんだと。もっとも、志ん生が最初に間違って覚えたのかもしれないだって。
そんな前フリから入った時そば、爆笑ものでした。
よくできた時そばは、笑いの量とは関係なく、1軒目から楽しいもの。
人情噺が始まるのかと思うような緊迫した時そばもあるが、そんなのも楽しい。
世之介師の場合、ギャグが入らないのに1軒目からどこか冗談めいている。
そして、これを見ている世の中ついでに生きてる男が、いきなり与太郎チックに登場。その後は普通なのだけど。
それよりもなによりも、2軒目のまずいそば屋の造型がすごい。
ドリフのコントで、志村けんがやってる爺さん婆さんみたいなキャラ。耳も遠いし変な声出すし、身の上話をいきなり語って、それが心底かわいそうだし。
落語聴いてて、ドリフを連想したのは初めてだ。世之介師、きっと参考にしているのだと思う。
与太郎チックな男、そば屋を探すが、なぜか前日とは違ってなかなか出くわさない。
「みんなどこ行ってるんだ。黒門亭でも行ったか・・・行ったらこんなに空いてないか」。
あと、川口の仕込みを活かし、「俺は江戸っ子だ・・・川口だけどな」。
前半パーフェクトな黒門亭。
いつもは黒門亭の前列を占めている常連が不在。仲入り休憩時はとても静か。
こんなに落ち着く黒門亭も珍しい。
仲入り後の古今亭志ん丸師まで、4人連続古今亭。
志ん丸師の紋、毎日見るGoogle Chromeのロゴに似ている。紋の名前はわからない。
今年池袋で、平日から満員になっている。これがみな留学生だったという。日本語の勉強のために寄席に来ているようだが、まるで笑わない。
落語をいったん止め、客に向かって「私が今日出ている中でいちばん面白いんだよ。ここで笑わないと、これ以上笑うところないですよ」と言う志ん丸師。
すると、留学生が初めて大笑い。「Nice Joke!」。
まあ、話自体がだいたい嘘だろうけど。
2年前にここ黒門亭で聴いた「穴どろ」。年末に掛ける自信の演目らしい。
冒頭が、掛け取りとまったく同じ。「3両足りない」というキーワードが出てきて、違う噺に入る。
穴どろという噺に、こういうバージョンがもともとあるのかどうか、私は知らない。
マクラの時点で演題をメモる悪癖を持つ人は、いったん「掛け取り」って書いたんじゃないか。後で線引いて訂正しているかと思うとちょっと愉快。
この穴どろを聴いて知っている私でも、今回は掛け取りじゃないかと思ったぐらいだから。
久しぶりに観た、「三軒茶屋の平助」。「三平です」のギャグが毎回入る。
泥棒といっても、この男はカネがなくて困っているだけで、真から悪いヤツではない。
料理と酒の並ぶ座敷に入り込んでしまったのも、奉公人たちが戸に隙間を残して出かけてしまったので、教えてやろうとしただけなのだ。
以前聴いたときより、その善人性と企みのなさが強調されている気がする。というか、酒だって飲み残し、食い物も食べ残しであり、真に悪いこと、財産的な損害を与える行為は一切していない。
そして、暮れの金策ができないことについての、悲壮感もまるでない。
より、落語らしい世界に進化しているようだ。